「生まれて初めてづくしの旅の話(最終回)」 


 

 いつもペペトルメントアスカラールのステージMCで言うように、嫉妬と自慢はいけない。これは満州鉄道の警備員というバイトを、生涯で僅か6年間だけやった以外は、ずっと板前で、死ぬまで板前だった父親が、唯一遺したウィズダムなので、一生忘れないだろう。嫉妬すると、やがてされるようになる。自慢すると、やがてされるようになる。その結果どうなるかといえば「自慢が過ぎると前から」そして「嫉妬が過ぎると後ろから」「刺されるから」。という話だ。



 

 このウィズダムがあのクソ親父にしては良くできているーー



 

(推測だが、きっとこれは、僕の守護神である、父方のお爺ちゃんからクソ親父に伝えられたものを、クソ親父が、さも自分で身につけたみたいな顔で僕に授けたのである。やはりお爺ちゃん=胃癌で、四十六で亡くなったが、大変なカリスマ持ちで、陽気な正義感で、彼にどれだけ抱腹絶倒のエピソードがあったか、僕は、出入りの魚屋とか酒屋、近所の店の大旦那たちから嫌という程聞かされた。銚子市が、東京大空襲の残し球をばら撒かれて焦土と化し=歓楽街から駅舎が見たという、特に歓楽街の人々はメンタルがダウンした。お爺ちゃんは、なんとかやっと食用の馬が一頭、市場に届いた時、屠殺させずに、家のタンスに仕舞い込んであった、セレモニー用の軍服と軍刀の鞘だけ下げ、古物商から買った戦国時代の兜を被って、馬にも魚網やら何やらで作った行進用の衣装をこしらえ、それに乗り、歌を歌い、鞭で指揮をとりながら、歓楽街から商店街へと続く焦土を行進し、街の人々はゲラゲラ笑ったり泣いたりしながら、何百人も付いてきたそうだ。そして行進が終わると、お爺ちゃんは馬にキスをいっぱいしてから、解体し、内臓も綺麗にやって、行進についてきた人々のために馬鍋を作った。戦後、界隈いちの大店になった酒屋の店主は「丁稚奉公の頃だったが、後にも先にも、馬があんなに美味いと思ったことはない。ナルちゃんが生まれるずっと前に亡くなったが、寝る前には必ず、お爺ちゃんに話しかけてから寝なさい」と言って一葉の写真をくれた。元、廓の女将だった老女は「お爺ちゃんは、トンボが切れてね=バク宙ができる)そこらの通りで船方でもヤクザでもない普通の人たちがよ、喧嘩したりすっと、近くまで行って、「やめろー!」って、でっけえ声で叫んでね、孫悟空みたいにトンボ切ったよ。そうすっと、誰だって大笑いになってよ。喧嘩してたことなんか忘れちまうだよ」と、目を細めていった。どう考えてもお爺ちゃんはキチガイだったと思う笑)



 

 ーーのは、「嫉妬はされてもするな」とか「自慢はされてもするな」とかいう、セコく、ありきたりな教えではない事だ。「自慢は前から刺され、嫉妬は後ろから刺される」というのは、原理に属することだと思う。



 

 なので、後ろから刺されるリスクを承知で、滅多にしない自慢をするが、僕は角川春樹に、直接「成孔、伊勢神宮なんて観光地だぜ。それよりお前よう、天河神社知ってるか?あそこで護摩炊くときはもうお前よう、夜中から炊き始めて朝まで炊くんだよ。もう若けえヒッピーがいっぱい来てて、全員マッパだよ。マッパ。それで、片っぱしからフリーセックスしちゃうんだ。ほんとだぜ。すんごいんだよお前、成孔よう。うっはっはっはっは」と言われ、肩を組まれてビールを注がれた男だ。



 

 僕は「いやあ角川先生(頭を思いっきりしばきながら「先生はやめろ!」と叫んだ)、痛ってー。フリーセックスとかトランスとかには僕興味ないんですよ。お伊勢さんは、天照大神を祀ってある、全国の神道のネットワークの、プロトコル作ったような中心地でしょう。先生が(頭を思いっきりしばきながら「先生っていうなバカ!」と叫んだ)痛ってー。おっしゃるように、観光地ですけど、それ言ったら最初から観光地ですよ。観光地が聖地ってえのが、良いんじゃないですか?」と言った。