「天使の恥部」は、アルゼンチン国籍の小説家、マヌエル・プイグ(Manuel Puig)が1979年に発表した小説の名前です。
プイグはアルゼンチン、ブエノスアイレス州のヘネラル・ビジェーガスで生まれ、メキシコのクエルナバカで亡くなりました。57年の生涯は(他の、高名な「ラテンアメリカ文学」の作家たちに比すれば)非常に短く、しかし、スター作家として充実した人生だったと言えるでしょう。1990年没。死因はエイズでした。
結果として生涯の代表作として映画化され(上演用の戯曲にもなりました。上演は日本でも行われ、プイグは来日も果たしています)、そちらの批評 / 興行も共に大成功とするに吝かではない傑作「蜘蛛女のキス」(76年)や、彼の「映画監督になりたかったが挫折(かのヴィットリオ・デ・シーカの助監督だった時代もあります)=映画に魅了され尽くした小説」という最大の作品特性をブランディングとして強烈に示した処女作「リタ・ヘイワースの背信」(63年)、続くベストセラー、「赤い唇」(69年)、極右派からの圧力で発禁処分となる「ブエノスアイレス事件」(73年)等々に比すると、文学愛好家の間では評価がやや落ちる作品ですが、所謂「あらすじ」を読むだけで恍惚としてしまうような、素晴らしいゲイ感覚に満ちた、晩年の傑作です。
文責が詳らかではないのですが、Amazonの解説文をコピー&ペーストしてみましょう。
<過去・現在・未来、繰り返す哀しい愛の物語。ウィーン近郊の楽園のような島に軍需産業王の夫によって閉じ込められた世界一の美女。映画スターの彼女には出生にまつわる秘密があった。死者との契約により、30歳になった時から他人の思考が読めるようになるというのだ……。地軸変動により気候が激変、多くの土地が水没した未来の地球。性的治療部で働く女性W218はある日理想の男と出会う。隣国からやってきたその男と、彼女は夢のような一夜を過ごすが、男にはある目的があった……。1975年のメキシコシティ、病院のベッドでアナは語る。アルゼンチンでの過去の生活、政治について、男性至上主義(マチスモ)について、愛について……。過去・現在・未来で繰り返される、女たちの哀しい愛と数奇な運命の物語を、メロドラマやスパイ小説、SFなど、さまざまなスタイルと声を駆使して描き、新境地を切り開いたプイグの傑作>
プイグの作家性として言及される点に「ポップアートの先駆」「コラージュという手法」があります。
そもそもポップアート概念それ自体にコラージュ性が含有されていますが、映画を淫するほど愛し、映画が作りたかった小説家プイグの文学作品それ自体が、そのままコラージュ=「映画に貼り付けられた小説」にしかなり得ない。という極論も成り立つほどです。
<コラージュ>は<引用>と同一視されがちですが、<引用>のように、論旨の依拠体系がある、つまり「きちんとした、意味のある貼り付け」の事ではありません。
論文などを書く、その時、資料としての関連書籍から<引用>が行われると、それは論旨の依拠体系によって本体である論文に、意味的に溶け込んでしまい、そもそも貼り付けである事をほぼ失ってしまいます。
なので論文系のテキストにおける<引用>は、きちんと書記方を変えて、明確に示されるのです(それは強迫的とも言え、クラシック音楽が、どんなに長い曲で、曲中に何百回転調しようと、「全体を俯瞰すると、この調」という、一つの調=主調が、曲名の後に必ず明記される事と、よく似ています)。
一方、<コラージュ>はむしろ逆に、「汎テキスト性=インター・テクスチュアリティ」という、「夢」に非常に良く似た場の中で行われる、「きちんとしていない、意味のない貼り付け」の事で、論旨だけでなく、あらゆる依拠体系も関連性も無く(実際に「あった」としても、「ない事」になり)、貼り付けた瞬間には、性的な異物感と恍惚感があります。「<コラージュ>には性的な異物感と恍惚感しかない」と言っても良いでしょう。プイグは前述、「コラージュの作家」と評価され続けました。
さて、全段落で「夢によく似た場」としましたが、我々が睡眠時に見る「夢」は、まだまだ解明されていない現象とはいえ、経験と記憶と妄想のコラージュ体だと看做すことに異論はさほど出ないでしょう。
「夢」は、論文と同じように、夢という厳然とした本体はあるものの、こうして様々なものたちの切り貼りであり、起きてから想起すると、一貫性=映画や小説に於けるストーリーラインのような物、があるようでない、非常にいびつ、かつ滑らかなタイムラインと、強烈に個人的で独特な、あの「夢の気分」としか呼びようがない、恍惚感があります。
これは<貼り合わせ目>の継ぎ接ぎ、という境界面の有無と無関係ではありません。
つまり、<引用>には、本文に貼り付けた時の、<貼り合わせ目>が残りません。まるで貼り付けてなんかいないほど溶け込むものですから、前述、わざわざ「これは引用だ。何々という本の、何頁の何行目から引用しているのである」と強調しないといけない。
しかし、<コラージュ>=夢にもきっと、<引用>のように、初出も該当ページ数もあるのでしょうが、それが何なのだかは、誰にもわかりません。なので強調の必要、というより、そもそも強調ができません。
しかし、覚醒時には全く合理性に欠けた、いびつな繋がりであるそれは、見ている間、まるで永遠の絹の様に、どこまでも滑らかにシームレスで、全てが溶け込んでいるかのようです。
ここに夢の価値のほとんどがあります。カンバスに新聞だのゴミだの写真だのを貼り付けた、いわゆる即物的な<コラージュ作品>は、<貼り合わせ目>だらけのギザギザです。
しかしこれが夢となると、<引用>と真逆の意味で、<貼り合わせ目>という境界面がすっかり消えてしまい、しかしそれは、夢のストーリーラインを覚醒時に語ろうとした時に必ず生じる、「そこで、繋がりとかおかしいんだけどさ、ここで突如、話が子供の頃から、現在になるのよ。場所も出てくる人も同じなのに」とかいった、「とてつもなく自然ないびつさ」に交換されているかのようです。
私が今回、「天使の恥部」の「の」を「乃」に変換したのは、そうするとそのまま中国語として成立するからで(北京語にも広東語にも「乃」はありますし、日本語の助詞「の」と、用法も意味もほぼ同じです)無理やりカタカナで書けば「ティンシ・ナイ・チヴー」といった音感近似値になります。
これは、香港の映画監督、ウォン・カーウァイの初期作品名中、邦題では「欲望の翼」「楽園の瑕」「天使の涙」と、助詞の「の」で繋げられた作品の原題に、逐語訳が一つもない=「乃」が使われていない(各々「阿飛正傳」「東邪西毒」「墮落天使」)。という事実を、作品に<コラージュ>した訳です。
スペイン語の逐語役としての「天使の恥部」の「の」を「乃」に変換することで、そもそも小説であり、しかし映画でもあったプイグの文学作品が、夢という場で、まずは香港映画になり、そこを足場に、現実に一歩踏み込むと、日本人の集団が演奏する、非常にマニエリスティックなラテン・ミュージックの録音作品になる。といった具合です。
ですので、結果、プイグの「天使の恥部」は、この音楽作品「天使乃恥部」と「名前が1文字以外同じ」という関係以外、一切何の関係もない、とも言えますし(小説それ自体から、例えば作詞のリージョンに1文字も「引用」はしていませんし)、逆に、我々「菊地成孔とぺぺ・トルメント・アスカラール」という楽団自体が、結成された瞬間から、プイグのこの小説の中に完全に包摂されている、とも言えます。
我々は楽団で、音楽を演奏しますが、それ自体が文学であり映画である。といった構造=コラージュ体=夢なのだ、とも言えるでしょう(ただ、我々が誕生するきっかけになった、私のソロアルバム「南米のエリザベス・テーラー」が、プイグの「リタ・ヘイワースの背信」と何らかの依拠関係にある。という指摘は、発売から今日までの20年以上に渡り、一つもありませんでした)。
その一方で、我々の音楽に漲る、極端なまでに(それはまるで「夢のように」)激しい現実感、その出所については、これ以上文章化するよりは、可能な限り演奏を聴きに来て頂くことで(演奏行為は、ある意味、音響よりも現実そのものですので)経験される事を望むばかりです。我々の演奏が放つ「激しすぎる現実感」は、例えば、自分の恋愛感情を赤裸々に具体的に歌うSSWのリアリズムと、対極にあると言えるでしょう。
委嘱作曲家としてヴァルダン・オヴセピアン、丹羽武史(「新音楽制作工房」)、私との共作曲家として高橋大地(「新音楽制作工房」)、小田朋美、弦楽編曲に中島ノブユキ、そして結成20周年目にして初めての試みである「電化」(楽団で演奏した楽曲に、事後的に電気的な処理を施す)という別種の編曲を施してくれたsatō(「新音楽制作工房」)、という若く素晴らしい才能たち、そして「最新」と言っても約10年目となる、最高の楽団員による演奏はこうして、夢と現実、引用とコラージュ、映画と音楽と文学に関して、我々が実践してまいりました20年間の結果が詰め込まれています。
特典映像、というよりも、我々の、この音楽とコラージュ関係にある、長く多種に渡る動画、テキスト、そして何より、2つの香水によって、あなたが先ず、20年間分のコラージュの過程と結果を、夢そして現実として経験されますよう。その経験が、我々と共有され、あなたを、先ずは現実から、そして夢からさえも解放し、あなたが誰だか、わからなくなってしまいますように。
ぺぺ・トルメント・アスカラール 楽団代表 菊地成孔
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