小説『神神化身』第三十九話

追懐(ついかい)の不可逆


「自分のやったことが正しいと思っているんですか?」
 番組のコメンテーターが、皋(さつき)に対して痛烈な皮肉を浴びせてくる。『毒舌探偵・皋所縁(ゆかり)に物申す』というのが今宵の番組の趣旨だから、その行いは正しいのだろう。なかなか容赦が無い。
 正しいと思っているかどうか、という問いには頷くしかない。皋は名探偵の仕事に誇りを持っている。そんな自分が間違っているとは言えない。ただ、今の自分が理想としていた名探偵である、とも思えないけれど。
 皋の目の前で自殺未遂をやらかした犯人がいる。止血用の包帯を持ち歩くようになった原因だ。
 あるいは、皋の到着が遅れた所為で被害が大きくなったと賠償責任を求めてきた遺族がいる。後者のアクロバティックさには驚いたが、事件に巻き込まれたにも関わらず元気そうな様子なのは良かった。やり場の無い怒りを皋に向けることで、気が逸らせたのだろう。
 勿論、皋はまるで堪えていない様子で、毅然(きぜん)と立つ。これで動揺したり傷ついたりしているようでは、方々で舐められてしまう。高校生探偵としてデビューを飾った時は、まるで迫力が無かった。即ち、悪を断罪出来るような説得力が無かった。弱みを見せてはいけない。印象は不可逆だ。皋所縁は無慈悲な正義の使徒でなければ。
「こんな場所に堂々と出てくる人間が正しくないわけがないだろうが。俺はどんなことを言われても結構。ていうか、遺族はともかくとして、殺人犯からの糾弾はお門違いも甚だしいだろ」
 皋は不敵に笑ってみせる。不遜だが有能な探偵として振る舞うことで、ショービズの世界でも名を轟かせてみせる。
「それから、俺の推理で浮気がバレただの汚職がバレただの言ってるやつ! 嫌なら悪いことすんじゃねえよ! 殺人の容疑を晴らしてやったんだから文句言うなよな。清廉潔白じゃない奴はいつ何時でも震えて眠れ!」
「皋くんは人の心が無いんじゃないの? もっとこう思いやりとかさあ」
 茶々を入れるような司会の言葉にも、隙を見せず応じてやる。
「勘弁してくださいよ! それを求めるのは俺じゃないでしょ? あと、テレビ出まくってんじゃねえって批判も、拝金主義だって批判もな! いいだろ、正当な報酬なんだから! この世に事件が無かったらとっくに引退してるっての! 俺の懐を潤したくねえなら事件を起こすな!
 皋は高らかに宣言した。探偵を廃業する一年ほど前のことである。

 

   *

 

「どうぞ。食べてみてください」
 ミーティングの為に昏見(くらみ)の経営するバー・クレプスクルムにやって来た皋の目の前に、エビフライの載った皿と白米の盛られたどんぶりが出される。いくら店内を見回してみても、ここは洒落っ気のあるバーであり、皋が着いているのはグラスを滑らせやすそうなカウンターだ。ここにどんぶり飯は明らかにミスマッチだろう。
 ご丁寧に店が貸し切りにされているお陰で、この異様さを共有する相手がいない。目の前にいるのは、にこにこ笑顔で圧を掛けてくる昏見だけだ。逃げ場が無い。
「……何? 俺は何を強いられてんの?」
「櫛魂衆(くししゅう)の六原三言(むつはらみこと)くんがお手伝いしている『全力食堂リストランテ浪磯(ろういそ)』に、エビフライ定食が登場してきたのをご存じですか?」
「ご存じじゃねえよ。全力食堂の常連さんか? 俺は」
「六原くんの発案らしいんですけど。なーんか、人気っぽいんですよね。六原くんがエビ好きだからですかね? 作り手の愛がある料理は美味しくなるんですよ。でも私もエビのことご近所さんにしてもいい程度には好きですし。いけるんじゃないかと」
「いけるんじゃないかと」
 だからといって、対抗してエビフライ定食を出す必要があるんだろうか。六原三言が手伝っている食堂なら、まあ良い店なのだろうが、この小洒落たバーでそこと競うのは流石に話が違うんじゃないだろうか。バットを持ってサッカーをするつもりなのか?
 しかし、皋はそんな正論を口にしたりはしない。ひしひしと感じることだが、昏見はこれで度を超した負けず嫌いだ。最近ではインターネット上で出会った相手との対戦ゲームですら目を据わらせているくらいである。
 助太刀に入った皋が全く役に立たなかった時は「し、信じられません! 探偵を辞めたというのにゲームがお下手であらせられるんですか!?」と煽られた。絶妙に腹の立つ言い回しである。結局昏見は萬燈(まんどう)に頼ってリベンジに勤しんでいたのが、萬燈夜帳(よばり)を出すのは反則だろう。そのくらい大人げない負けず嫌いなのだ。
「私は何事も全力なんです! 研究を重ねましたから、全力食堂に負けないお味になってると思いますよ!」
「そもそも俺は大元の全力食堂の味を知らないんだよな……って、おい、お前まさかこっそり一人でリストランテ浪磯に視察に行ってないだろうな」
「嫌ですねえ。私が一人で行くと思いますか? 浪磯にご興味のありそうな方が身近にいるのに?」
「………………え、マジ? まさか俺を抜いて萬燈さんと」
「嫌ですねえ!!! 私は『行くと思いますか?』と尋ねただけですけど! 所縁くんってばまさかハブられたと思ったんですか!? 早とちりしないでくださいよ、寂しいですね! 私達は仲良し闇夜衆(くらやみしゅう)じゃないですかー!」
「帰る」
「ちょっと! エビフライだけでも食べていってください! というかこれからまた舞奏社(まいかなずのやしろ)に行くんですから! 帰っちゃ駄目です!」
 昏見がわざとらしく泣き真似を始めるので、皋は仕方なく箸を持った。確かにエビフライには罪は無い。食べ物を粗末にするなとは親からも教わっている。
 言われるがままにエビフライを囓ると、確かに美味しかった。バーには一切関係が無いが、これはこれで美味しい。
「ね、美味しいでしょう。六原くんには負けませんよ」
「ああ、うん、美味いけど……舞奏(まいかなず)で勝とうな舞奏で……」
 そうしていると、バーの扉が開いた。入ってきた萬燈夜帳を見て、昏見が嬉しそうに声を上げる。
「あ! 萬燈先生! エビフライありますよ! エビフライ!」
「やめろ。萬燈さんにまでエビフライを勧めるな」
「いいじゃねえか。エビフライがまっすぐになるよう、ちゃんと切り込みを入れてるんだろ。お前のこだわりが良く出てる。一手間を惜しまねえ姿勢が好ましい」
「さっすがは萬燈先生! 私のこだわりに気づいてくださって嬉しいです! 所縁くんってばそういう一工夫に気づいてくれないんですから……」
「何なの? この異空間で俺だけがおかしいの?」
 そう思いながら、黙って白米を頬張る。こちらもいい炊き具合で美味しかった。
「萬燈先生。見ていてくださいね。私は定食の方も極めてみせますから」
「お前は本当にそれでいいのか……? ていうか、萬燈さんはスケジュールの方平気なのか? 詰まってんの?」
 皋が心配そうに尋ねると、萬燈は鷹揚に首を振った。
「いや、そうでもねえよ。今日は報告を受けただけだ。『去りし者たちの煉獄』の件でな」
「ああ、映像化するんでしたっけ? ともすればお忙しそうですが」
 昏見がすかさず言う。舞奏にバーの経営にと忙しいだろうに、萬燈夜帳の最新情報に一番早くアクセスするのも昏見だ。怪盗というのは複合的なマネジメント業務が上手くなるのかもしれない。
「管轄外のことはその道のプロに任せる主義だからな。俺は弓矢の道を知る武士を見定めるだけ──最低限の確認だけだ。で、キャストも粗方内定してたんだが、その内の一人に振られちまった。誰だと思う?」
「うーん、キアヌ・リーブスですかね」
「八谷戸遠流(やつやどとおる)だ。スケジュールの都合だとかで断られた」
「へー……それはなんか……残念だな。若手なのに演技が上手いって評判だし。八谷戸なら諸々話題にもなるだろ」
 高校に通いながらアイドルをやり、更には櫛魂衆(くししゅう)として活動もしている八谷戸だ。流石に時間の融通が利かないのだろう。
 かつての自分も寸刻みのスケジュールで動いていたので納得がいく。また八谷戸が萬燈夜帳作品に出演する機会があればいいのにな、と皋はうっかり思ってしまったほどだ。
 しかし、萬燈は意味ありげに微笑みながら「八谷戸、見る度に嘘を吐くのが達者になってんだよな」と呟いた。
「……俺が言うのもなんだけど、年下の高校生を疑ってやるなよ。八谷戸が可哀想だろ。ふつーにスケジュールが空いてなかっただけだと思うぞ」
「お前にはそう見えてんだな。いや、そう見ようとしてんのか、今は」
 隣の席に着きながら、萬燈が言う。そうなのかもしれない。近頃の自分は、変わってきている。少しずつ、探偵ではない自分に慣れ始めているのかもしれない。エビフライ定食を食べている自分は、かつての勝ち気で傲慢な探偵ではない。
 ただ、切実な祈りが本願の形で纏まったからだろうか。あるいは、覡(げき)としての皋所縁にはメディアに見せていたような鎧が必要ないからだろうか。だとしたら。
「……これも不可逆だなあ……」
 思わずそう独りごちてしまう。それが聞こえてしまったのか、昏見がニヤニヤと笑ったのも居心地が悪い。昏見の得体の知れなさは変わらない要素だ。
 その時、萬燈が不意にこんなことを言い出した。
「そういや、知ってるか? 舞奏競(まいかなずくらべ)への予参が決まっていた舞奏衆(まいかなずしゅう)が一組、突然の解体になったらしい」
「……解体って何?」
「さあな。音楽性の違いで解散ってやつか? 何にせよ、別の覡が組むことになったんだと」
 舞奏衆だって人と人との集まりなのだから、解散というのも無くはないだろう。だが、そんなことが起こるものなのだろうか。
「まあ、舞奏競っていうのは各國の優秀な覡が出るものですからね。実力がある方が組むのなら、そちらの方がいいんじゃないでしょうか」
 意外にも昏見がドライなことを言い放つ。舞奏競に勝利する、という面で見れば、間違ってはない話だ。だが、あの仲の良さそうな櫛魂衆や、今の自分達を見ていると落ち着かない。
 一体、解体された舞奏衆には何があったのだろうか。
「とはいえ闇夜衆は所縁くんの為に命を懸けてる衆ですから、解体なんかなさそうですが! 安心してください!」
「お前は軽口がいちいち重いんだよなあ~!」
「なら、俺も精々見放されねえようにしねえとな」
「萬燈さんの悪ノリも悪いんだよなー! 実力からすると俺が真っ先に放逐されるだろうが!」
「そうですよ。萬燈先生は舞奏じゃなくてゲームに励んでください。そろそろくじょたんに鉄槌を下さないと、『チームくらみん』の名折れですよ。私の血管が切れる前にボコしてください」
「お前の負けず嫌いが高じていくとさあ、最終的にアイドルデビューして八谷戸遠流とも競わなくちゃいけなくなんない?」
「まあ待て昏見。今回ばかりは、お前の仇は俺が討つ。にしても、楽しませてくれるじゃねえか。手間を掛けさせた分、じっくりと堪能させてもらわねえとな」
「流石です、萬燈先生! 出来れば二度とネッ対出来ないようにしてください!」
 昏見が楽しそうにはしゃいでいるのを見て、皋は溜息を吐いた。色々と気に掛かることはあるが、差し当たって皋が考えるべきことは、「これから舞奏があるのに、こんなにしっかりと定食を掻き込んでよかったのだろうか」ということくらいだ。

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著:斜線堂有紀

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。



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