小説『神神化身』第四十話

燃ゆれば花は灰になる


「うんうん、なるほど。お前の所為で三言(みこと)が妙な文化に染まったわけか」
 遠流(とおる)が笑顔で頷くと、比鷺(ひさぎ)は勢いよく身を縮こまらせた。三言を連れた遠流に叩き起こされた時点で、お怒りゲージの溜まり具合は窺い(うかがい)知れる。
「三言ってば実況動画のこと遠流に言ったの!?」
「言った! これから頑張っていく話をしたんだ!」
「その通り。これから頑張っていく話をされたんだ。おい、燃え尽き灰太郎。三言に変なことやらせないでくれる? 千切り倒されたいの?」
「あ、久しぶりにそれ聞いた。やっぱ映画公開から大分経ったから遠流の中でも廃れたって感じ~? って、ていうか、まだ何もしてないんですけど……いざ動画を撮ろうとしたら、俺のこと普通に本名で呼ぶし、ゲームに出てくる森羅万象を舞奏で例えるから身バレ直送便っていうか」
 比鷺がもごもごと言い訳を並べ立てるも、遠流の目の冷たさは変わらない。それどころかどんどん氷河期へと近づいていく。そんな比鷺の気持ちを余所に、三言は楽しそうに言った。
「遠流も一緒にやろう! 勿論、八谷戸(やつやど)遠流の名前でやると事務所? の人に契約面で迷惑がかかるそうじゃないか! だから、偽名を考えたんだ!」
「偽名? ハンドルネームか……。……どんなの?」
「『やとるん』だ! ちなみに俺はみこちと言う!」
 三言が高々に宣言する。ややあって、遠流は静かに尋ねた。
「……その『やとるん』って誰が考えたの?」
「俺だ! すごく響きがいいだろ? 遠流はファンからやとさまって呼ばれてるから、それに遠流の『る』を付けたんだ!」
「そっか。素敵な渾名を付けてくれてありがとう。嬉しいよ。やとるんって渾名を大事にするね」
 遠流が柔らかい笑顔で言う。テレビで見せている笑顔よりも数段甘い表情は、幼馴染の三言にしか見せないものだ。そんな遠流に、比鷺は満面の笑みで言った。
「なーんてね、とか言って本当は俺が考えました~!」
「は?」
「三言が考えたって言ってってお願いしたんだよな~!」
「そうだ! 比鷺にお願いされた!」
「三言が考えたって言ったらあっさり騙されやがって! これがテレビのクイズバラエティだったら大恥掻いてまちたね~? カメラ回ってなくてよかったねえ~んぎゃっ!!」
 遠流の怒りが臨界点を超えたのか、比鷺の額に思い切り手刀を振り下ろしてきた。重みのある一撃に、比鷺が身体を丸める。痛みに耐えている横で「でもやとるんはいいと思う……」という三言の声が聞こえる。そうだ。やとるんは悪くない。俺のネーミングセンスは割といい。
「ぐうううう、やとるんの馬鹿……知ってんだからな……お前はこういう時に幼馴染でお揃いだと嬉しいやつだってことに……」
「言ってろ。燃え滓」
「ううえええ、三言~。もうやだ~ていうか三言そろそろいなくなっちゃうの? もうじきバイトの時間だよね?」
 というか、よく見たら本来ならとっくに全力食堂で働いている時間だ。寝ぼけていたのと遠流からの圧で気がついていなかったが、これはおかしい。案の定、三言が思い出したように言う。
「俺は今日シフトに入っていないんだ」
「え、曜日的には出る日だよね? 何で入ってないの? もしかして俺と遊ぶ為?」
「比鷺と遊ぶ為ではないな」
「くぅん……いや、そうか。あー、今日あの日か。櫛魂衆(くししゅう)組んでから日にち感覚が無くなってた。うん分かった。いってらっしゃい」
 比鷺が言うと、三言は静かに頷いた。その顔には、どこか厳(おごそ)かな印象を受ける。

   *

 墓の周りを掃除して、新しく三本の菊の花を供える。手を合わせて況報告をすると、溜息を吐いて墓石を見つめた。
 六原(むつはら)家の墓石は海の見える場所に安置されている。見晴らしのいいこの場所が、三言は小さい頃から好きだ。今回は長い上に熱い近況報告になってしまったから、海風と共に語れるのは心地よかった。
 このまま去ってしまうのも惜しい気がして、墓をじっと見つめる。ここにいていい理由を探していると、見計らったかのように声がした。
「名物店員に会いたい時は、ちゃんとシフトを確認しねえとってこったな。曜日だけでなく、こういう例外もある」
「月命日にはお休みをもらうことになっているんです。小平(こだいら)さん……あ、俺の働いている食堂の店長の意向で」
 月に一度の墓参りを徹底させるのは、三言と家族の縁を切らせないようにする為なのだろう。三言が家族の記憶を失った時に、一番衝撃を受けたのは彼だったと聞いている。あわよくば、この習慣が記憶を取り戻す助けになるのではないかと期待しているのかもしれない。
「それはいい習慣だ。お前はつくづく人に恵まれてるな」
「ここにいることは誰かに聞いたんですか? 萬燈(まんどう)さん」
「いいや。だが、予想はついた」
 手に二本の菊を携えた萬燈夜帳(よばり)が、全てを見通したような声で言う。三言がかつて事故に遭ったことは隠していない。三言が家族の月命日に必ず墓を参ることも。ともすれば、萬燈には全て分かってしまうものなのかもしれない。
「お久しぶりです、萬燈さん! テレビ電話でお会いしましたから、あんまり久しぶりという感じもしませんが……」
「おう、そうだな。あれはなかなか面白かった」
「どうして浪磯(ろういそ)へ?」
「野暮用ついでだ。ここはいいところだな」
 浪磯のことを褒められるのは嬉しかった。この場所には、三言のルーツの全てがある。
「参っていいか?」
「ありがとうございます」
 萬燈が花入れに菊を供え、手を合わせる。挨拶でもしているのか、しばしの時間が流れた。そう派手な動きをしているわけでもないのに、彼が三言の家族に心から敬意を払っていることが分かる。この、動きの雄弁さのようなものが舞奏にも通じているのかもしれない。
 故人への語り掛けを終えた萬燈が、ゆっくりと振り返る。そのまま、彼がゆっくりと口を開いた。
「お前、家族の記憶が無いのか?」
「ええ、そうです。よく分かりましたね。小説家の人はそういうこともお見通しなんでしょうか。いや、萬燈さんだからなのかな」
 萬燈は観察力がある。だから、自分が上手く悲しめていないことを見抜かれたのかもしれない。この習慣は、三言と家族を繋いでくれているよすがだ。三言もそれを理解している。これを正しく行うことで、自分はまだ家族と繋がっていることが出来る。けれど、今の六原三言にとってこれは……本当の意味でのこれは…………一体何なのだろう?
「記憶に無い相手を悼むってのはどんな気分だ?」
「萬燈さんが今感じている気分と、似たようなものだと思います。あなたは真剣に、俺の家族を悼んでくれているだろうから」
「そうか。理解した」
 真面目な顔をして、萬燈が頷く。言葉の裏にあるものを残さず汲み取らんとする貪欲な心根が見てとれる。それこそが萬燈夜帳を萬燈夜帳たらしめているものだろう。六原三言は、密かに感嘆する。
「お前は興味深いな。奥底にあるもんも含めて実に奇妙だ」
「そうですか? 自分にはよく分かりません」
 三言はしっかりと萬燈の目を見据えながら言う。
「お前は本願が無いんだったな」
「カミに叶えてもらいたいものという意味なら、ありません。俺は二人と組んだ櫛魂衆で大祝宴(だいしゅくえん)に辿り着くのが願いのようなものですから」
 それは、闇夜衆との出会いと舞奏競を経て抱いた思いだ。こんなことを思うようになるなんて、以前の自分からは想像も出来なかった。だが、結果的にこの変化は三言の舞奏にいい影響を及ぼしている。つまり、変化としては妥当なものであったということだ。その点、闇夜衆には──特に皋(さつき)には感謝しかない。
「その点でも、俺とお前は共通しているっつうわけだ」
 萬燈が意味ありげに笑う。それに対し、微笑を返した。
「そうでしょうか?」
「……どういう意味だ?」
「あなたにも、本願の片鱗くらいは見えたのではないですか?」
 発せられた言葉に、萬燈が微かな驚きを見せた。勿論、彼は本心を押し隠すのが上手い。しかし、この場においてはその権能も多少機能しなくなっているようだった。
「今のあなたは、以前のあなたとは違って見えるのですが。舞奏競で変化が起きたのかもしれませんね。今のあなたなら、カミに叶えてもらいたい願いが出来たのではないですか」
 内心に触れるような声色で、静かに尋ねる。
「萬燈さんの実力なら開化舞殿(かいかまいでん)に辿り着き、本願を成就させることも出来るはずです」
「叶えたい願いが出来たところで、それをカミに明け渡すつもりは無えよ。俺に叶えられないことがあると思うか?」
「いいえ。人間に叶えられる範囲のことなら、萬燈さんは願いとも呼ばないでしょう。ですが、人間に叶えられないものなら、萬燈夜帳の願いに値するのでは」
 その言葉に、萬燈が一瞬だけ思案する。彼の用いた沈黙は何にもまして雄弁だった。彼もまた、舞奏競を経て不可逆な変化をしてしまっている。いくら人間離れしていようと、人間である以上、それからは逃れられない。だが、彼の見せた一分の隙はすぐに消え、こちらを喰らわんばかりの笑みで挑みかかられる。
「だとしても、教えてやんねえよ。お前にはな」
「そうですか、残念です」
 微かに息を吐き、三言は弾けるような笑顔を見せた。
「でも、舞奏はそれだけで楽しいですもんね! 本願が無くても!」
 拳を突き上げながら高らかに三言が言うと、萬燈がすっと寄ってきた。そのまま、爪先まで丁寧に繕われた手が、三言の頬をぐいぐいと挟む。
「わっ何ですか」
「お前、マジで六原だよな?」
「はい! 俺は六原三言です! 今日も明日も!」
「……そうだな。俺としたことが、柄にも無く八谷戸の言葉に寄っちまったらしい。お前は間違いなく六原三言だ」
 そう言うと、萬燈はようやく三言の頬を解放した。どういう意味かは分からないが、小説家の人の言葉だ。きっと三言には分からない深い意味が込められているのだろう。
「これからも月命日にはここを参るのか?」
「ええ。そのつもりです」
 少し考えてから、三言は大声で言った。
「思い出せないのは寂しいですが、俺には遠流も比鷺もいるので!」
 それを聞いた萬燈は、一つ大きく頷いた。
「で、その幼馴染どもはどこに?」
「会いたいですか? 遠流はアイドルの仕事のはずですけど……比鷺は家にいるかな。誘っても外には出てこないかもしれないので、会うなら家に行くことになりますが」
 今日の比鷺は朝から起こされて、かなりへろへろしていた。三言が全力で宥(なだ)めても部屋から引っ張り出せるかは分からない。それに対し、萬燈は訳知り顔で頷いた。
「なるほど。さながらアマテラスってわけか」
「あ! その表現、遠流の方が先に言ってました!」
「……そうか。ともあれ、九条(くじょう)比鷺の奴を引きずり出す秘策はある」
「そんなものがあるんですか?」
「こう言えばいい。『昨日一回負けただろ。出てこい』」

 

    *

 

「えっ、六原くんがいないとエビフライ定食って出てこないんですか!?」
 全力食堂のテーブル席に着きながら、昏見(くらみ)は悲痛な声を上げた。
「おう! あいつが直々に推してるもんで、人気でな! 仕込みがおっつかねえから三言が出てねえ時はメニューから外してんだ!」
 店主の小平が、眉だけを下げた器用な笑顔を浮かべて言う。
「なんでですか! これじゃあ浪磯まで来た意味がないんですけど! 至高のエビフライ定食を突き詰めるという目的が!」
「どうしよう、お前が本当に舞奏じゃなくて料理の道に突き進んだら……」
 皋は真剣に危ぶむ。目の前の昏見は、本気で浪磯までやって来たのだ。一緒に来たはずの萬燈が好奇心の赴くまま迷子になったのは放っておけても、目の前で人生が迷子になりかけている昏見のことは放っておけない。いや、怪盗なんてものに傾倒するよりは、料理に傾倒する方が健全かもしれないが……。
「まあ、安心しろ! エビフライ定食以外も全力で美味いからな! 譜中(ふちゅう)の名店にも負けないぞ!」
「それじゃあこの塩麹ばらちらし丼をお願いします」
「あっ、え、俺もそれで……」
「よっしゃあ! 塩麹ばらちらし丼二つ!」
 注文を受けた小平が嬉しそうに厨房へと戻って行く。
「しっかし、休みとはなあ……。まあ、六原がちゃんと休みを取ってるのは安心したけど……」
「残念です! 六原くんがいると思ったから、素顔で来たのに! もっとおめかししてくればよかった! 折角新しいドレス買ったのに! うーん、化粧室お借りしていいですかね? ちょろっと関節外してお色直ししてきますので」
「おいマジでやめろ馬鹿」
「どうしてですか? 美女と密会する皋所縁(ゆかり)でフロアを沸かしたくないですか?」
「うわっ、いきなり女の人の声になるなよ。びっくりした」
「可愛いでしょうー? いえーいちぇいすちぇいす」
 よく分からない掛け声と共に、昏見がピースサインを作る。
「最近変装してないから腕がなまってそうで嫌なんですよ。萬燈先生と合流する時にびっくりさせたいんです。もしかしたら櫛魂衆のどなたかとはまだ鉢合わせられるかもしれませんし」
「あのさ、俺と萬燈さんがいて、んで変装したお前がいるとするだろ? 消去法でバレるかアクロバティックに拗れるかのどっちかになっちゃうだろ」
「あっ、そうですよね。もし完璧に欺けた場合、仲間想いの所縁くんが大切なチームメイトであるところの昏見有貴(ありたか)をハブったみたいになっちゃいますもんね」
 昏見が楽しそうに笑う。その時、店の扉が開いた。元・探偵の悲しい性で、そちらに目線を向ける。
「…………ここはいつから譜中になったんですか?」
 店に入ってきた八谷戸が引き攣った笑顔で言う。
「奇遇ですねえ! 櫛魂衆のやとさまー! どうなさったんです?」
「……仕事に行く前に食事を済ませようと思っていたんです」
「えっ! どうして『済ませようと思っていた』なんて過去形なんですか! お忙しいんですからちゃんとご飯食べないとダメですよ!」
「お! 遠流じゃねえか! よっしゃあ! 闇夜の二人と相席出来るようにテーブルくっつけてやるからな!」
「……………………………………ありがとうございます、小平さん」
 小平の気遣いを無下に出来なかったのか、八谷戸が大人しく席に着く。こうして間近で見ると、アイドルらしくキラキラしている。これが覡になるんだから凄い世界だ……と皋は思う。八谷戸のファンは覡としての彼もアイドルとしての彼も楽しめるのだからお得だ。
「お久しぶりです、皋さん、昏見さん。お元気そうで何よりです」
「えっ、あ、そっちも……お元気そうで……。大変そうだよな。身体とか平気か?」
「お忙しいんでしょう? 萬燈先生のドラマにも出演が出来なかったとか」
「ええ。残念です。尤(もっと)も、主演なら都合したんですが」
 うん? と思ったが、八谷戸はいつもの王子様スマイルだ。主演をやってみたいという向上心の表れなんだろう。アイドルは偉いな、と心底思う。そうこうしている内に、全力食堂の扉がもう一度開く。
「くう……助けて……助けて……」
「そんなに嫌がることないだろ、比鷺! 陽の光を浴びた方が健康にいいぞ。あと、部屋を出る時に一度ごねたのに、全力食堂に入る時に再度ごねる必要はあるのか? 二回目になるぞ」
「随分邪険にしてくれるじゃねえか。少しくらい構わねえだろ?」
「ひっ……、どうせなら萬燈先生には限定ガチャやってる時に来てほしかったんですけどぉ……今のピックアップの無い恒常ガチャで欲しいもんないし……。ていうか一回勝ったくらいで勝者面しないでくれますー? 勝率から見たらそっちの勝利とか無いも同然なんですけどー! もう二度と負けないから!」
「お前、ゲームだとそうなれんだな」
 萬燈が思うところありげに言う。どうやら、彷徨していた萬燈が残りの櫛魂衆を引き連れてやって来たらしい。経緯はよく分からないが、ハーメルンの笛吹きみたいだ。事態を察知した八谷戸の顔が更に険しくなる。その表情は、今までになく年相応だ。
 それにしても、六原は折角の休みだというのに結局全力食堂に舞い戻ってきたのか。この奇妙な縁が、何だか落ち着かない。勿論、話せることは嬉しいのだが。
 皋達の姿を見つけた六原が、ぱあっと顔を輝かせる。それに対し、皋も控えめに手を掲げた。

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著:斜線堂有紀

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。



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©神神化身/ⅡⅤ