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ダンプ松本のタッグで人気絶頂だったクラッシュギャルズと抗争を繰り広げ、日本中から嫌われた大ヒール軍団・極悪同盟のメンバー、クレーン・ユウインタビュー!! 14000字インタビューで80年代・全女の熱狂をお届けします!(聞き手/小野仁)



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【アジャコング インタビューシリーズ】

①「あの頃の全女はAKB48やジャニーズだった」

②恐るべし全女の異種格闘技戦/ダンプ松本、究極の親分肌

③偶然と必然が折り重なった「アジャ様」覚醒の瞬間

④ブル中野・2年間戦争/バイソン木村との哀しき別れ

⑤対抗戦ブームの終焉と全女退団……

⑥さらば! 私が愛した全日本女子プロレス




――
ユウさんが所属していた80年代の全日本女子プロレスは、とにかく興行数が多かったですね。

ユウ
 1年の半分は地方だったんじゃないかな。

――ああ、東京を離れて地方に滞在していた日数だけで……。

ユウ
 関東は全部、日帰りで。

――
では、巡業中のオフの日も入れたら……。

ユウ
 巡業中、休みなんかないもん。明日は北海道に行きますってときに、今日の昼にフェリーに乗るから今日は試合なし、みたいな。

――
あくまで移動のための1日で、オフというより移動日に過ぎないと。

ユウ
 そう、移動日。オフではないね。

――
巡業で地方に出ていた日と関東近辺で試合があった日を合わせると、年間300日ぐらいでしょうか?

ユウ
 もっとあったんじゃない? 320とか330とかじゃない?

――
それは凄いですね……。さらにダブルヘッダーもありましたよね。

ユウ うん、あったあった。夏はけっこうオープン(会場)でやるじゃない。それが雨なんかで中止になっちゃうと、その近場でやる日にスライドさせるから。1回ね、千葉の原木中山の駅前だったかと、そこから電車で2駅か3駅のところがあって。リングはリングで両方に立ててあって、1ヵ所が18時からで、もう1個が19時から(笑)。

――
えええっ⁉ 1時間差のダブルヘッダーですか(笑)。

ユウ
 「試合が終わったら電車で行け」って(笑)。水着の上からジャージを羽織って短パン履いて、もうシューズのまま電車に乗って。そんなことがあったね。あとは、寝坊してバスに乗れなくて、それが巡業の初日で名古屋とかだったから、マネージャーたちと一緒に電車で移動して会場に先に着いてたんだよね。そしたら、みんなを乗せたバスが試合開始に遅れてるって。で、もう1人、誰か新人の子だったかがいたんだよね。その子とバスが来るまで1本勝負みたいな(笑)。20分以上やったね。よくできたよね。

――
それだけの基礎が備わっていたからこそでしょう。

ユウ
 かなぁ? そういうのが普通だったからね。だから、誰とでも試合ができるってのはあったと思う。

――
ユウさんたち昭和55年組のデビュー当時、全女は2班体制で日程を組んでいて、ユウさんは巡業が過酷なB班に振り分けられたんですよね。

ユウ
 そうそう。夏は暑いところ、冬は寒いところ、みたいなさ。A班はジャッキー(佐藤)さんがいたから、いいところに行って。テレビ録りがあると合流みたいな。B班は上がナンシー(久美)さんとルーシー(加山)さん、池下(ユミ)さんとガイジン。あと、(佐藤)ちのさんとチャコ姉……川上法子さん。私とダンプ(松本)と奥ちゃん(奥村ひとみ)、玉ちゃん(師玉美代子)、坂本和恵と(高階)由利子。で、途中から(ジャンボ)堀さんが来たのかな。

――
2班に分けるということで、ユウさんたち昭和55年組は新人を多く採ったんですよね。

ユウ
 決まってて採ったのかな。でも、そうかもしれない。最初、まだ旅(巡業)に行けないときは道場で朝10時から昼の12時、13時ぐらいまで練習して、それから17時まで休憩時間なんだけど、その時間にクイーン・エンジェルス(トミー青山&ルーシー加山)の曲をラジオでかけてもらうようにってリクエストハガキをいっぱい書いてた(笑)。なんでもやったんだよ、新人の頃。リング作りもやったでしょ、イス並べもやったでしょ、貼り券(席番を記した紙片をイスに貼る作業)もやったでしょ。あと、宣伝カー回しや優待券配りも。

――
ユウさんはビューティ・ペアの直撃世代ですよね。

ユウ
 ビューティー・ペアになろうと思って入ったんだから。中学ではバレーボールやってたんだけど、もうこれしかないだろう!って。ジャッキーさんのファンだったの。新人の頃、注意されるじゃない。ここがダメだった、ここはこうだったって。でも、ジャッキーさんって理屈っぽすぎるから、途中でなんのことを注意されてるんだかわかんなくなってきちゃう。「オマエさんはね…」って始まると、「あ~出た~」って(笑)。でも、A班とB班に分かれちゃったから、そんなに喋る機会もないし。

――
中学を卒業して即入門とはいかず……。

ユウ
 一番最初、中学3年生のときにオーディションを受けて落ちて、そのときに練習生って制度があるっていうのを知って、月・水・金の週3日で月謝が2000円だったかな、道場に高校の放課後に通って。中3の三者面談のときに「高校には行かない!」って言ったんだけど、「いやいや、プロレスラーなんて狭き門だから、落ちちゃってすることがなかったら困るでしょ?」って言われて。とりあえず高校には受かったけど、オーディションは落ちちゃったから、渋々高校に行って。でも、高校には行かずに遊んでばっかいたから、2年にはなれそうになくて辞めて(笑)。バイトしながら道場に通って、やっと17歳のときにオーディションに受かって。

――
プロテストでは、鉄アレイを両手に持って100回挙げたら合格という特別メニューを課されたとか。

ユウ
 そう。両手に5キロの鉄アレイを持って大変だった。デビューは(80年)8月8日の田園コロシアムだったね。勝ち抜き戦で坂本和恵に勝って由利子に負けたんだっけな。そのときにジャッキーさんとモンスター(・リッパー)がやって、ジャッキーさんが大流血しちゃったのが印象的で。怖かった、あれは。デビューの日だからね。その前にも試合はやってたけど、エキジビションで。

――
ああ、いわゆる押さえ込みマッチですか。押さえ込みの実力で勝負を決する。

ユウ
 そうそう。

――
正式デビュー後も、押さえ込みルールの試合はあったんですよね?

ユウ
 あったあった。なんでだろうね? あれ。全女だけでしょ? タイトル(マッチ)でもあったよ。

――
実力で勝敗を決めるのも全女だけですけど、タイトルマッチまでもそのルールでやるって凄いですね。

ユウ
 全日本ジュニアとか全日本選手権とか。クイーン・エンジェルスとゴールデン・ペア(ナンシー久美&ビクトリア富士美)でもあったし。

――ビューティー・ペアの敗者引退マッチ(79年2月27日、日本武道館=マキ上田がジャッキーに敗れて引退)にしたって、きれいなフィニッシュではなかったですよね。

ユウ
 あれも押さえ込みだったらしいね。きれいじゃなかったよね、全然。「え~⁉」っていう感じの終わり方だったよね。

――
敗者引退マッチも実力で……。ところで、B班は冬に寒いところを、夏に暑いところを回って、それでお客さんは入ったんですか?

ユウ
 いや、そんなに……。300人も入ったら「今日は入ってるな」ってぐらい。でもさ、会場は地方の体育館なんかだと意外に広いじゃん。だから、いつもガラガラで……。

――
まぁ、それで観客動員が順調だったら2班体制をやめていないでしょうね。

ユウ
 そうだよね。お金だってかかるわけじゃん。

――新人だった当時は、そんな事情を考えている余裕はなかったでしょうけど

ユウ
 ないない。もう必死だったから。

――
試合は毎日のように組まれたんですか?

ユウ
 私ね、A班・B班合同でやるときでも、お留守番(残り番)だったことがないの。

――
では、デビューしてからは、わりと順調だったんですね?

ユウ
 わりと。いいように使われてたんじゃない?(笑)。(長与)千種とダンプと由利子とかは置いてかれてたけど。私と大森(ゆかり)とトモ(ライオネス飛鳥)……まぁ大森とトモは最初からスター候補生で目をかけられてけど、そのへんは置いてかれなかったなぁ。

――
飛鳥さんとは全日本選手権の王座決定戦(82年5月15日、大宮スケートセンター)で30分ドローに持ち込んでいますよね。

ユウ
 あれも押さえ込みだったの。20分から(押さえ込みルール)って言われて。

――
ああ、そんな設定があるんですね。

ユウ
 あのときは「勝ちたい」じゃなくて「負けたくない!」しかなかったんだよね。そのあと、飛鳥がチャンピオンになってから(84年1月に)静岡で挑戦したときも、20分から25分まで押さえ込みルールって言われて、それでは決まらなくて結局、場外カウントアウトで引き分けだったから飛鳥の防衛になったんだけど、「これから千種とタッグのベルトを狙います」ってことで飛鳥がタイトルを返上したんだよね。いやいや、返上するんなら負ければよかったじゃん、みたいなね。くれよ!って(笑)。

――
デビュー3年目の82年ににはマスクウーマン(マスクド・ユウ)に変身しましたね。

ユウ
 なりたいって言ったわけじゃないよ、私は。会社の意向で。なのにさ、マスク代とか自分持ちだから。

――
シ、シビアですね……。マスクのデザインは誰が考えたんですか?

ユウ
 ロッシー、小川さん(宏氏)。

――
なんでもゾウアザラシをイメージしたとか……。

ユウ
 そう。「なんでゾウアザラシ!?」って。失礼でしょう、まだ10代の女子に対して。

――
マスクをかぶると同時にデビル軍団入りだったんですか?

ユウ
 たぶんそうだった。でも、最初から、そっち(ヒール)寄りだよね。だけど、ちゃんと受けを覚えるようにって、たまにメインでナンシーさんと組んだりとか。マスクド・ユウになる前の新人時代ね。

――
新人の頃からメインに起用されていたんですか。

ユウ
 だって、B班だからさ、人いないじゃん(苦笑)。キャリア1年にも満たない時期だよね。相手は池下さんとガイジンとかで。とにかくB班は人がいないからさ、奥ちゃんとか玉ちゃんもたまにメインに入ってたよ。そういうときはルーシーさんがセミでやるとかさ。

――
デビル軍団では、同期のタランチェラ選手がデビル雅美さんのパートナーに起用されましたね。大型のユウさんやダンプさんではなくて、小柄でスピーディーなタランチェラ選手を抜擢して、単なるヒールとは違うカラーを出す狙いだったのでしょうかね?

ユウ
 そういうことだったのかな? わかんない。

――
ユウさんにとって師匠といえば……。

ユウ
 誰なんだろう?

――
どなたかの付き人を務めたことは?

ユウ
 ない。でも、マミ(熊野)さんは好きだったな。ただ、マミさんはA班だったから、そんなに絡むことはなかったんだけど。でも、合同の時にマミさんとガイジンと組んだことがあったね。マミさんはすごくいい人だった。池下さんも優しいし、普段すごい物静かなの、池下さんって。B班のとき、池下さんとシングルとかあったよ。

――
では、いろいろな人から試合を通じて学んだような……。

ユウ
 デカいから飛べなかったけど、飛べないんだったら誰の技でも受けられるようになろうとか。だから、受けるのは好き。

――
そういう精神が新人の頃から培われていたんですね。

ユウ
 そのかわり攻められないんだよね。攻めが上手じゃないよね。

――
極悪同盟でダンプさんと組んでいた当時の専門誌に「ユウは完全にダンプのパートナーに徹しているが、もっと自分を出していいと思う」といった論評が載っていました。

ユウ
 どうやって出せばよかったんだろうね? いい人だったあんだろうな、きっと。イエスマンだったんじゃない?(笑)。

――当時の全女は、相当に自分が自分がの弱肉強食の世界だったと言われますが……。

ユウ
 そうだろうね。でもたぶん、そういうのは嫌だっただろうね、私がね。あのさ、私、3つ下の弟と2人姉弟なんだけど、ちっちゃい頃から「お姉ちゃんなんだから、ガマンしなさい」「お姉ちゃんなんだから、こうしなさい」って言われてきて。父方のいとこでは私が一番下なんだけど、上と15歳ぐらい離れてるから一緒に遊んだりとかがなくて、母方のいとこでは私が一番上なの。だから、そこでまた「アンタ、お姉ちゃんなんだから……」って。「ああ、私がガマンすればいいんだ」ってたぶん、洗脳されてた部分があると思うんだよね。そういうことじゃないかな? いまだにそうだと思う。めんどくさいことが嫌いだから、「私がガマンしてりゃ丸く収まるんなら、それでいいや」って。だから、自分の子たちには「お姉ちゃんだから……」「お兄ちゃんだから……」とは、絶対に言わないようにした。

――
生まれついてのタッグパートナー気質といいますか……。

ユウ
 そういうのが知らず知らずに出てきちゃってんじゃないのかな。だって、そこで揉めてもしょうがないじゃん? 

――
同期の間柄は、どんな感じでしたか?

ユウ
 ウチらはみんな仲良かったと思うよ。

――
クラッシュ・ギャルズとダンプさんは、お互いに心から憎しみ合うように仕向けられたそうですけど。会社の上層部……松永ファミリーに、あることないこと吹き込まれて(苦笑)。

ユウ
 ええ、本当⁉ へぇ~。そうなんだ? 私はね、そういうことに一切、関わってない。私のところまでたぶん、入ってこないんだよね。入ってきてんだけど、私が聞き流してたのかもしれないけど。たしかに「えっ⁉ 何これ、雰囲気悪いな……」ってときはあったよ。

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