新漫画派集団は近藤日出造と横山隆一がツートップだった。近藤が政治的なリーダーシップを発揮すれば、横山は人気と実力でグループを牽引した。
この2人の間を杉浦幸雄が取り持った。杉浦は都会育ちの垢抜けた人間で、ともに地方出身で頑固な近藤と横山の両者と相性が良かった。この3人が上手く関係を構築したからこそ、新漫画派集団は機能した。
そんな中で、近藤は読売新聞と契約する。1933年のことだ。新漫画派集団の結成が1932年なので、結成からほどなくしてのことだった。
近藤は、そもそも新聞社からの仕事がもらえないから窮余の策として新漫画派集団を作った。ところが、作った途端にその新聞社から仕事の依頼が来るのだから、皮肉なものである。
近藤は、最初は新漫画派集団がすでにあるからということと、読売のような最大手に行くことに戸惑い、この依頼を固辞しようとした。しかしどうしてもと強く請われたので、杉浦と一緒に入った
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