メランコリー ジャーニー(傷心旅行)はメキシコでも次のグアテマラでも癒される事はなかったが、コスタリカの首都サンホセで一変した。こぎれいな街並み、街を吹き抜ける爽やかな涼風、清楚で人懐っこい人々、若い女性のきれいな事、これはもう地上の楽園だと感激した。日本の気候に例えると五月の爽やかな暖日のそれ、これが年中毎日続くのである。一年の半分は雨期で午後から雨になるが南国の雨でうっとうしいことはない。赤道に近い南国とはいえサン ホセは海抜1200メートルの高地に位置するので年中こういう気候で、私の知る限り世界で最も快適な気候帯の一つである。なだらかな山裾の台地に広がる百 万都市サンホセは街全体が樹木に覆われた緑の楽園で、中米のスイスと呼ばれるのにふさわしい。人種はほとんどがスペイン系白人でコロンビアやチリと並び頭文字を取って3Cの美人国と称せられるがまさにそうである。
私はサンホセについた翌日早速、朝日がキラキラ と輝く街並にくりだした。涼しい風が街路樹のトックリ型パームツリー(ヤシ)の葉をサラサラとならしている。街の中心部にあるコスタリカ国立銀行脇の広場 にやってきた。現在も同じ場所にあるが、マクドナルドチェーン店の本店がそこにあった。今も昔もファーストフッドの店作りに大して変わりはないが当時に すれば実にモダーンなものであった。ウインドーガラスの外からのぞくと、中では白人美人のキャッシュアー娘達がカウンターの向こう側にずらりと並び働いていたが、まるで美人コンテストみたいであった。中央のキャッシュアー娘に目が行った時ドキッとした。私好みのハリウッドスター、キャンデイス バーゲンを若くしたような、はたち前の清楚な超美人がキャッシュアーのキーを叩いていたからだ。背丈は私と同じぐらいの170cmたらず、全くの八頭身美形でお尻と胸の形が完ぺきだ。少々気がひけたがもう我慢できない、猪突猛進でドアを空け彼女の前に立った。胸はドキドキ、顔は赤面である。昔メキシコで習った下手なスペイン語でシェイクを注文した。動悸の高まりで声がうわずっているので自分でも何を言ってるかよくわからない。吹き出しそうになった口を手で押さえ、彼女がにっこりと微笑んだ。そのときの彼女のスマイルは今でも忘れられない。それから毎日行ってはシェイクである。彼女の前に立つ2、3分の間に二言三言と言葉を交わすが、日を重ねるごとにはずかしさが遠うのき、後ろに誰も待っている者がいなければ余裕をもって会話を長くする事ができた。
“アウレリア、ご機嫌いかが?”
“快調よ、エイシー”
“昨日はあれから博物館に行った”
“何見たの?”
とこんなたぐいのものだった。
彼女が少なからず私に好意を持ってくれてるのが解ると周りの彼女の同僚達も私に温かいスマイルをおくった。もはや我が世の春だ、アッと言うまに一週間が経ってしまった。一日一度、時には二度、ただただ彼女に会うためだけに滞在していた。パナマやコロンビアに足を伸ばすのはもう止めた。休暇はあと4、5日を残すだけとなった。もはや勇気を出して彼女にデイトを申し込まなければならない。
“仕事の後でデイナーでもどう?”
やっとのおもいで彼女にデイトを申し込んだ。
“帰宅が遅くなるから父の許可を取らなければならないわ”
“では、お父さんにお願いしてくれる?”
“いいわ”
“ブラボー、ケ ビエン、グラシアス(ワーオ、やった!ありがとう)”
...素晴らしい、彼女は同意した、第一ステップはクリアした、一週間待ったかいがあった、一瞬世界が明るくなった...天にものぼる気持ちで胸がキューとひきしまった。
翌日、意気揚々と
“お父さんのおゆるしは?”
と訊くと
“まだなの”
と同情して微笑むだけ。
次の日も又
“お父さんの許可は取れた?”
“まだなの、なかなか言いだせないの”
“それじゃー、あなたのお家に伺って、僕から直接おとうさんにおねがいするよ”
“ダメよ、そんなことしたら私がパパからぶん殴られるわ、パパはとても厳格な人なの”
と空振りにおわった。
これが効いたかわからぬが、三日目に
“ゴメンね、もう日本に帰らなければならない予定がせまり焦っちゃって、パパのお許しは出た?”
と訊くと
“いいのよ、わかってる、パパが許してくれたの。今日の五時お仕事の後お店の外で待っててくれる”
“ケ ビエン ケ ビエン グラシアス”
まさに天国に昇った感じだ。
後でわかったが、此処ではそういう事はあまり焦ってはならない、この場合外国人特典だったのだ。
そわそわしながら待つ時間の嬉しくてたまらないこともあるがまた長いこと、こういう気持ちを味わうのは生まれて初めてだった。
ドアから出てきた彼女を見て、私はまたもハッとした。勤務中は髪を後ろで束ねたポニーテール姿で制服のライトブルーのシャツを着て働いていたが、今の彼女はその褐色の髪を解かし、白いブラウスと濃紺のパンタロンの私服姿でやってきた。肩の下まで伸びた長い髪に被われた彼女の顔はあどけなく、どう見ても 16、7歳にしか見えない。着ている物も高校生の制服にちがいないとおもった。白いブラウスを突き上げる胸も程よく膨らんでいるが、まだ成人女性のそれではない。一緒に連れたって歩くが、複雑な心境である。
それでも
“どこに行こうか”
“どこでもいいわ”
“なに食べようか”
“何でも好きよ”
と言葉を交わす時、目が彼女の横顔にいき、つい下方のブラウスにいく。
ブラウスの間からのぞく胸元の真っ白い素肌がまぶしく、たまらない気持ちにさせられた。
近くのピザハットに入りテーブルに向かい合って腰掛けると、神妙な顔つきの彼女にたいし私はおそるおそる口をひらいた。
“あなたの働いている姿を見て、また言葉を交わして、僕はあなたがてっきり18、9歳のセニョリータと思い込んでアタックしていた。髪を下ろした姿のあなたを今日初めて見てビックリした、まるで高校生みたい。ゴメンナサイね、もうあきらめなくっちゃ”
“いいのよ、私はもうじき17歳の高校三年生。これは休み中のアルバイト。あなたの事はいつも両親や兄弟に話していたわ。もうパパからあなたとの交際の許可ももらってるの。ママや兄弟ははじめからよ。ここでは17歳になれば親の許可をもらって男性と交際するのは自由よ。結婚する娘だっていっぱいいるわ。明日あなたを私の家族に紹介するため私の家へお連れしたい。ところであなたはおいくつ?”
“僕は31歳”
“ヘー、東洋の人って若く見えるのね.私はあなたが25、6歳だと思っていたわ”
意気消沈していた気分がまたしても高揚
“だけど、15歳もはなれていて構わないの? 本当に付き合ってくれるの?”
“年齢なんか問題ないわお付き合いしてみましょう”
“ほんとに? ウワー ありがとう”
もう地獄からいきなり又、天国へまいあがったような気持ちになった。
こちらの女性は若くても大人ぶり、どこかの国ではいい大人の女性がこどもぶる、と言う印象をうけたものである。彼女の家族と会った次の日に日本に向かってコスタリカを発った。それからパンアメリカン航空を辞める一年足らずの間に7回もコスタリカをおとずれた。
ある時は、週末の4日間で東京-コスタリカ間を一往復し、コスタリカ滞在が一泊だけ、彼女に会っていたのが二時間たらずということもあった。
つづく
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