2010/04/29
14:10 pm
一作日、北千住1010劇場で瀬戸祐介くん、進藤学くんの「マーダーファクトリー」を観てきた。
(この日記長いです。読む方は暇なときにしてください)
なんとも言いにくいが、「壮大な無駄」だった。
こういう芝居に高いチケット代払わせていると、
お芝居って面白いね、と「テニミュ」以来演劇になじんだ観客にそっぽを向かれることになる。
作る側に、ただ人気キャストを出せば客が来るだろうではなく、
もっと面白いもの作る強い意志と、周到な準備をしてもらいたい。
この芝居を作ろうとしたそもそもの動機=企画が理解できない。
この芝居で何を言いたかったんだろう。言いたいことが分からない。
ありふれたストーリー、「デスノート」「バトルロワイヤル」「西尾維新作品」
などから少しずつ借りて来たような物語。
それぞれの部分は面白い設定もある。
でも肝心の主人公の男の天才的科学者能力の持ち主=地震予知能力を持った、
と言う大ウソにリアリティがない。
出発点のウソを信じられないので、その後のすべての物語がチープに見える。
言いたいことなんか関係ない、そんなものはいらない、ただ面白ければいい、という考えもある。
その観点で言えば、こんな3時間もかかる長い芝居はいらない。
長い芝居は俳優に技術があり、どの場面でも舞台上に緊張感があれば時間が長くても面白く観ることができる。
この芝居が2時間で終わっていたら、
まあちょっとは面白かったかな、とこんなひどいこと言わなくて済んだだろう。
ドラマも、肝心なことが書けていない。
主人公に物語の始まりから長い芝居の終幕までにどういう変化がおきたか、
物語では、始まりと終わりでは心が動く、その移動距離がドラマだ。
それがこの芝居ではわからないというか心の中に変化がおきていない。
殺された主人公の男の子を前に、
女の子主人公は、小さいころの男の子は心がきれいだったのよ、だからあたしは好きだったのよ、
でもなんで世の中の人はこの男の子の心のきれいさが分からないのよ、って叫ばれても、
その男の子の心のきれいさを物語るエピソードが入っていないからそんなのって分からないし、
殺人者集団を率いた男の心がきれいと言われてもそんなのウソでしょ、ってことになる。
男も女も主人公は物語の始まりから終わりまで考えていることが同じ、変化なし。
何かあるのだろうと思っていた気分は肩透かしされ、物語が終わって気が付いたら、
なーんだこんな何にもないのか、だったら、こんな長い話にしないでくれ、だった。
役者は悪くない。瀬戸くんも進藤くんもかなり良かった。
よく稽古を積んだのだろうと思う。
訓練はみっちりしたけど、訓練をさせる演出家に稽古が大事という原則への忠実さはあっても、
肝心の俳優を指導するセンスが足りない。
出演者に演じようという熱気は合った。だけど、芝居は空回りしている。
台詞の多い会話劇なのだが無意味な台詞と無駄な芝居が多い。
キャリアの少ない俳優が多いことを割り引いても、
演出家にそれぞれの俳優を一人一人役柄と俳優をどう個性付けるかのセンスがあれば、
もっとキャラクターごとに違った芝居付けが出来たはずだ。
みんな同じ芝居をする、しかも一本調子、せりふか聞き分けられない、
高い声で張り裂けんばかりに叫ぶ、といった調子の会話劇が続く、聞いていられない。
どういう人間か、が浮かんでこない。
最後に、お見送り、がひどい。
せっかく人気のキャストが出ていてお見送りをすることにしたのだったら、
もっとちゃんと、花道を作り、観客とキャストが接近する形を作るべきだ。
女性アイドルファンの暴走を心配したのかもしれないが、
そんな失礼な、みんなちゃんとしてますよ。
「テニミュ」ではどんなに大勢のお客様がいるときでもお見送りをすると決めた時は、
係員が何人も付き添いはするが、手と手が触れる距離で場を用意した。
それがプロデューサーが持つべき、お金を払ったお客様に対するエチケットだからだ。
この芝居に欠けていたのは、この部分にも露呈したプロデュース能力だ。
終演後、例によって進藤くんと飲んだ、もちろん芝居の話はしない。
と言うか、とっても美味しいフレンチの居酒屋さんが劇場のビルの目の前にあったので、
おいしいワインをがぶがぶ飲み、珍しいこの店だけのメニューに盛り上がり、
おいしい小皿料理を次から次へ注文し、わーっ、これうめえ―、
と叫んでいるうちに芝居のことは忘れてしまった。
店の名前が「2538」と言う。何と「にこみや」さんだって、ちょっとしゃれている。
しかも安い、合計4人でとってもたくさん食べて飲んだのに安かった。
北千住駅前まるいビルの隣、マツモトキヨシ隣の隣の1階、
次に1010劇場に行ったときもここで飲もうっと。
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