ビュロ菊だより

<菊地成孔の日記 2022年8月19日 午後11時記す>

2022/08/20 09:00 投稿

コメント:16

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 三宅一生と森英恵が亡くなった。誰でも顔や名前は知っているがゆえに、却って業績が伝わりずらいタイプのデザイナーだと思う。勢い「菊地さんはどう思ってるんですか?」という問いが、モード中枢からモード周縁、モード度外れの外宇宙からまで発せられそうな、特に発せられなそうな。

 

 第一に僕は今、バージルアブローまでのモード改革以降に関しては、ものすごい距離感ができてしまったままで、全くモード界を俯瞰できていない。ショー映像をたまにチェックするぐらいだ。

 

 あと、当チャンネル会員の皆様であればとっくにお気づきだと思うけれども、僕は、2019年あたりから、ユニクロ以外、1着も服を買っていない。パタッとやめたのである。

 

 更に言うと、過去のアイテムをワードローブから選んで着回しする(別にこれは普通のおしゃれである)、ということも一切やめた。ここ数年僕はユニクロかグッズ(主にドスモノス のパーカー笑)しか着ていない。

 

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コメント

userPhoto 菊地成孔
(著者)

>>10

 いいですねえ実に。

 僕は森英恵が、モード界では当たり前のLGBTQに属さず、ご主人と夫唱婦随で仕事に集中できた「働く女」のオールドスクーラーだったこと、あと、モード的なショックをパリでもイタリアでもロンドンでもなく、ニューヨークのティファニーで受けたこと、美智子さま御成婚パレードのウエディングドレスをディオール(実際はサンローラン)にやられたことで、300本と言われている、日活系の邦画の衣装デザイン、オリンピック選手団や、最初のJALのスチュワーデスの制服、雅子さま御成婚パレードのウエディングドレス、と、やるべき仕事がちゃんと常に用意されていた事が大きかったと思います。

ブライダルドレスの第一人者である桂由美が、初めてパリコレでショーを開いた時に、森英恵は、大きな花束を持って楽屋に入ってきたそうです。あの桂由美が「嬉しいとか後衛とか全く感じる暇がなかった。恐れ多すぎて、顔が見れず、頭を下げたまま脇がびしょびしょになった」と、本当に嬉しそうに語っていて、なんかよかったなあ。と思いました。

No.14 20ヶ月前
userPhoto 菊地成孔
(著者)

>>15

 悪い、こうちゃん、削除するわ笑、一方的な連投が止まらなくなってるんで笑

No.16 20ヶ月前
userPhoto 菊地成孔
(著者)

>>16

 あれ?たたたたたくん、コメント書いてなかったっけ?俺の夢?笑

No.20 20ヶ月前
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