1.ダイオウイカ釣獲騒動記
2.ダイオウイカが釣れちまった
3.引揚げたダイオウイカ
4.このダイオウイカから分かったこと
ダイオウイカ釣獲騒動記
調査初日の12月4日、昼少し前、何時ものように磯部さんの第八興勇丸に乗り込み沖に出ていた。
「おーい、磯部さん。なんか変なものが付いているよ。サメかな?」 空は明るいものの昨日の強風で大きなうねりが残る荒れた海。我々は、小笠原弟島北東約15マイルの沖合で調査用の縦縄を引き上げていた。長い幹縄を巻き終わると、一番下の枝針に何か白っぽい大きな獲物がかかってきた。海面の反射でよく見えない。磯部さんがラインを手繰ると徐々に近寄ってきた。記録用に撮影しているビデオカメラのファインダー越しに、長い腕がうねうね動いているのが見えた。
海面に姿をあらわしたダイオウイカ
「あ、ダイオウイカ?」、磯部さんも「ダイオウイカだ!」と、ほぼ同時に叫んだ。
ダイオウイカはその全身を海面に現し、うねりに揺られながら船縁に引き寄せられてきた。巨大なイカである。水深650m付近から引き上げられたというのに、まだ生きて動いている。太い漏斗から勢いよく海水を噴射して逃げようともがく。頭部は大きく、深海の闇を見続けた大きな眼が恨めしそうに見上げる。長く太い腕が海中で大蛇のようにのたうっている。体の背側は明るい赤紫、腹側は真っ白のツートンカラーで、生きているダイオウイカの姿は輝くばかりに美しい。
船べりまで引き寄せられたダイオウイカ。アカイカを抱いている。外套膜の腹側が白い
ダイオウイカが釣れちまった
「ひえー、こんなところでダイオウイカが釣れちまったよ・・」
ちょっと焦りながら、暴れまわるダイオウイカをビデオカメラに収録しつづけた。生きているダイオウイカの姿を見た者は、このイカを釣り上げたことのあるごく小数の漁師達に限られる。ましてや、生きて動きまわる姿を動画で撮影したという話は今まで聞いたことがない。ダイオウイカの生息している深海ではないが、釣り上げられたダイオウイカを海面で撮影しているこの映像は、2004年に水深900mで撮ったダイオウイカの静止画像以上に、世界的なセンセーションを巻き起こすかもしれないとファインダーを覗きながら思った。
とても元気に動き回り、海中から睨みつけてくる
撮影が一段落して、はたと困った。この巨大なダイオウイカをどうしよう。船には私を含め、船頭の磯部さん乗子の岩本さんの三人しかいない。せっかく釣り上がったのだから研究用標本として確保したい。それもなるべく傷つけないでと思っていたら、磯部さんは既に胴体に手鉤を深く打ち込んでいた。あたりまえである、獲物は決して逃がさない漁師の習いである。船縁が一段低くなっている場所までダイオウイカを移動させて、打ち込んだ手鉤でエイヤーと二人がかりで船に取り込もうとしたが、半端な重さではない。半分ほど揚がったところで肉が裂け、海にドッボンと落ちてしまった。
漏斗から勢いよく水を噴出して針から逃げようともがく
引揚げたダイオウイカ
ダイオウイカは一旦姿を消したが、船底を回って反対側に浮かんできた。手鉤のダメージで半死半生の状態である。磯部さんは船室にあった少し古びた毛布を引っ張り出し、四隅に細引きを結びつけ簡易の担架を作った。岩本さんが海に飛び込み毛布でダイオウイカを包み込んだ。体の半分ははみ出ているが、後は三人の総力を結集して毛布ごとダイオウイカを引き上げればよい。渾身の力を振り絞った・・重い。毛布のすくい込む海水とダイオウイカが体内に吸い込んだ海水が重石となり、船縁をなかなか越えられない。最後は、磯部さんと岩本さんが漁師の底力をみせて、なんとか船の胴間にダイオウイカを横たえることが出来た。正直なところ、力仕事に不慣れな小生の足腰はしばらくワナワナと震えが止まらなかった。第八興勇丸の甲板に引き揚げられたダイオウイカ
このダイオウイカから分かったこと
このダイオウイカは外套長約1.4m、鰭の後端から最長腕の先端まで約3.5m、体重約50kgで、裂けた外套膜からはみ出した未発達の卵巣から、未成熟の雌個体であることが分かった。ダイオウイカの特徴である長い2本の触腕は、根本付近から2本とも千切れており、片方の切り口は治癒しかけていた。このダイオウイカは、縦縄に仕掛けたイカ針にかかった体長1mほどのアカイカを長い腕で抱くようにして上がってきた。触腕が無いため、残りの八本の腕でアカイカを捉えようと抱きついた際に、ダイオウイカもまたその腕が針にかかってしまったのだろう。触腕で捉えようとすれば、2004年の時のように触腕だけがあがってきたのかもしれない。いずれにせよ、触腕を失ってもダイオウイカは残りの八本の腕で餌を捕らえることができることが分かった。
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