草野佑『余命¥20,000,000-』もそんな一冊。
見つけてきた本人が買おうかどうか迷う様子だったので、ぼくが買って読むことにした。結果としては面白い本だった。
物語は、ある家にひきこもっている「草間さん」という人物が2000万円の懸賞をあてるところから始まる。
こうして預金0円でゆるゆると消滅しようとしていた彼(彼女?)の余命は、2000万円分延長されることになった。
しかし、草間さんはそれで生き方を変えるでもなく、ひたすらローコストなひきこもり人生を全うしようとする。
偶然から草間さんと知り合うことになった主人公はその姿勢に戸惑うのだが――という話。
人間関係をこじらせて会社を辞めるも、なんとか再就職先を探して必死に俗世間で生きようとする主人公と、生きることそのものを放棄してしまったような草間さん。ふたりのコントラストが面白い。
それにしても、実に危険な作品である。
この本を読んでいると、「生きていること」、「働いていること」に対する根本的な疑問が湧いてくる。
なぜ生きていかなければならないのだろう?
どうして働く必要があるのだろう?
そういう根本的な疑義が湧き出してきて、「生のエネルギー」を根こそぎ奪っていかれそうになる。
いや、ぼくなどひとの半分も生きていないような人間だが、そういうぼくでもこう思うのだから、真面目に働いているひとなど、泥沼のような誘惑に捕らわれるのではないか。
さもなければ、激しい嫌悪を抱くかもしれない。
ここにあるものは、生きていくことを自然とみなし、生きていこうとする意思を称える「エロスの価値観」の対極にある思想である。
仮にそれを「タナトスの思想」と呼ぼうか。
ひとが疲れ、ひとり倒れ伏すとき、タナトスは妖しく誘いかけてくる。
そんなにまで辛い思いをして生きている必要があるのかな?
そのまま何もかも忘れて眠ってしまえばいいじゃないか。
そうして、すべてを捨ててしまえば、それで済むことじゃないか。
捨ててしまえ――あまい囁き。すべてを捨ててしまえば、楽になれる。
幸いというか、ぼくはいままで何とか生きてこられたが、それは自分の功績というよりは、ほとんど幸運のおかげだと思っている。
べつだん、生きていくことが偉いなどと思ったこともない。生きているほうがいいという確信もない。ただ、たまたまこの歳まで生きのびただけだ。
もちろん、ことさらに死にたいわけでもないけれど、生はいかにも億劫で、死は魅惑に富んでいる。
何より、生まれつき働くことに適していないぼくなどは、働くくらいなら死んだほうがいいかな、と本気で思う。
そう、「なぜ働かないといけないのか?」を突き詰めると、「働かないと生きていけないから」という考えに突き当たる。
しかし、それは逆にいうなら「生きて行くこと」をあきらめてしまえば働かなくても良いということだ。エロスの価値観を捨て去ってしまえば、ありとあらゆる苦悩が解決するわけだ。
これは途方もなく魅力的なことではないだろうか。
少なくとも草間さんを見ていると、どうしようもなくそんなふうに思えて来る。
一生懸命働いて、家族を作って、子供を育てて――そんな「まともな人生」、「規範的な生活」とされるものは、いま急速に崩壊しつつある。
あたかも、日本全体が繁栄の夢から醒めようとしているように。
そんななか、「生きること」はよりいっそう苦しさを増していこうとしている。
それでも、なお、あくまで「生」にしがみついて、必死に生きていこうとする人たちを、ぼくは偉いと思う。
しかし、一方で「死」にすべてを委ねてしまうというあり方も決して否定されるべきではないはずだ。
『三日間の幸福』について書いたとき、ぼくは「ここではあまりに生が軽んじられている」という意味のことを書いた。
いまでもその考えは変わっていないのだが、「生」の価値のすべてを知り尽くした上で、なお、ゆるやかな「死」を選ぶというあり方は尊重する。
生きていたくない。
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コメント
お
俺がとっくの昔に読んだ漫画をいまさら読むとは。
漫画オタクとしてまだまだだな、海燕
タナトス思想は好むのもまた普遍的なことじゃないだろうか。特に日本は滅びの美学なんて言葉がある国だし
自分自身はまったく死にたくなくて、不老不死に憧れてるくらいの人間なのだが
泡のように消えてなくなりたいとか、悲壮感もなく言う人(達)にはたしかに魅力的に見えたりするんだよなァ
別作者だが浅野いにおさんをオススメしとこう。
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