吐月(とげつ)が、何ごとかを察したように、一歩、退がる。
吐月に声をかけてはいられない。
今やろうとしていることに、全神経、全細胞、それこそ髪の毛一本ずつまで、使って集中しなければならない。
肉体が、別のものに化してゆくようだ。
大地になる。
地球になる。
重力になる。
“石”をやっていてよかった。
雲斎(うんさい)に言われて、円空山で、石を割ろうとした。
巨大な石だ。
とても割れそうになかった。
かわりに、九十九は、石を見つめた。
石を見つめながら、大地と対話し、己れ自身と対話をした。
あの体験が、今、自分がやっているこのことを可能にしているのだ。
全身を、熱い、高温の気の塊(かたま)りと化すこと。
しかも、わずかな時間――ふた呼吸で。
寸指波(すんしは)を全身で打つ――その感覚だ。
両足を開く。
腰を落とす。
両手を拳に握って、腕を両脇にたたむ。
これが、どの程度、今の久鬼に効果があるのかわからない。
効果がなければ、その先にあるのは死であろう。
が、考えない。
死を考えない。
生を考えない。
ただ、今の自分にできることのみに集中する。
力で、敵うわけがない。
闘っても、暴風に巻き込まれた木の葉のように、あっという間に自分はもみくちゃにされてしまうであろう。
どういう武器も、今、身に帯びてはいないのだ。
持っているのは、ただ、自分自身だ。
ただ、自分の肉体だ。
大鳳(おおとり)の顔が浮かんだ。
織部深雪(おりべみゆき)の顔が浮かんだ。
いずれも、どれも、これも、それも、わずかな一瞬の間に脳裏に浮かんだ思考の断片だ。
動いた。
久鬼が。
あひいる!
叫んだ。
跳んだ。
なんと美しい。
眼のくらむような光景だ。
コオオオオオ……
息を吐く。
久鬼が迫って来る。
もう、眼の前だ。
いまだ。
「哈(は)ああっ!!」
溜めていた気を、放つ。
全身から。
両掌を、前に突き出す。
微細な、気の粒子――
それをひと粒も残さない。
気を当てる――これは、石などの無機物には、さしたる効果はない。
しかし、相手が、生体である場合は別だ。
生きたもの、さらに言えば、気について修行を積んだ者、気のわかるものには、効果が倍増する。
ありったけの精気が、全て出ていった。
自分の肉体が、消えた。
自分に向かって、疾(はし)ってきた久鬼が、大きく後方に飛んでいた。
地に転がった。
全身を、巨大な見えないバットのフルスイングで打たれたように、飛ばされたのだ。
両掌を突き出した格好のまま、九十九は、久鬼を見た。
むくり、
と、久鬼が、動く。
むくり、
むくり、
と、久鬼が起きあがってくる。
消えていた、自分の肉体の感覚が、九十九にもどってきた。
その途端に、九十九は、膝をついていた。
全身の肉が、細胞が、おそろしい疲労感に包まれていた。
もう、動けない。
呼吸もできない。
背が、激しく上下する。
胸を膨らませて、新しい空気を呼吸しようとしているのだが、肺が動かないのだ。
やっと、動いた。
ひゅう、
喉が鳴った。
息を吸い、
がひゅう、
息を吐いた。
せわしく呼吸をしている間に、久鬼が起きあがってきた。
その時――
九十九の前に、出てきた者がいた。
九十九の後ろにいた吐月が、九十九と久鬼の間に立ったのだ。
「九十九くん、逃げなさい……」
吐月は言った。
「吐月さん……」
「あれが、わたしを襲っている間に、きみは逃げるのだ」
静かな、落ちついた声であった。
「ここで、ふたりで死ぬことはないよ」
画/卜部ミチル
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コメント
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吐月ピーンチ(;´Д`A
(ID:1393439)
半端な若造絵師なんかいらん。雲斎や大鳳、亜室のおっさんはどうなった。
(ID:655286)
雲斎と大鳳は新宿で安室親子と会ってるんじゃなかったっけ?