2013年のNPBは、その長い歴史の中でも特筆すべき年になるだろう。それは、3人の異常天才を生み出しつつあるからだ。
その3人とは、田中将大、バレンティン、山本昌である。彼らがそれぞれ、特殊な日本記録を生んだり、あるいは生み出しつつあるのである。
日本のプロ野球にはさまざまな記録があるが、中でも「連勝記録」というのは最も価値の高いものの一つである。なにしろプロ野球は勝つことが大きな目的の一つなわけだから、連勝するに越したことはないのである。
そして今年、これまで稲尾和久が持っていたその記録を、楽天の田中将大が更新したのだ。
また、野球の花といえばなんといっても「ホームラン」だが、王貞治などが持っていたシーズン最多記録を、ヤクルトのバレンティンが驚異的なペースで更新しかけている。
さらに、ユニークな記録としては「最年長記録」というのがあるのだが、先発勝利投手の最年長記録やヒットの最年長記録を、中日の山本昌が更新している。
これら、NPBにとってはいずれもとても重要な記録が同じ年に更新されるというのは、明らかな異常事態である。もっといえば、これは偶然ではない。NPBという組織がある目的を持って生み出した「意思」なのである。その理路について、今回は書いてみたい。
人間は、いうまでもないが社会の中で生きている。その中で、なかなか認識されにくいことではあるが、「社会の意思」というものが存在する。
社会には、人間個々人の意思とは別に、第三の意思ともいえる「社会の意思」が存在する。
では、その「社会の意思」とは何か?
それは、言い方を変えれば「妥協案」のことである。
例えば、AとBという2人の人間がいたとする。
AとBには、それぞれ固有の意思というものがあるのだが、人が2人が集まればそこはもう「社会」なので、この時、2人の間には「社会の意思」というものも芽生えるのである。
この2人が、どこかへ一緒に出かけることになったとする。
この時、Aは海へ行きたいと思い、Bは山へ行きたいと思った。
すると、どちらの意見を採択しても、どちらかの意見は「採択されなかった」ことなるから、2人は、それを避けようとする。
すると、そこで新たに「社会の意思」として、「川へ行く」という妥協案が生まれるのである。
この「社会の意思」は、結果的に誰の意思とも違うものになっている。そんなふうに、社会はえてして個々人の意思とは別の、誰のものでもない一個の意思というものをもって、そちらに向かって歩き出すということがあるのだ。
さて、話をNPBに戻す。
今年のNPBでも、この「社会の意思」が働いているのである。それも強烈に働いている。どういうことかというと、ある種の妥協のうえに、異常天才が量産されているのだ。
例えば、田中将大である。田中将大のような異常天才は、ある種の妥協がなければ生まれない。
では、その妥協とはどういったものなのか?
それは、
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コメント
(著者)
>>2
集合無意識のようなものです。
集合無意識って、説明や証明が難しい――というか不可能ですけど、存在すると考えると、いろいろな事象が説明しやすくなるんですよね。
(著者)
>>4
上にも書きましたが、これは「集合無意識」といわれるくらいなので、ほとんど無意識です。相手バッターは「田中将大を売ってはいけない」ということを全く自覚していません。だからこそそれに縛られるているのです。意識できたら反抗します。
バレンティンの四球攻めは、一つにはその集合無意識の暗示が解けかかっているということ――つまり55本を前に別のプレッシャーがかかったということと、集合無意識そのものも、王さんのこの記録を残しておいた方が……という勢力もあるので、それと激しくせめぎ合っているということもありますね。
(著者)
>>5
千代の富士の連勝は、大乃国という一番空気の読めない相手が止めるということで、当時も微妙な空気になりました。
確かに面白いテーマですね。いずれ深掘りしてみたいです。
(ID:1168733)
ある社会の外側には体感しにくいが内側では異常だと認められている価値が生まれるのは、より大きな社会が新しい価値を生むのを促すので、特に人間社会のような重なりあった生態系は他の種ではあり得ないような異常天才を生み出すのでしょうか。