「生まれて初めてづくしの旅の話(2)」

 

 

 僕が不安神経症を発症し、強いパニック発作があったこと、それを精神分析と内気功のコンビネーションで治療したことすら知らない。という人も増えているかもしれない。僕は分析医にも気功師にも恵まれ、症状としては半年で治ったし、その後も自分の心身をチェックするために、今でも内気功(合気道の秘術や、ドラゴンボールのカメハメ波みたいな、両掌中から発するエネルギー体。みたいなものが実存しないのは言うまでも無いが、遠隔で整体ーーここでは、気の流れを整えることーーすることさえ「外気功」とされ、これは中国政府も、気功の学会も実存は認められていない。気功によるあらゆる治療は「内気功」、即ち整体師が患者の体に触って、更には患者自身が自分の体を触って通気させる治療法のことで、日本語の「手当て」に結実しているが、「癒気(ゆき)」とも言う)の道場には通い続けているし、精神分析のセッションも、強い症状が収まり、「寛解」のような状態になっても10年間(50歳ジャストまで)続けた。

 

 しかし、コレは行動療法(僕は行動療法の指導は一切受けていないので、偶然。ということになるが)としても、伝統的、慣習的な自然療法にも適合していると思うのだが、僕が日々行なって、それによって明らかに症状を収めたものは、「散歩」だった。

 

 中でも、それまで、まあ、嫌いということも全く無いが、特にありがたみを強く感じていたわけでも無い、「神社や寺院に行くこと」の効果は絶大なものだがあった。

 

 神社の方は、幼少期に性被害に遭いかけた舞台が神社の裏庭みたいなところだったので、しばらく恐怖心があったが、地方の、寂れた神社はお化け屋敷の如きであり、神社という存在に一般性を持たせるには至らなかった。小中の頃から、まだ売れっ子小説家になる前の兄が、家族旅行を企てる歳、最初に行ったのが京都で(なので、高校の修学旅行よりも早く僕は京都通いをしていた)、神社仏閣がどれも素晴らしく、三味線を伴奏楽器にした、長唄、清元、常磐津、都々逸、小唄、端唄、といった芸事が(テレビで歌舞伎中継を熱心に観ていた事もあり)好きで、いまだに誰の前でもやったことがないが、インチキな長唄の類を、学童の頃から、学校の帰り道で歌っていた事もあり(これが、「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」の、第一近過去のシーンに活かされている)、花街や元花街に興味を持っていた事も幸いした。

 

 しかし、「樹木に触れる事」を経験したのは、この、治療中の散歩の時が初めてである。浸透儀式、神道の歴史、等々に関しては全て割愛する(無駄に長くなるので)が、もちろん、賽銭を投げ、柏手を打つのは最重要な行事で、僕は自宅にも事務所にも神棚は欠かしたことがない。しかし、神社には100年単位の樹齢を持つ巨大な古木が植えられている(ここで、1000年単位のが凄かろう。という論法が出てくる。後述するが、僕は100年単位で充分である)。