2025年の計:その3(1,747字)
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2025年は「推理力」を高める年にしてはどうだろうか。ぼく自身は少なくともそうしようと思う。なぜなら推理力こそ、これから最も重要な能力の一つになると思うからだ。
では「推理力」とはどのようなものか?
それは聖徳太子のようなものだ。つまり「一を聞いて十を知る」という状態である。少ない情報で、それより大きなものの存在を知ることだ。
これと真逆なのが「データ主義」である。「エビデンスベースド思考」といってもいい。今までもそうだったが、今年はますますデータやエビデンス、統計などが価値をなくすだろう。代わりに「予想」が価値を持つ。
氷山の一角を見て、氷山全体を想像する。そういう推理力がだいじになってくる。では推理力はどのように養われるか? またそもそも推理力とは何か?
推理力は、理系脳と文系脳が合わさると発揮されるものだと思う。それは、人に請われてするというより、「ついしちゃう」という種類のものだ。
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