>>10 いいですねえ実に。 僕は森英恵が、モード界では当たり前のLGBTQに属さず、ご主人と夫唱婦随で仕事に集中できた「働く女」のオールドスクーラーだったこと、あと、モード的なショックをパリでもイタリアでもロンドンでもなく、ニューヨークのティファニーで受けたこと、美智子さま御成婚パレードのウエディングドレスをディオール(実際はサンローラン)にやられたことで、300本と言われている、日活系の邦画の衣装デザイン、オリンピック選手団や、最初のJALのスチュワーデスの制服、雅子さま御成婚パレードのウエディングドレス、と、やるべき仕事がちゃんと常に用意されていた事が大きかったと思います。 ブライダルドレスの第一人者である桂由美が、初めてパリコレでショーを開いた時に、森英恵は、大きな花束を持って楽屋に入ってきたそうです。あの桂由美が「嬉しいとか後衛とか全く感じる暇がなかった。恐れ多すぎて、顔が見れず、頭を下げたまま脇がびしょびしょになった」と、本当に嬉しそうに語っていて、なんかよかったなあ。と思いました。
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ビュロー菊地チャンネル
(著者)
>>10
いいですねえ実に。
僕は森英恵が、モード界では当たり前のLGBTQに属さず、ご主人と夫唱婦随で仕事に集中できた「働く女」のオールドスクーラーだったこと、あと、モード的なショックをパリでもイタリアでもロンドンでもなく、ニューヨークのティファニーで受けたこと、美智子さま御成婚パレードのウエディングドレスをディオール(実際はサンローラン)にやられたことで、300本と言われている、日活系の邦画の衣装デザイン、オリンピック選手団や、最初のJALのスチュワーデスの制服、雅子さま御成婚パレードのウエディングドレス、と、やるべき仕事がちゃんと常に用意されていた事が大きかったと思います。
ブライダルドレスの第一人者である桂由美が、初めてパリコレでショーを開いた時に、森英恵は、大きな花束を持って楽屋に入ってきたそうです。あの桂由美が「嬉しいとか後衛とか全く感じる暇がなかった。恐れ多すぎて、顔が見れず、頭を下げたまま脇がびしょびしょになった」と、本当に嬉しそうに語っていて、なんかよかったなあ。と思いました。