日本人の働き方のそもそもの問題は、責任の所在がはっきりしないことである。組織の中で、責任者がはっきりしないのだ。
はっきりしないという構図は、日大アメフト部の例の事件の中でも典型的に現れた。それは、だいたい以下のようなものとなっている。
まず、トップが部門長になんとなく意向を伝える。部門長はそれを「忖度」する。そして、トップの意向を汲み取って、部下に伝える。しかもそれも、ふわっと、ニュアンスを伝えるような格好で伝える。だから、部下もそれを忖度しながら仕事を進める。
ここで、成果が上がれば問題はないが、成果が上がらないと誰の責任かはっきりしなくなる。部下は部門長の責任だと思い、部門長はトップの責任だと思い、トップは部門長や部下の責任だと思う。そうしてなあなあで回っていくから、働き方が一向に改善されないのだ。
そういうふうに働き方が改善されないと何が問題かというと、時代についていけなくなるということである。生産性が下がっても誰も気にしないということだ。いや、そこには実際、もっと大きな問題が含まれている。
今の世の中は、そうはいってもITの波が押し寄せている。だから、各企業の生産性はいやがうえにも上がるはずだった。たとえば、電子メール一つを導入しただけでも、生産性は大きく違う。
しかし、電子メールの導入で生産性が上がると、そこに働く人々は、新たに別の能力が問われることになる。たとえば、これまで連絡の達人、会議のスケジューリングの達人だった人は、メールやカレンダーソフトの出現で、自分の仕事がなくなってしまった。その分、新しい仕事を覚えなければならない。
そこで、非日本型組織だったら、そういう人の仕事がなくなったとすぐに分かるから、組織は新しい仕事を割り振り、その人もしかたなくそれに挑戦する。というか、挑戦せざるを得ない。
しかし日本型組織の場合、責任の所在がはっきりしないから、その人の仕事がなくなったということにはすぐには誰も気づかない。これは、驚くべきことに本人も気づかない。なぜなら、普段から責任に焦点が当たっていないからだ。
しかしながら、その人は意識はしなくても、無意識に「自分は役立っていない」ということには気づく。そして、焦る。焦って、自分がしている連絡やスケジューリングが今ではもう重要な仕事でもないのに、大した仕事であるかのように見せようとする。「忙しいアピール」をするようになるのだ。そうして周囲に、そして何より自分自身に、「自分はこの組織で役に立っている」と信じ込ませようとするのである。
そういう人が何を始めるかというと、それは残業だ。なぜなら、残業はそのまま「時間」という分かりやすい形で現れるので、働いている振りができるからである。それは周囲に対してもそうだが、何より自分自身に「私は働いている」と信じ込ませることができるようになるのである。
今の過労死も、多くの根底にはそうした構造がある。責任の所在がはっきりしない組織の中で、多くの人が残業すること、長時間働くことで、自分の居場所が確保されているかのような錯覚をするのだ。そういう錯覚の中で長時間労働が常態化、常識化してしまうのである。
マインドコントロールというのは、そういうふうになされる。過労死するまで働くというのは、単に強制されただけではそこまでいかない。人間は鞭だけではそこまで行かない。飴がないと動かないのだ。
北風と太陽のたとえの通り、北風はコートを脱がすことができない。太陽だけがコートを脱がすことができる。
過労死するほど働かせるというのは、上司が強制しただけでは無理である。北風だけでは無理だ。
そこには太陽が必ずある。つまり、長時間労働させることによって、その人の居場所を確保してあげるという甘い飴が、そこに横たわっているのである。
だから、まずやめなければいけないのは、長時間働くことによって居場所を確保するという、その企業風土である。長時間働いたものを褒めるという文化を、まずはやめなければならない。
そして、それをやめるためには、責任の所在をはっきりさせるような組織を作らなければならない。手柄も失敗も、責任が明確になるような組織運営が必要になる。
そういう組織を作らない限り、日本の働き方は改善されないだろう。
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コメント
×働き方○働かせ方
働かせ方よな
「上からの改革」では、資本家に対して働かせ方を改めるのが限界。
労働者階級の意識改革は、信仰や教育の問題。法改正よりも確実に時間がかかる
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(ID:262321)
論旨の所在がはっきりしない日本型文章だなぁ