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[本号の目次]
1.一本の触腕が語ること
2.新しい発見
3.論文の原稿
4.論文の投稿

引揚げた一本の触腕が語ること

 ダイオウイカが自ら引き千切り残していった1本の触腕は、イカ針にかかって揚収された。船上で詳しく測ると長さは約6m、先端の72㎝が触腕穂と呼ばれる部分で、中央の大吸盤の直径が28㎜であった。今までに報告されているダイオウイカの測定値から、触腕穂長と触腕大吸盤の直径と外套長の相関式を求めて、この触腕のダイオウイカの大きさを推定した。外套長は触腕穂長から1,615㎜、大吸盤直径から1,709㎜と計算された。外套膜の大きさがおおよそ1.6~1.7m、頭腕部は外套長の約1.5倍であることから、このダイオウイカの体長は約4.7mと推定され、6mの触腕もふくめると全長は優に8mに達するものと推定された。また、この触腕の筋肉の一部を100%のエチルアルコールに保存し持ち帰り、研究室でミトコンドリアDNAのCOI領域の1,276塩基配列を解析したところ、今までに日本海沿岸に打ち上げられたダイオウイカや、小笠原で発見されたダイオウイカ5個体の塩基配列と99.7~100%で合致して、DNAからもダイオウイカであることが確証されたのである。


触腕から解析されたダイオウイカのミトコンドリアDNA、COI領域の1,276塩基配列
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新しい発見

 この連続静止画像と引き上げた触腕から分かったこと、推測されることを纏めてみる。

1. ダイオウイカは、日中水深900m付近で餌を待ち受けていた。

2. 小笠原海域のマッコウクジラは摂餌のため、日中は水深800~900m付近まで潜水し、夜間は400~500m付近に潜水することが調査で明らかにされている。ダイオウイカも恐らく日中900~1000m、夜間400~500m水深へと日周移動するものと推測される。

3. ダイオウイカは今まで想像されていた待ち受けタイプの捕食者というより、かなり活発な捕食者で餌を水平方向から襲う。

4. ダイオウイカは餌を捕らえると、その長い触腕で丸め込み口のある8本の腕の付け根付近に抱え込む行動をとる。

5. 長い触腕をボール状に丸め餌を抱え込む様子は、大蛇が餌を捕らえた後にその体を丸めて餌を弱らせる行動に似ている。

6. ダイオウイカの長い触腕は、見た目ほど弱くなく数時間もの間ロガーを引っ張り続け、また自身の体を支えることが可能なほど丈夫である。

7. 一方、最終的には
自身の遊泳力により自ら触腕を引きちぎって逃げるパワーがある。

 これだけ新しい発見があれば、論文として世界中に発信する価値は十二分ある。

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国立科学博物館に保管されている引き上げられた触腕

論文の原稿

 論文にするといっても、そう簡単にはいかない。イカ・タコの新種記載論文であれば何度か経験があるが、このような行動生態に関する論文は書いたことがなかった。まずは、ダイオウイカの生態に関する論文・報告書を読み漁り、イントロダクションに今までの知見を纏めることにした。ダイオウイカは世界の温帯海域に広く分布し、マッコウクジラの胃中から見つかるため、水深1000m以上の深海に生息するといった推測がなされ、筋肉にアンモニアを含み体が柔らかいことから、活発に遊泳するというよりは浮力中立をとり、あまり動かずに長い触腕を下に垂らして餌を待ち受けて捕獲するといった仮説がたてられていた。米国のスミソニアン自然史博物館のクライド・ローパー博士がダイオウイカのエキスパートで、それまでにニュージーランド沖で何度かダイオウイカの映像を撮ることを試みていたが、未だ成功していないことも分かった。材料と方法には、カメラロガーの性能と縦延縄、誘引仕掛けの詳細を説明し、DNAの解析の方法も詳しく記した。結果と論議に、前述の「新しい発見」を纏めた。世界に発信する論文であるので、すべて英文である。しかし、自分で書き上げた原稿は、英語記述が不正確、内容が雑駁で学術誌に投稿するには程遠かった。まずは、英語ネイティブの研究者に原稿を見てもらう必要があった。ローパー博士とは、私が大学院のころから国際ワークショップなどで顔見知りの間柄であったが、彼もダイオウイカを追っている立場上、論文の推敲をお願いするのは憚れた。

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1981年、英国プリマスで開催された国際頭足類ワークショップに参加したローパー博士(右)と私(左)

論文の投稿

 そこで2004年の冬、在外研究の一環としてオーストラリアのメルボルン自然史博物館を訪問した際、私とほぼ同年齢でタコ類の分類のエキスパートであるマーク・ノーマン博士に「ダイオウイカを撮影した」ことを打ち明け、力を貸してくれるように頼みこんだ。マークは連続静止画を見て「インクレディブル」と叫んだまま、言葉を失った。これは世界的な新発見で、ネイチャーやサイエンスなどトップクラスの自然史系学術誌の論文になると請け負った。私の拙い英語原稿に目を通して、すぐさま手直しを始めた。日本に帰ってきて、マークから推敲された原稿が送られてきた。それを基にネイチャー誌に投稿すべく体裁を整えインターネットを通じて申し込んだところ、一週間もたたないうちにエディターから受理できない旨連絡が入った。思わずメールで理由を問いただしたところ、ネイチャーの基準に達していないとの返事があった。ネイチャーの基準って、何だ!
 マークに結果を知らせたところ、マークも憤慨した様子で、それなら自然史系の学術誌として最も長い歴史があり格式の高いイギリス・ロイヤルソサエティーのシリーズBに投稿してはどうかと、意見をくれた。直ちに体裁を整えて、ネットを通じて投稿したところ、2005年2月25日に受理されて、レフェリーに回すとの知らせが入った。その後、レフェリーからコメントと手直しの指示があり、それらを全部クリアーしてやっと5月11日にアクセプトされた。そして、印刷刊行に先だってその年の9月にインターネットを通じて論文が発信されることになった。ただし、論文が発表されるまでは国内外を問わず新聞・メディア等には一切情報を漏らさないように釘をさされた。
 
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2004年11月、オーストラリア・メルボルン郊外にあるマークの自宅にて。寒くてマークのセーターを借りたが、サイズが全く合わなくてダボダボ。これでも私の身長は176㎝である。