これは、なかなか答えのでない問題である。
この問題について、我々に深い示唆を与えてくれるのは、アメリカのフィルムメーカー、コダック社が見舞われた運命だ。
コダック社は、写真用フィルムのメーカーとして世界一の企業だった。その製造・販売から莫大な利益を上げており、90年代まで経営は盤石、その牙城を揺るがすものは何一つ考えられなかった。あるとすれば、富士フイルムを初めとするライバル社との競争くらいだったが、これにも圧倒的なアドバンテージを誇っており、文字通りガリバーとして、フィルム業界に君臨していたのである。
ところが、そんなコダック社は1975年に、自らのその牙城を突き崩す、怖ろしい発明をしてしまう。それは「デジカメ」だった。これが発展し普及すれば、写真用フィルムの需要がきれいさっぱりなくなってしまうという、コダック社にとっては――いやフィルム産業
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コメント
(著者)
>>5
面白いですね。確かに「アイデアを聞いた瞬間に、実現されたと仮定したときに想像される幸福度で政策などが決められる」というのはその通りだと思います。そう考えると、もっと先のことを想像できる訓練というのがこれからは必要だと思います。想像力は鍛えられると思うんです。
ネイティブアメリカンには、「7世代後のことを考えて行動しろ」と教えていたみたいです。7世代というと1世代25年として175年ですね。だとすると、人間は鍛えれば、何とか175年先くらいまでは想像できるようになるのではないでしょうか。
短期的には身体の中心から末端まで苦しむことになったとしても、長期的にはニュートラルな身体を維持することができる。
そのような身体はあたかも破壊された部分が超回復するかのように環境の変化に適応しやすい。
短期と長期のどちらを選ぶかの判断基準は、何を勝利とするか、想像できる勝利の範囲によって変わるということでしょうか。
(著者)
>>10
そうですね。想像力そこがより長いスパンでの勝利を得ることができる。ぼくも気づいてなかったですが、想像力こそが鍵だったんですね。
(ID:13870557)
極論を言うと、人間は明日死ぬ可能性がある・・・となった時に、この判断は本当に難しいように感じます。