ディナー時間の生活支配力はただならぬ物があり、生活時間が一向に夜型に戻らない。「大恐慌のラジオデイズ」の収録だけが0時からでないと気が乗らないので、0時から早朝にかけてやっているが、コレもその内21時ぐらいから始めるような気がする。
ここ最近はメールボックスに届くファンメールが増えている。2000年代のファンメールを数えてみたら、年間3通とかいう年さえあり、それはこのブロマガを始めても変わらなかったのだが、「拾ったCDをかけっぱなしにして質問に答える」の影響もあってか、今年に入ってから急増している。
そのほとんどが長文である。人々は長文に飢えているのだろうか。そしてその多くが、ライブの感想とかではなく、人生相談に近い。時代の推移を感じる。「スペインの宇宙食」を出したばかりの頃(もうそろそろ刊行20周年である)は、長文しか来なかった。過日「10年ひと昔」という言葉があったが、やはりコロナ禍の影響か、「ひと昔」は20年になったのだろうか。
コメント
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>>32
そうなんですよ笑、あのパンチライン素晴らしいですよね笑、ここのコメ欄がどうのこうのでは全くなく、和みは必要ですよね笑
(ID:11887164)
丁寧なご返信ありがとうございます。嬉しく思います。
家人がカトリック教徒ですが、私どもは、ゾンビカトリシズムでもない、ミイラカトリシズムだと思っております。
(ミイラカトリシズムは、バザンとエル・サントの両方から頂いております。)
勿論、正統派からは誕生時より脱しており、なにせマリアも褐色(Morena)です。
偽物であること、から生じる真実性、を再構築している、と感じるのです。
逆説的ではありますが、リベラの「Sueño de una tarde dominical en la Alameda Central」を見ていたとき、
デートコースを思い返したことがあります。時代と生死、リズムを超えて同じ場に複数いる。一日中眺めても飽きません。
DC/PRGがいなくなった後の世界がどうなるのか、何とか生き延びて見届けたいと思います。
(著者)
>>34
大きな誤読がなかったようでよかったです笑。「カトリコ・エル・ノミア(というもでしょうか?)」という記述は、恥ずかしながらアンドレ・バザンの「映画とは何か?」の全巻と、オーソンウエルズの研究書を翻訳で読み、膨大なエルサント映画から、わずか数作だけを見てはいるのですが、記憶しておりませんでした笑。
褐色のマリア像は、「キューバップ」という映画で、冒頭から出てきます。クバの人々は、マリア像にラムをかけるのですね。ご指摘の通り、「Sueño de una tarde dominical en la Alameda Central」は(も)、ぺぺとルメントアスカラールだけではなく、僕の音楽を底通するイメジネーションを与えてくれ続けています。あれがメヒコの1920年代ですよね。少々後の、北米でのニューディールによる公共施設壁面のオーバーオール絵画から結果ポロックが生まれ、ヒップホップのグラフィティが生まれたことを、愛憎入り乱れる北米に対する、異形の一つであり、それがメヒコから生まれていることを、僕は忘れません。
DC/PRGは解散しますが、僕が音楽をやめるわけではありませんし、今後のニューアメリカに対するアクションは続けてまいります。「なんとか生き延びて」というのは拙国に於いてはクリシェとなっていますが、貴国におけるその発言には、退っ引きならないリアリティを感じ図にはいられません。どうかお命を大切に育んでください。