妹さえいればいい。 (ガガガ文庫)

 ぼくの今年いちばんのオススメ作品であるところの『妹さえいればいい。』などを読んでいると、日常系ラブコメがだんだん「現実」に近づいていっているのを感じます。

 不毛な対立軸を乗り越え、ルサンチマンを乗り越え――人々はついに現実を受け入れようとしているように見えるのです。

 もちろん、そこで描かれる現実はきわめて誇張されたものであるには違いないのですが、どうだろう? それくらい極端な日常は、案外、いまどきめずらしくもない気もします。

 少なくともぼくは『妹さえいればいい。』を読む時、「ああ、ぼくの日常とたいして変わらないな」と思う。

 ただ女の子がいないだけで(笑)、ひたすらばかなことをやって遊んでいるところは共通している。

 もはやこのファンタジーはそこまで極端にファンタジーだとはいえなくなっているんじゃないか。

 ところが、いまのところそこにひとつだけ残った明確なファンタジーがあるんですね。

 それは「ヒロインは主人公のことを好きになる」ということ。いわゆるハーレムファンタジー。

 このファンタジーがあるかぎり、どんなに魅力的な男性キャラクターが出て来ても、主人公以外と結ばれることはありえないということになります。

 もちろん、『ニセコイ』みたいに端っこと端っこでくっついている、つまり主人公の友達とヒロインの友達がくっついている、みたいなパターンはあります。

 しかし、基本的にはやはり「序列上位」のヒロイン、つまりいちばん可愛い女の子たちは主人公のものでなければならない、というのが萌えラブコメのルールなのです。

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 それこそ『ニセコイ』でも『化物語』でもいいですが、上から数えて1番から5番くらいまでの可愛い女の子はすべて主人公を好きになる。

 そういうルールが萌えラブコメには存在しています。そういうものなのです。

 ただ、ぼくはどうしてもそれが納得いかなくてね。

 だって、不自然じゃないですか? 世の中にはたくさんの魅力的な男性がいるというのに、主人公ひとりだけがすべてを持っていくということは。

 長い間、萌えラブコメにはある種のテンプレートを除いては男性キャラクター自体が登場しえないことが常識的でした。

 「主人公の友達」とか「主人公の師匠」とか「金持ちのライバル」とか、そういう必要最小限のキャラクターは出て来るんだけれど、本格的に主人公を脅かす存在は出て来ないということですね。

 もちろん、細かく見ていければいくらか例外はあるでしょう。

 しかし、全体的に見ればやはり主人公にとって危険な存在となりかねない魅力的すぎる男性キャラクターは(あて馬的登場を除けば)ありえないものだったといっていいと思います。

 それも少々変わってきているのかな、と思わせる作品はあります。

 たとえば