エメラルド地帯に一歩足を踏み入れビックリした。街を歩く誰でもが腰に拳銃をぶち込んでいるかぶら下げているのである。それにカウボーイハット姿であるから1800年代のアメリカ西部にそっくりである。さすがに女や老人は銃をぶら下げてはいないが肩にポンチョ、頭にカウボーイハットであるからほとんど皆同様に西部の人間たちである。町並の古い建物も西部劇映画でおなじみのその当時のメキシカン風と大差ないので、まるで西部時代のアリゾナかニューメキシコにタイムスリップしたのではないかと戸惑ってしまった。現代のアメリカ西部にも当時をしのび、西部劇風の街並を再現しそこに住む人も当時の服装で街を散歩しているところがあるけど、所詮それはアトラクションにすぎない。
私はこのエメラルドゾーン(地帯)の町や村がいっぺんに気に入ってしまった。まもなく私も同じスタイルで街路を闊歩するようになった。町はずれの草むらや山道で毒蛇に咬まれたり、サソリにさされたりしないようにウェスターンブーツも着用したので、もはや私は西部のガンマンそのものであった。この地域があまりにも危険だから銃は護身用に不可欠だし、つば広のカウボーイハットは南国の強い日射を遮るために必要なので、これは決して伊達や酔狂でやってる格好ではないのだ。
しかし、こういう生活様式だから人々のいさかいトラブルはいきおい銃がその解決手段となった。酔った上での口論に拳銃が火を吹き、恨みが暗殺を呼び(本人がやらなくともヒットマンがごまんといる)、コロンビア名物のそのベンガンサ(復習)にまた銃が活躍、銃による殺人事件は日常茶飯事で絶え間なく起こり続けている。その上に強盗に寄る襲撃や共産ゲリラと政府軍や民兵パラミリタールとの銃撃戦を加えると、とてつもない銃の実用社会である。私はこういう銃社会で多数の敵に遭遇し銃撃戦を幾度か経験してきた。
コロンビアヘやってきて2年目を迎え、ようやくエメラルド原石屋として安定し始めた頃の出来事だった。原石の見分け方や上手な買い付け方、研磨のしくみ、販売方法などエスメラルデーロ(エメラルド原石屋)の全てを教えてくれたスサーナとわかれ、二人目のソシオ(パートナー、相棒)となった研磨職人のミゲルと連れだって“山(エメラルド鉱山地帯)”へいくのが日常行為となっていた。週末にボゴタを出発し鉱山地帯を原石を求めて徘徊し、週明けにボゴタヘまい戻り、週間中に研磨して売り出し、週末までに販売金のキャッシュを手にして再び山へ戻る生活だった。
その日は雨期が未だ空けきれぬどんよりとした空模様の肌寒い日であった。ボゴタもチボール鉱山も共に海抜二千メートル以上の似たようなアンデス山脈の高山気候帯である。同じボヤカ州に位置するムッソー鉱山はチボールとは対照的に海抜三百メートルの熱帯気候帯である。
その日はチボール鉱山ヘの行脚となった。ボゴタをバスで前日金曜午後に発ち、夜チボール鉱山麓のガラゴアに着き宿泊し、今朝方そこの朝市で原石のひと商売をこなしてきた。その足でバスに飛び乗り、昼方ラスフンタスのダム人造湖におりたったとこだった。此処からアンデス連峰の山頂に近いチボール鉱山まではヒッチハイクか歩きだ。此処からチボール村へは一日に一本しかバスの便がなく朝便はすでに発っており、下山便は午後三時にチボール村を発つことになっている。歩くとなれば急いでも四、五時間は覚悟しなければならぬ。幸い時々エスメラルデーロのジープが通るので普段はもっぱらヒッチハイクである。この頃のかけだしの私には未だ高価なジープの中古を買う金もなかった。
湖畔の道ばたに雑貨屋兼カフェテリアがひっそりと一軒あり、その前に二台の古びたジープがとまっていた。周囲はさっぷうけいで人家や人影が全くない寂しい場所である。昼飯をかねて一息入れようと我々はカフェテリアへ入っていった。土間に粗末な木製のテーブルが四卓あり、その一つに一見してエスメラルデーロとわかるカウボーイハットの三人組が雑談していた。卓上には一ダースぐらいのビールの空き瓶が並んでいる。顔見知りの店主のおばさんに鶏のタマーレスを注文し、今朝がたガラゴアの朝市で買った原石を取り出してふたりで検討していた。まもなく三人組のうち二人が立ち去り、もう一人の厳つい顔つきのでかい男が我々のテーブルに近ずいて来た。
“あんたら原石バイヤーかね?”
“そうだけど”
ミゲルが応えた。
“いい商品があるけど見るかい?”
“ああ、喜んで、まー掛けなよ”
とミゲル。
普段は割と無口なミゲルが商売となるととたんにリーダーシップを発揮し饒舌になる。男が汚れたハンカチをポケットから取り出し卓上にひろげた。二十個ぐらいの小粒の原石が出てきた。我々が一個一個手に取り宙に浮かし中を透かして吟味している間中、この男は酔っぱらいのひとりごとのようにご託を並べた。
“俺はラファエルと言ってな、この辺じゃ知らねえ奴はいねえ。ムッソーやチボールでは俺の事をみんな知ってるぜ、三人も殺ってるって事もな。ほら良い商品だろう、ケチなオファーするなよ。で、いくらだい、あんたらのオファーは?”
材質は中級品だがキズが多いので私がミゲルに
“こりゃキズだらけだ、やめとこう、返そうぜ”
と言うと
“黙ってろチノ(中国人)、お前の相棒は気に入って見てるじゃないか”
と男が言う。
“俺達はソシオ(パートナー)だ、買う時は一緒だ”
私が応えた。すぐに返しちゃ相手に悪いと思って見るのを長引かせているミゲルが
“ものはいいけど、キズがちょっとあるんでね、やすいオファーしちゃあんたに悪いからやめとくよ”
と歯切れの悪い言い方をして返そうとした。男はさらに商品を突き返し
“いくらでもいいから言ってみな”
とミゲルに迫った。
ミゲルがきまりわるそうに
“それじゃ、一万五千ペソだ”
と応えた。
男は即座に
“そりゃねえだろう、俺はこれを二十万ペソで買ったんだ”
とどくずいた。
“うっ、後でまた考えるよ”
とミゲルが言葉を詰まらせながらこたえ、ハンカチの商品をまるめて男につき返した。
男はいまいましそうに
“あーそうかい”
というと、意外にあっさりと商品をズボンのポケットにねじ込んだ。
勘定を払うとき店主のおばさんがそっと耳打ちをした。
“気をつけなよ、あいつはこの辺じゃ有名なあくどいゴロツキだから”
街道の分岐点、前方がボゴタ、後方がガラゴア、もう一方に枝分かれしているのがチボール街道、その三叉路でヒッチハイクしようと店を出て歩きだしたところに件の男ラファエルがジープで近ずいてきた。
“チボールヘ行くんだろう、乗せてやるよ”
ミゲルは辞退したが、こんな奴を怖がってると思われたくない私は
“乗せてもらうぜ”
と同乗した。
曲がりくねった上り坂を一時間ほど走りチボール村についた。ラファエルはその間危険な山道の運転に気を取られ始終無口であった。村の中央広場で彼に礼を言って別れた後、我々はそこから三キロほどのところにあるグァリ鉱山に向かって歩いていった。鉱山で働く鉱夫や付近に住む農夫達とそこそこの商売をした。鉱夫は人目をしのんでくすね、農夫は夜中に鉱山に侵入し盗掘するのだ。だから値段は安い。
グァリ鉱山を後に今度はチボール鉱山に行く事にした。グァリ鉱山とチボール鉱山とチボール村はそれぞれ三角形の頂点のような位置にある。グァリから尾根ずたいに下っていき、チボール村とチボール鉱山への分かれ道にやって来たら、さきほどのラファエルが地べたに腰を下ろしていた。まるで我々を待ち伏せしていたかのようである。さらに酒を飲んだと見え顔が依然赤みがかっている。彼は立ち上がるとミゲルに近寄り腕を首に回して抱き込み、威圧的に言った。
“お前はあのロット(商品)を買わなきゃならねえよ。お前に見せた後で石が一個なくなっていた。それも一番いい石がな”
“冗談じゃないぜ、俺は見てたけど、石なんかなくなってねえ”
私が応えた。
“うるせえ、チノ、てめえは引っ込んでろ”
と腰の拳銃に手をやった。ミゲルは身体を硬直させ、顔面蒼白となった。弱々しく反論するミゲルに有無を言わさず、なくなった石を五万ペソで弁償するか全部を十万ペソで買い取れと迫った。
“なくなってもいないものを弁償するいわれはない”
とミゲルが拒否すると、男はやにわに腰の拳銃をひきぬいてミゲルにむけた。
“一寸待て、三千ペソやるから”
と震える声でミゲルが言い、ポケットから抜き出した札束を数え始めた。
“全部だ”
男がミゲルの札束を覗き込むように言い放った。
その瞬間の隙をとらえ私は男の持つ拳銃に横蹴りを食らわせた。銃がすっ飛んで五、六メートル先の草むらに落ちた。男はそれを拾いに走った。
“ミゲル逃げろ”
の私の声で二人は村の方角に向け駆けた。三十メートルばかり走ったところで後ろから、
“マリカ(馬鹿やろう)!”
の罵声と共にダ、ダーンと二発の銃声がしたので、横っ飛びで脇に避けた。
チボール村に着いたらミゲルが警察の駐在所に届け出たいと言うので、私は気が進まなかったが同行した。一通りいきさつを聞いた警官が言った。
“それで何がして欲しいんだ? あんたの空手でぶち殺してしまえば良かったんだ。あんな奴が殺されたって何の捜査、立件もしないさ”
不安げなミゲルの気持ちが収まるまでしばらく其所にいて駐在所を立ち去ろうとした時、開けっぴらきの表通りを丁度例のラファエルが車で通りかかった。警官が彼に声をかけた。
“ラファエル今日もだいぶ飲んでるな?”
“一寸だけさ、真面目に働きな若いの!”
彼が応えた。 署内の我々の姿に気がつくと鋭い目つきでこちらを睨んだ。
午後三時の下山便は一時間以上前に出た後なので今晩はここでの宿泊となった。遅い昼飯ともつかぬ早い晩飯をプラサ(広場)の一角に陣取るアサデロ デ カルネ(街頭焼き肉屋)で取る事にした。ビールを傍らに炉端焼きのビーフとジャガイモをほうばっていたら、農夫らしい男がやってきてビールを脇で飲み始めた。
“あんたら原石を買ってんのかい”
と農夫が話しかけてきた。
“そうだ”
と私が応えた。
“外じゃ持ち運びに危険だから家にあるけど、いいロットを持っている。見に来るかい?”
“いいね、家は何処だい?”
私が訊いた。
“すぐそこ、チボール鉱山街道を十四、五分行ったところの川辺りの家。その辺には俺の家しかないからすぐわかるよ。あんたらと商売するのをほかの者に見られたくないから先に帰って待ってるよ”
と言うとビール代を清算して帰ってしまった。
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