古くからのファンの方ならば納得していただけるものと思うが、僕は弱音を吐いたり、落ち込んで見せることが苦手だ。と言うか、そもそも出来ない。
SNSが苦手な理由の一つに、あれが弱音や弱音を超えた腐り音(くさりね)の吐きだめで、がゆえに元気もらっただのこれで生きて行けるだの背中押してくれるとかリレーションが一切の躊躇なく起こることだ(90年代に「背中押してくれる」が流行りだした頃、僕は「絶壁で戸惑っていたら、あなたが背中押してくれた。という歌詞を書いたら良い」などと嘯いていた)不良や病人が嫌だといっているのではない。僕が不良や病人が好きか嫌いかはご理解いただけると思う。ただ、とにかく弱音が吐けない。友人知人、結婚していた当時の妻にも誰にも出来なかった。結果、精神分析送りになった。
なので、とうとうこの歳になって初めて弱音を吐くので、吐く前からワクワクしているのだけれども笑、今、ものすごい憂鬱だ。誰かに助けてもらいたい。
靭帯損傷が治りかけで再びひねってしまい、治療がリセットでゼロからスタートするのも、そりゃあそこそこ憂鬱だけれども(日課だったストレッチや運動が、ここ最近できていなかったのが、更に全くできなくなってしまったのが痛恨である。1日も早くインナーマッスルをリメイクしたい)、靭帯損傷した経緯や、再びひねってしまった経緯が超笑えるし、ストレッチと筋トレは、先ずは上半身限定で始めるので、弱音を吐くほどのことではない。
左耳の聴力は順調に落ちていて、幸い長沼の地声がでかいので助かっているが、アーティストとかで、恐るべき小声の人(一番小さいのは類家くんと辻村くん笑)と話すと、もうほとんど聞き取れないので、「え?」と言って、何ですかマン(「ひょうきん族」のキャラクター。明石家さんま演)みたいになる。補聴器を勧められているが、補聴器も今は軽量でおしゃれなものも多いし、するのが楽しみである。良いじゃないの、デビュー当時のタモさんのアイパッチみたいで。
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アナウンサーという聞き慣れない職業は、もちろん、日本以外では存在していない。アナウンスをする人というのは、真っ先にこのご時世AIに取って代わられるべく職業の筆頭だが、なくなるはずはない。その多様性からアナウンサーと読んでいるものの、アナウンス以外の職務を全うすることが殆どだからだ。
マルケスは、元々、記者だったというのは誰もが知っている。だが、彼の記事はアナウンスされたことがない。彼は、主に新聞を主戦場としていたので、読者にはアナウンスする人達が必要なかった。勝手にその声は鳴らされていた。
数年前にRelato de un naufragoが音声ドラマとして甦った。原文を忠実に読むパート、そして関係者へのインタビューという、事実→フィクションの流れを逆行するような作りになっていた。もちろん、マルケスへのオマージュが満載である。スペインのプロダクションの制作だが、ナレーターは、わざわざコロンビア人を使っていた。
最初にガルシアマルケスが、田中みな実に朗読された時に感じた違和感。それは、アナウンスされるというものが足りなかったマルケスの記者としての本分の浄化だった。
ガルシアマルケスを田中みな実に朗読させたと言うよりは、田中みな実にガルシアマルケスが朗読してもらったと言う方が正しいと理解している。マルケスに唯一足りなかったもの、それは、彼の作品のアナウンスメントであることに、この番組のクリエイターは気付いていたのかも知れない。
恐ろしいのは、現在、中核を担っている50代の訃報が相次ぎ、それによって生き残った80代がくっきりと存在感を増している状況。子が先に亡くなっていくのを、どんな気持ちで眺めているのだろう。ちなみに、彼らもその昔は、親より先に逝ってしまう子の世代だった。
お体ご自愛ください。ワークショップの菊地カメラ、楽しみにしております。