2025年は「少子社会元年」になるだろう。いや、社会的にはならないかもしれないが、少なくともぼく個人はそうなる。

「少子社会」とは少子化を受け入れ、それを前提とする社会のことである。そういう社会を、ぼく自身がぼくの周囲だけでも構築していく。

そういう社会の中では、次の三つのことが肝要になるだろう。一つは子供のシェア、二つはロボット化、三つは死の需要である。

子供が少ないことの一番の問題は、街角から子供の笑い声が消えることである。多子時代(戦後しばらく)の一番の幸福は、子供の笑い声が街角に溢れていたことだ。

小津安二郎の戦後の映画にはよく子供が出てくる。それも街角に出てくる。そうして彼らは街角を笑い声で満たした。小津がその光景を描いたのは、街角の子供の笑い声こそが、戦後の日本において最も描くべきものと感じたからだろう。

この光景が、今の社会にはない。子供は隠されるようになってしまった。この状