マンガのはじまり:その28(1,696字)
近藤日出造は、1932年に新漫画派集団を作って波に乗り、1933年から読売新聞の嘱託となって売れ始めた。
しかしこの頃から段々と戦争の影が忍び寄る。近藤は政治家や役人が嫌いだったから、なるべく距離を取ろうとしていた。戦争に対しても、なるべく中立な立場を取ろうとしていた。
ただ、持ち前の風刺精神、ナンセンス精神は旺盛だったから、中国戦争初期にはこれを皮肉り、あざ笑う漫画をいくつか描いた。すると、2回ほど憲兵に捕まってしまい、手ひどい取り調べを受けた。近藤の皮肉が不敬罪に当たるというわけだ。
しかし近藤は、二度ともなんとか起訴を免れた。理由は、憲兵に土下座して謝ったからだ。無駄な抵抗は一切しなかった。
近藤は、役人が好きではなかったが、抵抗するプロレタリア勢力とも一線を引いていた。自分はあくまでも一介の漫画家であり、運動家ではないという矜持を強く持っていたのだ。だから、国家とは距離を取りつつも
この記事の続きを読む
ポイントで購入して読む
※ご購入後のキャンセルはできません。 支払い時期と提供時期はこちら
- ログインしてください
購入に関するご注意
- ニコニコの動作環境を満たした端末でご視聴ください。
- ニコニコチャンネル利用規約に同意の上ご購入ください。
コメント
コメントを書く(ID:12768952)
なるほど