80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは「アメリカから見たプロレスの国ニッポン」です!
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――あの「ライオン道」が2018年にこうして世界を騒がせることなんて想像もつきませんでした。
フミ いまの新日本ファンやWWEユニバースと呼ばれてるファンは、現在進行形のプロレスしか見ていないようなんですね。新日本ファンに関して言えば、3〜5年くらいの観戦歴の方が多くて「クリス・ジェリコって誰だろう?」という方も決して少なくない。
――ああ、なぜクリス・ジェリコクラスの選手でもそんな反応になってしまうのか心あたりがあるんですけど。ボクがプロレスを真面目に見始めたのは90年代に入ってからなんです。となると10年ほどさかのぼって勉強すれば、まあまあそれなりにプロレスファンとしての知識は得られたんですが、2010年代から見始めたファンって、自分に当てはめて考えると、30年分の学習が必要になってくるし、なおかついまってリアルタイムの情報量が尋常ない(笑)。
フミ とても追いつかないと。
――決して不勉強で、過去に興味がないというわけではなくて、どのジャンルでも起きてる現象じゃないかと。
――クリス・ジェリコvsケニー・オメガの原点は80年代にある!と。
フミ アメリカから日本のプロレスがどう見られてきたかということですね。いま「乖離している」という話が出ましたけど、アメリカも90年代を境にファン層が乖離してるところがあるんです。WWEとWCWの月曜テレビ戦争からミレニアム以降の世代と、それ以前のおらが町のプロレス、要するにテリトリーのプロレスがあった世代ですね。
――後者はNWA全盛を知るプロレスファンにあたるわけですね。
フミ たとえばテキサスに住んでいたら、鉄の爪エリック一家のワールドクラスが世界最大のプロレス団体だと思い込んでいたところはあったんです。そんな時代にアメリカのマニアックなファンが日本をどう見ていたかと言えば、80年代には日本とアメリカのあいだをプロレスの試合が録画されたVHSテープが行き来するという、アンダーグラウンドな文化が存在していたんです。
――日米のファン同士はどうやって知り合うんですか?
フミ ペンパルの文通です。eメール以前のことですから、いまのファンには「ペンパルってなんですか?」って話になっちゃいますよね。ネット社会が訪れるのは90年代後半からミレニアムにかけてですから、それまではアメリカと日本のプロレスファンは、それぞれの国のプロレスの試合をVHSに録画して交換していたんです。郵便で送りますから2〜3週間ほどかかっちゃうんですけどね。
――そうやって送られてきた貴重な試合映像をダビングで拡散していくんですね。
フミ そのアンダーグラウンドカルチャーの始まりは、新日本プロレスの初代タイガーマスクvsダイナマイト・キッドの試合をアメリカのプロレスファンがどうしても見たかったからなんですよ。「あの試合は凄いぞ!」と噂になった。でも、当時のアメリカは日本のプロレスをリアルタイムで見る術がなかったですし、逆もまた然りで。
――日本のファンもアメリカのプロレスを見られなかった。
フミ 日本のファンもNWAクロケットプロやWWFの試合が見たかったんです。だからビデオトレードというカルチャーが生まれた。日本から送られてきたタイガーマスクvsキッドの試合は、ダビングされまくってアメリカ中のプロレスファンのあいだに出回ったんです。ダビングされすぎちゃって画質がカスカスになったものを、ボク自身もアメリカのプロレスファンの自宅で見ましたから。
――マスターテープから何十回も録画されたんでしょうね。“80年代のリツイート”という(笑)。
フミ 90年代に入ると、新日本、全日本、新生UWF、そしてテレビ放映がなかったFMWや、スピンオフのW★INGやIWAジャパンもデスマッチ特集の映像としてまとめられてアメリカに渡っていたんです。男子だけじゃなくて日本の女子プロレスも流通して好評だったんですが、最も衝撃を与えたのは先日引退した豊田真奈美だった。
――豊田真奈美人気は凄かったみたいですね〜。
フミ 豊田真奈美はアメリカのマニアにとっては“神”なんですよ。
――TOYOTA is GOD!! 名前からして世界の強さがありますもんね(笑)。
フミ 言葉の壁を飛び越えて、なんの知識もなく楽しめるのがプロレスのいちばん凄いところですけど、豊田真奈美の試合を見たマニアたちは「こんな凄いプロレスラーがいる!!!!!」って感動しちゃったんですよ。
――そして拡散コースなんですね(笑)。
フミ 意外かもしれませんが、UWFもアメリカのマニアには好評だったんです。第ニ次UWFはVHSではなく、いまはもう消滅したレーザーディスクで発売されたんですね。
――そのレーザーディスク、パンクラス元代表の尾崎允実さんが制作に関わってたそうですね。
フミ UWFはレーザーディスクによってアメリカに渡っている。それがVHSに落とされて、アメリカのファン同士に流通していったんです。ここまでくるとプロレスファンの執念ですよね。
――アメリカのプロレスファンは、あのUWFスタイルをどう捉えていたんですか?
フミ UWFって日本の場合は映像と活字を伴った現象ですよね。
――正直、試合自体だけだと理解できないところもありますが……。
フミ 当時の日本には「UWFをわからない奴はダメだ」という論調がありましたけど、アメリカでも「わからない奴はマニアじゃない!!」という同じような現象が起こったんです。
――えええええええ!?(笑)。
フミ 「UWFがプロレスを変えたぞ!」とアメリカのマニアのあいだでも絶賛されたんですね。
――それはプロレスの表現方法としての新しさを評価したんですか?
フミ いや、それはいまになってからの評価ですよね。当時は「プロレスを真剣勝負にした」という。
――ああ、そこも日本と同じ受け止め方。
フミ 海の向こうの日本で起こったことだから、どうしてもアメリカ人基準の誤解も起きてしまった。「プロレスに格闘技やマーシャルアーツ、武道を加えたらこのスタイルになった」と解釈していたんです。ロックアップする前に蹴ったり、掌底という東洋の武道的な技を出してましたから。
――プロレスのセオリーであるロープワークも拒否してるわけですもんね。
フミ 「プロレスを真剣勝負に変えてくれたUWFが3派に分裂しちゃったの?」ってアメリカのマニア層がショックを受けていたんですね。その後、リングス、藤原組、Uインターに分かれますが、Uインターには多くのアメリカ人レスラーが登場するじゃないですか。その中のダン・スバーンは同時期にUFCにも出ている。
――ああ、日本とアメリカが“U”を介して繋がっちゃうんですね。
フミ Uインターだけは『BUSHIDO』というタイトルでアメリカのケーブルテレビで放映されて、「日本の格闘技」という触れ込みだったんです。リングスやパンクラスの映像もファンの手によってアメリカに渡っていますが、パンクラスにはケン・シャムロックが出ていた。そのケン・シャムロックはUFCでホイスと戦って超有名になるんですね。
――マニアからすれば「俺、知ってるよ! UWF最後の松本大会でメインで船木誠勝と戦ってるよ!」と(笑)。
フミ UFCでケン・シャムロックは時の人になるんですが、アメリカでは最初から格闘家という扱い。マニアからすれば「俺は日本のときから知っている!」となるわけですね。藤原組にも出ていて、船木たちと一緒にパンクラスも旗揚げした。ケン・シャムロックとダン・スバーンの2人はアメリカ人には特別な選手としてチェックされていたんです。
――ケンシャムはWWE入りまでしちゃうんですから、マニア冥利に尽きますよね。
フミ WWEはもちろんプロレスラーとして契約するんですが、パンクラスのときと同じ格好で試合に出ているんです。そこで何が起きたかというと、リングコスチュームとしてレガースを付けたアメリカ人レスラーが増えてくる。
――UWFカルチャーが輸出されたんですね。しかもWWEに!
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