ぼくは時々、オタク界隈で流布している「ラディカル/リベラルフェミニズム」の定義は誤りである、と指摘してきました。
概要は以前の記事、「2012年女災10大ニュース」の「【第2位】ラディフェミ/リベフェミ論のウソがバレる」に書かれています。
そうした主張をするのは、オタク界のフェミニズムに親和的な層であるように思うのですが、彼らの言動を見ていくと、彼らはラディフェミを「ポルノに文句をつけるフェミ」、リベフェミを「表現の自由を重んじるフェミ」と理解していることがわかります。つまり、「ラディフェミは敵、しかしリベフェミは味方」といった区分けがなされていたわけですね(以下、このようなスタンスに立つ人々を「ラディ/リベフェミ論者」と呼称します)。
が、両者を調べてみるとそうした区分は誤りであることがわかります。
『岩波女性学事典』の両項目を見てみましょう。
リベラル・フェミニズム
自由主義を援用した最も長い歴史を持つフェミニズム.
彼女たち(引用者註・リベラルフェミニスト)は,意識・教育改革,労働による自立,民事的・政治的権利の獲得,結婚・家庭の変革といった,市民革命期の思想を超える諸問題を提起し,19世紀末には当面の課題を女性の参政権に絞っていった.
この頃(引用者註・20世紀後半)新たに登場したフェミニズム諸派が過去のフェミニズムと異質であることを強調するために,(中略)この名称が使われ,一般化していった.
ラディカル・フェミニズム
性抑圧をあらゆる形態の抑圧の根源とするフェミニズムの一潮流.1960年代後半アメリカで登場し,ヨーロッパ諸国や日本に急速に波及,第二派フェミニズムの源流とされる.“個人的なことは政治的である”というスローガンに代表されるように,“家族,個人生活など私的領域における“性による差別や抑圧を告発し,それを家父長制と命名,批判した.
おわかりでしょうか。
歴史的にはリベフェミが先行し、その後、ラディフェミへと発展していった。
つまりリベフェミに「リベラルなフェミ」という意味はなく*0、また「ラディフェミ」も別に「ラディカルなフェミ」という意味あいでは、特にないのです。
そしてまた、ジェンダーフリーなどを推進しようとする現代の(少なくとも日本の)フェミニズムは、「“家族,個人生活など私的領域における“性による差別や抑圧を告発」するラディカルフェミニズムである、と考えざるを得ません。
『新版フェミニズム事典』(明石書店)では
ジェンダーによる男女の差異は,「生まれつき」のものとみなされてしまっているので,通常は意識されることも問題視されることもないけれども,それが私たちの生活のすべてを構築しているということを見抜くことからラディカル・フェミニズムは始まった。
と更にストレートな記述がなされています。
またラディカルフェミニストのグループ「ニューヨーク・ラディカル・フェミニスツ」はその宣言「エゴの政治学」において、そもそも女性への抑圧の原因を経済システムに求めない、それを改善することで女性が解放されるとは考えないと主張し、
女性の抑圧は諸制度のなかに明示されており,それらは女たちをその居場所にとどめておくために構築され,維持されている。その制度とは結婚,母性,愛そして性交である(家族単位はこれらによって統合されている)。これらの制度を通じて,女たちはその生物学的性差と全面的な人間としての可能性とを混同するように教えこまれる。
とまで言っています。
こうした主張は、今の日本のフェミニストが口を揃えてしているところではないでしょうか。
一方、リベフェミは「過去のフェミニズム」です。ファースト『ガンダム』の放映当時、「ファーストガンダム」という呼称が使われていたわけがないのと同様、そもそも「リベラルフェミニズム」自体が後年の命名で、「リベフェミ」を自称するフェミというのは基本、いないのですね。ぼくはツイッター上などで度々、「乱暴に言えばもう滅んだフェミだ」と形容してきましたが、改めて調べて見るとその説明が乱暴でも何でもないとわかったわけですw
ある種、過去のフェミニズムを批判的に見るためにわざわざ作られた造語である以上、目下リベフェミを名乗る人は、現状の(ジェンダー論などを基調とする)フェミニズムに対してかなり批判的な、(復古調の?)フェミニズムを唱えていないと平仄にあわないのではないでしょうか?
*0 ここはちくわさん()に「自由主義を援用したフェミニズムなのにリベラルと関係がないとはどういうことだ」と指摘されました。確かに言葉足らずです。
「古典的な自由主義の派生との意味で、今日的なリベラルと直接のつながりがあるというわけではない」とでも、訂正しておきます。事実、以下の藤本師匠の発言などを見てもわかる通り、オタク界ではラディ/リベフェミをラディ/リベな思想を持つフェミ、とでもいった(間違った)意味あいで使用する人が多いのです。
では、何故オタク界ではこれら定義とは明らかに異なる風説がまかり通っているのでしょうか。
ぼくは今までもこうした風説を支持する人々と話してきましたが、彼らはどうもネトウヨのようで(註・皮肉)専らネットでの、殊にウィキペディアでの記述を根拠にしていました。
では、そのウィキの記述を見てみるとしましょう。
リベラル・フェミニズム
リベラル・フェミニズム(英: liberal feminism)は、男女平等は法的手段や社会改革を通して実現可能であり、集団としての男性と闘う必要はないと主張する、フェミニズムの一形態である。
この伝統につらなるフェミニストとしては、メアリ・ウルストンクラフト(女性の権利の擁護)、ジョン・スチュアート・ミル(女性の隷従)、第二波フェミニストのベティ・フリーダンなどがいる。ナディーン・ストロッセン(英語版)もリベラル・フェミニストである。
ラディカル・フェミニズム
ラディカル・フェミニズムは、1970年に出版されたケイト・ミレットの『性の政治学』と、シュラミス・ファイアーストーン(英語版)の『性の弁証法』を思想的支柱とする。
ミレットは、「家父長制」を男性が女性に性的従属を強いるシステムであると定義し、これが私的領域から公的領域に至るまで影響を及ぼしていると批判。男女の性差は家父長制の産物であるとした。
ラディカル・フェミニズムを端的に象徴するものとしてポルノグラフィ撲滅運動がある。
これら説明の中に、明確に「ウソ」と呼べるものは恐らくないと思います。
しかしリベフェミの項を見れば一目瞭然ですが、ウルストンクラフトは18世紀の人物、ミルは19世紀の人物の上、(確かに女性解放についての著作はあるのですが、一般的には)フェミとは言い難い人物、フリーダンは1960年代の人物で、後年はフェミニズムに距離を置くようになった人物のようです。
つまりネット言説で採り上げられる「リベフェミ」が決まってストロッセンであることか象徴するように、現時点で「リベフェミ」と呼べる人は、大変に少ないのです(ストロッセンについてはぼくも不勉強なので、ひとまず保留させてください)。
一方、ラディフェミの項を見ると(上はさわりを引用しただけですが)、アンチポルノ運動について妙に事細かな記述がなされています。こうした説明では必ず、アンチポルノ派であるアンドレア・ドウォーキンやキャサリン・マッキノンがラディフェミの代表として挙がります。むろん、それはそれで別にウソではないのですが、既に見たようにラディフェミというものは、必ずしも「アンチポルノ派のフェミニズム」を意味しないのです。
ついでにウィキの「フェミニズム」の項を見ると、
フェミニズムは、近年、リベラル・フェミニズムと、ラディカル・フェミニズムとが対立している。
とあり、どうにも不自然です。
これもまた明確な「ウソ」ではなく、どこかでそうした対立はあるのかも知れませんが、リベフェミは今となっては例外的な存在とする他なく、特記するほどに対立が大きいとは、考えにくい。
つまり、これらの項の編者は先に挙げた「ラディフェミは敵、しかしリベフェミは味方」といったイメージへと、読者をミスリードしているようにしか、ぼくには思えないのです。
彼らの主張の奇妙なところは、アンチポルノ派「ラディフェミ」を敵とし、ポルノに寛容な「リベフェミ」を味方としながら、実際には後者は存在しないも同然だと言うこと。むしろ、彼らと親和的な(というか、現代の日本の全ての)フェミニストたちはラディフェミだとしか思えない点です。
以上からはある種の「確信犯」的な意志を、感じずにはおれません。
善意に解釈するならば、これらは故意に流布されたものではないかも知れません。当初は先に挙げたドウォーキン、マッキノンなどがラディフェミであると知った誰かが短絡し、「ラディフェミは敵!」そしてまた、リベフェミを単純に「リベラルなフェミ」と解釈して、「しかしリベフェミは味方!」だと言い出したことが広がったのかも知れません。
が、今となってはそれが訂正できないところにまで広がってしまった……という、ジャイアンたちに大見得を切ってしまったのび太君状態にあるのではないでしょうか。
(もっとも本稿を最後までお読みいただいた方は、そうした好意的な解釈は怪しい、とお感じになるかも知れませんが……)
さて、話が前後しますが今回、この話題を蒸し返したのはtogetter「日本のフェミニズムは「男なんて死んでしまえ」と主張する運動らしい」での議論(?)がきっかけです。
ぼくが「日本のフェミニストはほぼ全員ラディカルフェミニストだ」と主張したところ、それを認めまいとする人々ともめてしまったわけです。
きっかけとなった人物は必ずしもこちらに対して攻撃的な態度を取っていなかったため、ぼくは「ではあなたの主張のソースをお教え願えないか、そうしたらこちらもソースをお教えする」と申し出ました。ネット上の「ラディ/リベフェミ」論者には、こちらが引用元を提示して説明をしてもそれをスルー、こちらの書き込みを消してしまうといったいささか誠意に欠ける対応ばかりをされてきたから(そしてまた、その人物はそれに比べて冷静に見えたから)です。
が、彼は幾度質問してものらりくらりと言語を左右にし、ボーヴォワールの『第二の性』を読んだ、などと答えるばかり。「ボーヴォワールの本に日本にリベフェミがいると書かれているのか」と問うと「いやラディフェミの定義の話だ」などと返してきます。
彼は不誠実な人間には見えず、これは天然の対応なのでしょう。
「アッチの世界」に行った人は往々にして「アッチの世界」の常識と「こちらの世界」の常識との整合性を保つため、脳内に「1+1=2だが、同時に1+1=5でもある」といった二重基準を設けると言いますが、何だかそれを連想させる話です(そもそもボーヴォワールの著作におけるラディフェミの定義を見れば、「ラディ/リベフェミ」論者の主張がおかしいことは、恐らくわかるはずなのですから)。
そうする間にもtogetter荒らしとして有名なちくわさん()が「相手に下駄を預けるとは卑怯だ、言い返せない証拠だ」などとわめき始め、また別な人物がよりにもよってぼくが以前、ラディ/リベフェミ論者のウソを説明するためにまとめたtogetterを根拠にこちらに反論、という意味のわからない振る舞いをした挙げ句(このわけのわからなさ、何だか加野瀬未友を思わせます)、森師匠とのトラブルを根拠にこちらを詰り出すという異常事態にw
ぼくは藤本由香里師匠を「リベフェミ」とするのはさすがにウソだ、と主張したのですが、後者の人物は実際に藤本師匠に質問し、答えを引き出してきました(この行動力は敵ながらあっぱれだとは思いました)。
以下、ちょっと師匠とのやり取りを引用しましょう。
薫@ヤサグレちう@AstarteLilium
@honeyhoney13 突然申し訳ありません。実は、藤本由香里氏はリベラルフェミニストではないと言う人がおりまして。
ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4…
このwikiや著作、言動を見てリベラルフェミニストだと思っていたのですが、わからなければ直接お聞きすればと思いいきなりで失礼かと思いましたがリプさせてもらいました。お時間のある時でかまいませんのでよろしくお願いします。
(https://twitter.com/AstarteLilium/status/517370655164362752)
(https://twitter.com/AstarteLilium/status/517370951294783488)
藤本由香里 『大島弓子にあこがれて』発@honeyhoney13
@AstarteLilium 名付けは自分でするものではないので、何がリベラルフェミニストなのかそう呼ぶ定義はわかりませんが、一般思想としてはリベラルです。ラディカル・フェミニストでないことは確かです。基本プラグマティストなので、そこまで原理的ではないし、原理を最優先はしません。
(https://twitter.com/honeyhoney13/status/517373822157475841)
兵頭新児@hyodoshinji
@honeyhoney13 @AstarteLilium 失礼します、先の@AstarteLilium氏と議論していて「藤本氏はラディカルフェミニストだろう」と主張した者です。
厳格な定義があるわけでない以上、「私は/あなたは○○フェミだ」と断言はしにくいとは言え、「性抑圧をあらゆる形態の抑圧の根源とする」というラディフェミの通念からすると家父長制、ジェンダー概念を重視するフェミニストはラディフェミ、とするのが自然であり、ならば当然藤本氏も、という気がするのですが、いかがでしょうか。(https://twitter.com/hyodoshinji/status/517539844717682690)
(https://twitter.com/hyodoshinji/status/517539906596245504)
藤本由香里 『大島弓子にあこがれて』発@honeyhoney13
@hyodoshinji @AstarteLilium 思い込みは勝手ですが、私はそういう立場を取っておりません。
(https://twitter.com/honeyhoney13/status/517703693383114752)
兵頭新児@hyodoshinji
@honeyhoney13 @AstarteLilium どのような立場をお取りでしょう?
(https://twitter.com/hyodoshinji/status/517733789112360960)
藤本由香里 『大島弓子にあこがれて』発@honeyhoney13
@hyodoshinji @AstarteLilium すでにお答えしました。
(https://twitter.com/honeyhoney13/status/517914518131728385)
兵頭新児 @hyodoshinji
@honeyhoney13 @AstarteLilium ぼくがその「お答え」に質問した、というのが順序なので、それにも「お答え」いただきたいのですが。「思い込み」とおっしゃいますが、ぼくもフェミニズム事典の類で調べて申し上げたので、そんなにヘンなことは言ってないと思うのですが。
(https://twitter.com/hyodoshinji/status/517924416986947584)
現時点では、藤本師匠からの返信は途絶えております。
質問者は当人の言質を取ったぞと勝ち誇っていらっしゃいますが、以上をお読みになったみなさんは、いかが思われたでしょうか?
「名付けは自分でするものではない」のだが、自分は「ラディカル・フェミニストでない」。
う~ん……。
また、師匠の発言を見ると自分は「一般思想としてはリベラル」だ、「原理的ではない」とおっしゃるなど、「ラディ/リベフェミ」を単なる「ラディ/リベな思想」と読み替えていらっしゃるような……。
結論めいたことを書いておくならば、ウィキの文章も明確なウソと呼べる部分は少ないと思います。藤本師匠の項を見ると彼女を「リベフェミ」としており、これもどうかと思うのですが、「絶対的な定義はない」という意味においては、ウソではないと言えるかも知れません。
が、問題は先に書く通りこれら記述(やネット上の論者の発言)が「フェミニストたちはアンチポルノ派ではない」との風説の流布という一定の目的を持っているようしか、見えないことです。
オタク界のトップはフェミニストたちとやたらと仲がよく、上野千鶴子師匠などを度々持ち上げる。しかし師匠もまた、ポルノを全否定する発言をあちこちで続けている*1。また、オタク界を代表する藤本由香里師匠もドゥオーキンを肯定的に引用している*2――既にブログでも何十回と書いているかと思います。
*1「夏休み千田有紀祭り(第二幕:ゲンロンデンパ さよなら絶望学問)」
「女ぎらい――ニッポンのミソジニー」を参照。
彼女が一貫して売買春全否定派であることがわかります。
*2「快楽電流」
恐らく藤本師匠も、漫画表現を守ろうという気持ちそれ自体にウソはないと思います。
が、ポルノを女性差別的であるとするフェミニズムの思想と「表現の自由云々」といった価値観とを止揚するロジックが生み出せているかとなると、それはいささか疑問です。
ぼくは「運動」といったことにさしたる興味はなく、現場の人々の苦労は存じ上げません。フェミニストとの「呉越同舟」が必要な場というのもあるかも知れません。
しかし、それでも、やはり、どう考えても、事実をミスリードさせてまでフェミニズムを持ち上げることに意味があるとは、ぼくにはどうにも思われません。
時々書くことですがツイッターは馬鹿発見器と呼ばれております。
これで馬脚を現した文化人も数多いですが――フェミニストもやはり、(今回のきっかけになったtogetterの本題があまりにも雄弁に物語るように)ツイッターにおいてあまりにも過剰な男性憎悪,ルサンチマンの念が疑問視される傾向にあります。
怪しげな根拠を振りかざし「フェミニストは味方だ、味方だ」というだけでは、支持者を失うばかりなのではないでしょうか?
■補遺■
あの後、藤本師匠とまた少し会話が続いたので、以下に引用します。
藤本由香里 『大島弓子にあこがれて』発@honeyhoney13
@hyodoshinji @AstarteLilium いえ、すでにお答えしました。
(https://twitter.com/honeyhoney13/status/518062797712674816)
兵頭新児@hyodoshinji
@honeyhoney13 @AstarteLilium 聞いてないと思います。拝見して思ったのですが、、「ラディ/リベフェミか?」という質問に対してお答えは「ラディ/リベな思想」というものになっている気がします。
オタク界では「ポルノ規制派」くらいの意味で「ラディフェミ」が理解されており、ここは正しておいた方がラディフェミを自認する方々(いらっしゃるのかどうか存じ上げませんが)にとってもいいのではと思うのですが、いかがでしょうか。
(https://twitter.com/hyodoshinji/status/518064165294862336)
(https://twitter.com/hyodoshinji/status/518064371516604416)
藤本由香里 『大島弓子にあこがれて』発@honeyhoney13
@hyodoshinji @AstarteLilium 私はラディカルフェミニストを自認していないとはっきり言っていますし、ポルノ規制はでもありません。そこに複雑な誤解をしているとすれば、それはあなたの個人的な問題です。
(https://twitter.com/honeyhoney13/status/518067102414950400)
兵頭新児@hyodoshinji
@honeyhoney13 @AstarteLilium どうか、ぼくのツイートをもう一度よく読んではいただけませんか? ぼくは「藤本由香里はポルノ規制派だ!」と言っているのではなく、オタク界隈で「ラディフェミはポルノ規制派である」との風説が流布されている、と言っているのです。
(https://twitter.com/hyodoshinji/status/518070220393828352)
藤本由香里 『大島弓子にあこがれて』発@honeyhoney13
@hyodoshinji @AstarteLilium だから何? 私に「あなたが考える」ラディカル・フェミニストの代弁をしろと? あなたの頭の中にある概念の代弁はできません。私は自分がラディカル・フェミニストであるとは思っていません、とはっきり言っています。これ以上返事しません
(https://twitter.com/honeyhoney13/status/518072633741418496)
兵頭新児@hyodoshinji
@honeyhoney13 @AstarteLilium そんなこと、誰も言ってませんがな。オタク界の風説を基準にすると、あなたはリベフェミ、しかし「フェミニズム事典」の類の定義からするとあなたはラディフェミだ、そう申し上げているだけです。
(https://twitter.com/hyodoshinji/status/518074042272993280)
いかが思われたでしょうか。
こちらが上野千鶴子師匠なども執筆している『岩波女性学事典』から引用しているのに、「あなたの頭の中にある概念」、「思い込みは勝手ですが」だからなあ……またヒステリックに対話を拒絶する態度は、やはりそうした細かいことを考えない層にも、「何か、怪しい」と思われてしまうのではないでしょうか。
コメント
コメントを書く(ID:244198)
少なくとも"ポルノ"についての議論の中で
"反ポルノ"と言うあり方に"疑問の余地"があると見られるようになった経緯があるようです
また当時はポルノ、児童虐待、表現規制など各種の議論がネットで活発化しつつあった中で
「フェミニズムは一律であり、全てのフェミニスト反ポルノを主張している」
と言う認識に反論する内容だと思います
つまり、Catharine MacKinnon(キャサリン・マッキノン)や「ポルノ被害と性暴力を考える会」の主張するような
【女性の平等権を侵害する暴力表現=ポルノグラフィ】
と言う前提が全てのフェミニストに共有されていると言う認識を改めようとするものです。
その後マッキノンについては「女性向けのポルノというのは、実は男が男向けに作っているのであり、その読者の九九%は男である」と発言するなど
レディースコミックなど日本の出版文化、性文化に詳しくないと言う情報も出てきたりしてました。
今回マッキノンのを擁護するページなども検索で引っかかりましたが
2ちゃんねるやTwitterなどを見ていると
フェミニズムについて聞きかじりや一般向け書籍で読んで知ってはいるけど
論文の詳しい内容や歴史、系譜について詳しい人はそういないのではないでしょうか。
--
第171回国会 法務委員会 第12号(平成21年6月26日(金曜日))
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000417120090626012.htm
ポルノ反対論・擁護論 - mzsmsの雑記
http://d.hatena.ne.jp/mzsms/20100913/1284318707
包帯のような嘘 | 貧困生まれフェミニズム育ち。気がつけばオネエでブッチな中流階級ジグザグバイセクシュアル。1985年5月26日北関東生まれ。
http://ja.gimmeaqueereye.org/
児童ポルノとフェミニズム - CGS Online
http://web.icu.ac.jp/cgs/2009/05/post_25.html
セクシュアリティと政治がご専門のChalidaporn Songsamphan先生(2009年春特任教授)とポルノグラフィーについて対談しました - CGS Online
http://web.icu.ac.jp/cgs/2009/12/chalidaporn_songsamphan2009.html
森岡正博女性学からの問いかけを男性はどう受け止めるべきなのか」
http://www.lifestudies.org/jp/rinri.htm
キャサリン・マッキノンの擁護 フェミニズム4
http://www.jrcl.net/frame13a4.html
(ID:244198)
ポルノグラフィ
「平等権」と「表現の自由」の間で
Catharine MacKinnon(キャサリン・マッキノン)
http://www.akashi.co.jp/book/b63729.html
ポルノグラフィと性差別 : マッキノン,キャサリン〈MacKinnon,Cat : 青木書店 / オンライン書店 ブックサービス
http://www.bookservice.jp/ItemDetail?cmId=3107303
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徳島大学 / 教育研究者総覧 --- 中里見 博
http://pub2.db.tokushima-u.ac.jp/ERD/person/246663/work-ja.html
公益財団法人 日本キリスト教婦人矯風会
http://kyofukai.jp/
ECPAT/STOP Japan | 子ども買春・子どもポルノをなくすために私たちができること。
http://ecpatstop.jp/
ポルノ・買春問題研究会 -
http://www.app-jp.org/
ポルノ被害と性暴力を考える会 | PAPS
http://paps-jp.org/
キャサリン・マッキノンと語る : マッキノン,キャサリン・A.【著】 : 不磨書房;信山社〔発売〕;大学図書〔発売〕 / オンライン書店 ブックサービス
http://www.bookservice.jp/ItemDetail?cmId=3713469
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ポルノグラフィ防衛論
アメリカのセクハラ攻撃・ポルノ規制の危険性
ナディーン ストロッセン
http://www.pot.co.jp/books/isbn978-4-7808-0105-7.html
ポルノグラフィ防衛論: アメリカのセクハラ攻撃・ポルノ規制の危険性 - ナディーンストロッセン - Google ブックス
http://books.google.co.jp/books?id=MDViFZFKkegC
(著者)
おお!
久し振りにいろいろと反応があって嬉しいですね。
藤本師匠とはあれからもまたちょっとやり取りがあったのですが、正直ちょっと「中立の人が見ても怪しく思うんじゃないかなあ」と思えるあたふたぶりで、全く話が通じませんでした。
明日辺り補足しようと思っておりますので、よければ見てください。
はあ様>
ぼくもあまり細かい区分に意味があるとは思いません。
フェミは細分化して袋小路に陥っている面もありますし、そもそも学問上の細かい定義など、ぼくにとってどうでもいいことです。
しかし、「ラディフェミはアンチポルノ派だ」との明らかなウソへとミスリードするやり方は許せませんし、しかもそのウソが全て自らにブーメランしているのに彼ら彼女らは気づきもせず平然としている、そのデタラメさはあまりにも非道いなあと。
>後、私も最近togetterを見始めたのですが、まさかこんなに変な人って結構いるんだなと実感する今日この頃です。
大体、フェミに限らず「誰一人賛同する者のいない意見が大ブーイングを受けた」その後、最盛期を過ぎた辺りから擁護派がデタラメな擁護をダラダラと続ける(或いは擁護派に話が通じないのに呆れた一般人が出ていき、その後は残った擁護派同士で傷を舐めあっている)、というのがパターンですねw
nanasi様>
初めまして!(……でしょうか?)
マサキチトセさんという方は文筆活動をしている側ではなく、市井の運動家といった感じのようですね。
しかし、ここでもバトラー(この人はそりゃ有名ですが)が「大いに疑問の余地がある」と言っているだけですしね。それを「フェミは力強い味方だ!」まで広げるんだから、最初からフェミを持ち上げることだけが目的だ、という感じです。
>【女性の平等権を侵害する暴力表現=ポルノグラフィ】
>と言う前提が全てのフェミニストに共有されていると言う認識を改めようとするものです。
これは、確かにその通りだと思います。
藤本師匠の「漫画表現を守りたい」という主張にウソはないでしょう。
しかしマッキノンがレディコミやBLに詳しくない、との逸話が象徴するように(うろ覚えですが、その作者は男に決まっている、と決めつけたのではなかったでしょうか)日本のフェミニストがレディコミやBLといった「おまんじゅう」をゲットしたがため、「ポルノいいじゃん」と言い出したのだとしたら、いずれにせよだらしない話だなあ、と思います。
先にも書いたように、藤本師匠もドウォーキンを肯定的に引用していますし、「ポルノ擁護」と「フェミニズム」とに辻褄をあわせているかとなると、ぼくには大いに疑問です。
彼女らが「リベフェミ」なんていうセコハンの使い回しをするのではなく、ちゃんと論理的な整合性のある理論を立ち上げて「親ポルノフェミニズム」とでも名乗ればぼくも賛同できるのですが(もっとも、そんなことは不可能でしょうが)。