今週のお題…………「PRIDEはなぜ成功したのか?」
文◎谷川貞治(巌流島・事務局)……………月曜日担当
文◎谷川貞治(巌流島・事務局)……………月曜日担当
今月は過去の格闘技イベントから、格闘技の復興を考える月間です。第1週目の「K-1」、第2週目の「グレイシー柔術」に続いて、今週は「PRIDEはなぜ成功したか?」をお題に論客の皆さんに書いていただきます。
PRIDEは大きく分けて、3つの時代があります。まず第1期が高田vsヒクソン戦で始まった「KRS時代」。第2期が森下さんが社長となり、百瀬さんや猪木さんが関わるようになった「DSE時代の方向転換」。そして、森下さんが亡くなり、榊原新体制になってK-1と戦争を続けていた第3期です。
私はこの内、第2期にPRIDEと深く関わっていましたが、第1期~第3期までずっと実質的にプロデューサーをしてきたのが、東海テレビ事業からDSEの社長となった榊原信行(バラ)さんです。バラさんは東海テレビ事業にいたことからも分かるように、イベンターのプロ。しかし、我々のように業界にどっぷりの格闘技の人ではありません。そのバラさんが、東海テレビ事業部時代にK-1やUインターのイベントを名古屋で手掛け、石井館長や我々と出会い、格闘技に関わるようになった。中でも、一番の出会いは高田延彦さんとの出会い、そしてヒクソンの知り合いと出会ったことでしょう。そこで、バラさんは執念で高田vsヒクソン戦を実現させました。いきなり、東京ドームでやったんだから、これは誰も真似できないほど力を持ったイベンターです。ハデな仕掛けがバラさんも好きなんですね。
しかし、PRIDE立ち上げの創成期時代は、あまりうまくいきませんでした。何と言っても、4大会中、3大会を東京ドームでやったんだから、失ったお金も大きかったでしょう(残りの1回も日本武道館)。しかし、それでも10年間にわたって、やり続けたことは尊敬に値します。正直、PRIDE4が終わった時点で、存続の危機を迎えていましたが、第3期が一番ピークを迎え、PRIDEを世界一の格闘技イベントとして、UFCのダナ・ホワイトも羨むイベントに押し上げたのはバラさんの力です。
私が関わったのは、PRIDE5あたりから、K-1と興行戦争になる前までの2003年までですが、その当時を振り返って一番闘ったのは、プロレスファンをいかに取り込むかということでした。当時はPRIDE以外にも、いろんな総合格闘技のイベントを業界の外にいる人が手掛けていますが、ことごとく短命で終わっています。彼らに共通していたのは、グレイシー柔術(ブラジル選手)を使うこと、そしてプロレスラーを絡ませること、この2点。しかし、本質的に「プロレスというのは、本当は八百長で弱いんだ」ということを表すようなイベントを開いていたのも、共通する点でした。
当時はやはりプロレスファンが業界を支えている時代であり、時代的にミスター高橋の暴露本やUWFからの流れもあって、プロレス最強幻想が揺らいでいる時代でもあり、業界・ファンの間でプロレスvs格闘技が一番対立していた時代でした。その中で、新興のプロモーターは、方向性は間違っていないものの、「普段、真剣勝負をやっていないプロレスラーが負けるのは当たり前じゃん」という匂いをイベントで発していたので、興行として成功するはずがありません。プロレスラーが格闘技に参戦し、真剣勝負をしながら、プロレス・ファンに夢を持ってもらうイベントを開いてこそ、成功に繋がるのです。
そこで、PRIDEの怪人と後に呼ばれる百瀬博教さんを通じて、猪木さんをエグゼクティブ・プロデューサーに迎え、猪木さんが新日本プロレス時代のイメージを越えて、PRIDEに深く関わっているように見せ、プロレス・ファンが入りやすいようにしたこと。猪木さんをPRIDEの広告塔にしたのです。この仕掛けが一番、PRIDEのイメージを変えました。ファンにとっては、新しい猪木プロレスの形として見るようになったのです。
もちろん、猪木さんのイメージを彷彿とさせる小川直也、藤田和之、永田裕志、石澤常光らの参戦も大きかったでしょう。しかし、彼らはグレイシー柔術の対立概念というイメージではありません。そこで、もう一つ大きかったのが、桜庭和志の出現です。選手として、プロレスラーの代表、そしてグレイシー柔術の対立概念がどうしても必要な時、我々はそれが猪木軍でも、スターの高田延彦さんでもなく、桜庭選手を押していく方向に決めました。この期待に見事応えてくれたのが、サクちゃん。ブラガ、ビクトーといったブラジルの強豪を打ち破り、ホイラー、ホイスまで倒して、グレイシー越えを果たしたのです。このサクちゃんの出現は、まさに奇跡。しかも、高田道場に目立たぬまま存在していたことが、奇跡中の奇跡でした。このサクちゃんの活躍が、プロレス・ファンにして「PRIDEは僕らのイベント」にしたのは間違いありません。
きっかけは、プロレス・ファンを味方につけたことです。PRIDEはその後、グレイシー登場→猪木・桜庭の出現→K-1参戦→吉田秀彦らアスリートの参戦を経て、バラさんが競技化を進め、2003年以降の黄金時代を迎えたのです。多くのもを実にタイミングよく、巻き込んでいますよね。でも、そのきっかけはプロレス・ファンを取り込むことにあったのです。そのプロレス・ファンに、フジテレビの放送で、一般層に認知されたのがPRIDEだったのです。
そこで巌流島やRIZINが難しいのは、今は当時のプロレス・ファンのような明確なターゲットがいないことです。今の新日本プロレスのブームは、全然客層が違います。また、グレイシーやサクちゃんのような存在も必要です。そんな時代にどうやって格闘技を復興させるか? そこに頭を悩ませているわけです。
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コメント
私はプライドやK1など団体の判別も出来ない。
プロレスファンの異種対抗の憧れ。全日新日対抗さえ不自由なときに垣根を越えたからね。
加えて今でも今こそ顕在化しているメインの外人が不在だった。
スター外人を揃え押したから移ったと思う。
プロレスもボクシングも柔道も区別しない人の願望。
谷川はもう総合に関わらないでくれ
お前が893絡みの見世物小屋にしたせいで廃れた事を自覚してくれ
DEEP,修斗、パンクラスで育成された選手をリスペクトしたマッチメイクを組んでればこんな惨状にならなかった
プロレス・ファンというタイトルの書き方だけですでに草生えた。
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(ID:27174273)
確かにヒョードル・ミルコ・ノゲイラの代わりはいても桜庭に代わり得る人材はいなかったですよね。
それはまるで若手時代全く無名だった初代タイガーマスクの出現に似た全く新しいリアルスーパーヒーローの出現でした。
あの当時の桜庭の快進撃は正に奇跡でしたね。
そういえば桜庭は12歳の時のタイガーファン、「初代タイガー世代」です。
PRIDEは「形を変えたケツ決め無しの新しいプロレス」。
この認識が広まったのは桜庭、猪木、あと活字プロレス層にとっては故井上義哲週刊ファイト編集長の後押しが大きかったなと思います。