高校生の時、倫理の授業で、ベンサムの幸福論を簡単に説明してもらったときに、同じようなことを考えたことがあります。 最大多数の最大幸福という話だったのですが、どの時点での最大幸福を目指すのかで、手段、方法が全然変わってくると思ったのです。 ハックルさんの文章を読んで、そのことを思い出したので、もう一度考えてみました。 ・アイデアを聞いた瞬間に、実現されたと仮定したときに想像される幸福度で政策などが決められるのではないか? ・しかし、人が想像して幸福に思える期間は、現在から10年、20年で、幸福となる時点が現在から離れていくほど、想像できる幸福度は弱まってしまうのではないか? よって、大企業や政府、人類(個人や少人数グループは200年後の幸福を考える人たちもいるかもしれないが)が考えることは、人が生きることが出来る期間、つまり最高100年程度先までのことを考えるのが限界なのではないかという考えにいたりました。 つまり、100年以上前に対応しておかないと詰んでしまう状況になったとき、人類は滅亡してしまうかもしれません(笑) 長文失礼しました。
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(ID:5103109)
高校生の時、倫理の授業で、ベンサムの幸福論を簡単に説明してもらったときに、同じようなことを考えたことがあります。
最大多数の最大幸福という話だったのですが、どの時点での最大幸福を目指すのかで、手段、方法が全然変わってくると思ったのです。
ハックルさんの文章を読んで、そのことを思い出したので、もう一度考えてみました。
・アイデアを聞いた瞬間に、実現されたと仮定したときに想像される幸福度で政策などが決められるのではないか?
・しかし、人が想像して幸福に思える期間は、現在から10年、20年で、幸福となる時点が現在から離れていくほど、想像できる幸福度は弱まってしまうのではないか?
よって、大企業や政府、人類(個人や少人数グループは200年後の幸福を考える人たちもいるかもしれないが)が考えることは、人が生きることが出来る期間、つまり最高100年程度先までのことを考えるのが限界なのではないかという考えにいたりました。
つまり、100年以上前に対応しておかないと詰んでしまう状況になったとき、人類は滅亡してしまうかもしれません(笑)
長文失礼しました。