数年にわたる原石屋稼業で貯めた十数万ドルを資本に、買い付けオフイス、輸出業を始めた
バイヤーの買い付け金額をコミッショニスタへ支払い、後日バイヤーの買い付けした商品を輸
出して、その代金が送金されてくる訳であるが、その国際決済手段はおもにL/C(レター・オ
ブ・クレジット)かD/P(ドクメント・アゲインスト・ペイメント)に依るものであった。
いずれにしても、輸出書類を銀行に提出したあと口座に入金されるまでの所要日数が幾日かあ
ったが当時の日本の銀行はこれがすこぶる長く、できるだけ引き伸ばし金利稼ぎをしていた。
この不誠実な銀行の態度で僕は危うく一命を失くすハメになった。
溝端商会のバイヤー、畠山君が買った一千万円ほどの大きいロットの売主が、エスメラルデー
ロでも有名なラウル・デイアスであった。
彼はスペイン系白人の一メートル九十センチの巨漢で、全コロンビア ミドル級チャンピオン
をうかがう順位二位のボクサーでもあった。
その彼への支払いが、東京のT銀行からの送金の遅延で、約束の支払い日から一週間も遅れて
いたが、まだ送金が着かなく、小切手は不渡りとなり、秘書のオルガが言い訳をするのに冷や
汗をかいていた。
ラウルには僕のサインした買い付け日から三週間後の支払い約束小切手が振り出されていた。
次の週が開けて十日も遅れると、彼は激怒し直接僕に電話を繋がらさせ、
凄まじい剣幕で吠えた。
「ハヤタ、お前もエスメラルデーロなら知っての通り、俺がその商品を買った売主は、俺から
彼への支払いが遅れて、烈火のごとく怒って俺を殺すと喚いている。その彼もまた先の売主の
鉱山主から、殺すと警告されているんだ」
これは単なる脅しではなく、あと数日も支払いが遅れれば、この数珠繋ぎの支払い連鎖のどこ
かで殺人が起こっても不思議ではなかった。それが当時ののコロンビアであった。
「わかってる、ラウル。明日にでも送金がつくと思う。決してウソをついて引き伸ばしてるん
じゃないんだ。すまんけどあと二、三日待ってくれ」
これ以外の言い訳はなかった。
「よし、あと三日待って払ってくれなきゃ、最後の手段を取らなきゃならねえ」
「ふざけた銀行のバカがいくらママンドガジョ(不誠実な操作)して遅らしても、今週中には
絶対に送金は着かなきゃならないんだ」
電話をほうほうの体で切った僕は、早速にもボゴタの送金到着の指示銀行に連絡し、ニューヨ
ークのコーレス(中継)銀行の彼らの口座に入金されているか調べてもらうも、それは依然と
して無しであった。すなわち、日本のT銀行からの送金がまだニューヨークに着いていないと
いうことである。ニューヨークに送金が着けばコーレス銀行は、それが中継されるべきコロン
ビア側の銀行の口座に直ぐに入金する手筈になっている、それが業務だから。
お客さんからは取引先の地場銀行に支払いされており、その地場銀行は国際決済銀行のT銀行
に振り込んでいるが、その上部に位置するT銀行が権威にものをいわせ下部の銀行に悪態をつ
いているのである。金は受け取っているくせに、資金繰りで金が回らないのか、すぐに送金す
べきところのものを遅らせているのである。
結果としては金利稼ぎをやっているわけであるが、バブル経済の拡大期では銀行も金を働かせ
まくり、不足分は客に不都合をきたす、これが当時の日本の銀行の常態であった。
肝心なことは、これが欧米先進国の銀行相手ならやらないくせに、後進国の銀行相手なら平然
とやるのである。
三週目に入り依然として送金はなく、ついにラウルの堪忍袋の緒が切れた。二人の子分を連れ
て、オフイスへ怒鳴り込んできた。入り口のガードマンを突き飛ばしオフイスへ入ってくると
僕のデスクの前に立った。
「ハヤタ、明日だ明日だと言いながらもう半月も経った。お前らチーノ(中国人を蔑称的に呼
ぶ)のゴネ得は許されねえ」
「言っておくが、オレは信義厚い日本人だ」
「チノ(中国人)だろうと、ハポネス(日本人)だろうと同じムジナの東洋人だろう。サンア
ンドレス(コロンビア最大の輸入品闇市場)では汚ねえ商売してやがる」
「それも大部分はコリアーノ(韓国人)で、中国人も少しはいるが日本人は誰一人もいない。
奴らだって税金ぐらい払っているだろうに」
「あそこにいる奴は誰も払ってねえ。そんなことはどうでもいい。これが俺の最後通知だ!
一週間以内に、早急に金を作って耳を揃えて払うか、商品を日本から取り寄せて返せ! さも
なきゃ、お前を殺る!」
「ラウルあんたの立場はよくわかる。あんたも先方の売主からヤンヤやんや言われているのだ
ろう。だけどな、お前に脅されて払う、払わないのタマじゃねえよ、オレは! 送金がつくま
では払えねえもんは払えねんだ!」
「脅しじゃねえ!払わなきゃ本当に殺るってことだ! 俺の商品は、絶対お前にネコババさせ
ねえ!」
「勝手にしやがれ!原因は全てこの銀行だ! お前なんかにむざむざ殺られるようなヤワじゃ
ねえ、オレは!」
ほぼ怒鳴り合いにちかく、話は決裂した。
「フエー・プータ(サノバビッチ)!」
の捨て台詞を残し、ラウル一行はオフイスを出て行った。
その翌日も、またその翌日も送金は着かなかった。僕は東京のお客さんを通し銀行に抗議する
より他はなかったが、お客さんから取引相手の地場銀行に抗議しても、その地場銀行から外国
決済銀行のT銀行に対する抗議は、力関係において単なる依頼にとどまることしか期待できな
かった。そんな依頼などは全く無視されていたに違いない。T銀行から地場銀行への言い訳は
いつも決まって、中継のニューヨークのコーレス銀行で手間取っている、と明らかなウソを並
べていた。その証拠に遂行されるべきものが、一月近くも遅延しているのである。世界屈指の
ニューヨークのコーレス銀行が金利稼ぎで、中継送金を長期間ストップさせることなどは考え
られない。なぜなら入金、出金のデータに基づき不正な操作はあとで補償請求されるからだ。
現在では低金利時代になり、世の中のモラル・レベルも向上し、こういう銀行の横暴さもなり
をひそめ、過去の笑い話しになったが、当時は世界中の銀行が大なり小なりズル賢く、世界各
国の宝石業者と貿易していた僕は、あちらこちらの銀行から煮え湯を飲まされたものである。
ちなみに銀行間送金などは現在では一両日で着く。
次の一週間は毎日、セクレタリーのオルガが泣きそうな女声で、
”ラウルさん、誠に申し訳ないが、今日も着かなかったの、本当にヒドい日本の銀行です。明
日には着くと思います”
と言い訳をしていた。
彼の返事はいつも「ミエルダ(くそ)! シエンプレ ミズモ(いつも同じだ)、バア ベル
(今に見ていろ)」だけであった。
そして、遂にラウルが宣言した一週間後の約束の日がやってきた。午前十時を回った頃、門番
のファビアンが告げた。
「セニョール・ハヤタ、ラウルがやって来た」
ファビアンは素早くドアを開けた。ドアを蹴っ飛ばされたり、強く叩かれて、気分を害された
くなかったからだ。ラウルはドアから少し入ったところで立ち止まり、机に向かっている僕を
見据えた。彼の射るような視線とぶつかった僕の視線も冷たく冴えていた。かれの顔面は蒼白
で、怒りを眼の奥にギラギラとたぎらせていた。
思えば何度こんなにらみ合いからケンカになったことか。高校時代の番長を張る前の球磨川の
河原の光景が蘇った。
コメント
コメントを書く