ここで東條英機の当時の動きを、もう一度時系列で整理してみたい。

1935年7月15日、永田鉄山が殺される。直後の9月21日に久留米から満州へと転任(栄転)になり、関東憲兵隊司令官・関東局警務部長に就任する。

このとき、東條と憲兵とのつながりが生まれる。東條は「憲兵のリーダー」として抜群の才を有していた。釘を打つトンカチのように、憲兵を意のままに動かすことができたのだ。

そこで、まずは当時の関東軍陸軍将校たちの中にいた「共産主義者」たちを洗い出し、順次検挙していく。そうして、憲兵のリーダーとしての第一歩を踏み出す。

関東軍に転任してから約半年後の1936年2月26日、二・二六事件が勃発する。このとき東條は、すでに掌握していた憲兵隊を十全に動かして、ここぞとばかりに関東軍にいた皇道派関係者を検挙しまくる。

この頃から東條は「都合の悪いやつは憲兵隊を使って逮捕すればいい」という独特の政治手法を編