2010/08/17
12:57 pm
一昨日、銀河劇場で「コカンセツ!」を観て来た。
大河元気くん、平田裕一郎くん、村井良大くん、北代高士くん、
日替わりゲストに高木俊くんとミュキャスが5人、出演していた。
演出の宇治川まさなりさんに声をかけてもらって観に行ったのだが、
演出家の仕事はきちんとできていると思ったけど、いかんせん、脚本ができていない。
一つの舞台としてのドラマが書かれていなかった。
エピローグで主役にその後の物語の解説されても、それは舞台のドラマとは言わない。
脚本家の仕事が悪かったのか、原作にドラマがそもそも描かれていなかったのか、
原作にはあったけど、たぶん長い原作のつまみ方が悪くて舞台の脚本にするときに抜け落ちてしまったのか、
何が原因だか判然としないが、この舞台上に起承転結がない。
男子新体操部員たちは、全員が、だれのどのような理由で何を目指そうとしていたのか、
それは目指す価値のあることか、全員が同じ思いを共有したのか、
それが舞台の終幕できちんと整理され、
それぞれの目指したものに登場人物たちがそれぞれ納得のいく答えを見出し、
何らかの心の動きが始まりと終わりにあったのか、と言うことが書かれていない。
書いてあるというのならそれは牽強付会だ。
男子新体操部がキモイと言われるので嫌になったからHIPHOP部にするというのは、
理由の半分にも満たない。ではなぜ新体操部員になったのか、
なぜHIPHOP部にしたいのか、シンクロナイズドスイミング部ではいけないのか、なぜ器械体操部ではないのか、
しかも、大河元気くん役が中心になっているけど、他の部員たちは同じ思い、ココロを共有したのかも語られていない。
キャプテンのHIPHOP部に対する気持ちも納得がいくところまで行っていない。
要するに脚本が全く脚本の体裁を持っていない。
原作を舞台化すると言うのは簡単ではない。
もし原作が長編のドラマであれば、どこを切り取り、
切り取った中で登場人物に心の動きがあって、終幕に納得のいく解決があるか、
無くても行く末の方向性が明示・暗示される、ことになっていないといけない。
切り取らず、全部を物語るとしたら、どうやって2時間程度の長さに収めるか。技の見せ所になる。
しかもこれらの大前提として、原作にはある物語があり、
語られるべきドラマが詰まっていることが必要十分条件になる。
男子新体操部というちょっと変わった事象を取り上げている小説がある、
今は日陰の身だが、そのうちブレイクするかもしれない、
ここに新体操のインターハイでいい成績残したこんなタレントが出て来た、
よ―し、こいつをメーンの役どころに使い、ミュキャス使ってレオタード着せて、もっこり見せて、
そうすりゃあテニスのない夏休みがっぱリ稼げるぞ、と言う浅はかな製作サイドの魂胆が丸見えなのだ。
まともに出来上がった時にお客さんが入るのはとても喜ばしい、
物語がない演劇にお客さまが詰めかけるのは、プロデューサーサイドにとっては緩慢な自殺行為だ。
こんな浅い気持ちで選ばれた原作もたまったものではないだろう。
但し、お客さまは喜んでいたようだ。
それもよくわかる。大河くんが千秋楽の舞台挨拶、涙を流した。
この日を最後に別れ別れになる出演者たち、その寂しさの涙だろう。
それほどチームワークは固く熱く見えた。
これがあればドラマは無くてもなぜかハイな状態になって拍手できる。
ナマな舞台が持つ魔法の一つだ。
この魔法、僕には演出家、宇治川さんの技の一つだろうと思う。
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投稿コメント(2)
2010/08/23
ガジラ はじめまして!最近「テニミュ」を通じて舞台演劇全般に興味を持ち始めたガジラと申します。わたしはテニミュで大河元気くんのファンになったので「コカンセツ!」を見に行きたかったです。地方に住んでいるため都合がつかず諦めましたが・・・片岡さんから見て、あまり魅力的な舞台ではなかったようですね。 ですが、脚本の良し悪しに関わらず熱くなれるなんて、ナマの舞台ってすごいんですね!DVDでは体感できない一体感を、わたしも一度は味わってみたいです。
2010/08/26
片岡義朗 ガジラさん、コメントありがとう。 劇場空間には温度があり、その温度を感じることが快感なのだろうと思います。大河元気くんはとても熱かったです。その熱気、それはその場にいなければ感じられない、と今までは僕も思っていました。これからは、ニコミュで、離れた場所に居ても劇場空間には居ると感じられるような、熱風の快感が伝わる舞台を作ります。ニコニコ動画での劇場生中継の生放送、12月22日~「クリスマスキャロル」ぜひ観てくださいね。
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