めるまがアゴラちゃんねる、第053号をお届けします。
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コンテンツ
・ゲーム産業の興亡(63)
ゲーム機を初めてオープン環境にしながら失敗した「PS2 Linux」
新清士(ゲームジャーナリスト)
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特別寄稿:新清士(ゲームジャーナリスト)
ゲーム産業の興亡(63)
ゲーム機を初めてオープン環境にしながら失敗した「PS2 Linux」
マイクロソフトが、04年に「XNA」の発表を行ったときのインパクトは、非常に大きかった。これまでゲーム機の中身を、ユーザーが直接触ることができる環境をハードウェア会社が正式に、しかも、積極的に認めたことは、過去なかったからだ。しかし、それ以前にも、例がなかったわけではない。
■ユーザーにゲーム機の開発環境を提供した「PS2 Linux」
それはソニー・コンピュータエンタテインメントが、00年の「プレイステーション2」向けに、01年にリリースされた「PS2 Linux」だ。PS2の開発環境は、オープンソフトウェアのLinuxを利用した環境で作られていることが知られていた。そして、当時の久夛良木健社長が「出そうと思えば明日にも出せる」という発言を行ったことで、SCEはLinuxに対して積極的ではないかという期待が集まった。
それをきっかけに、ユーザーの署名活動が行われ、実現したものだ。01年に受注生産されたβ版がリリースされ、販売予定数は2000台を予定していたが、約7900台をLinuxコミュニティに販売している。さらに、日本のLinuxコミュニティのウェブサイトを通じた正式リリースを求める署名活動に押される形で、02年1月に「PS2 Linux 1.0」正式販売がスタートした。
当時のプレスリリースによると、アメリカ、ヨーロッパでもアンケートを行ったところ、「2万8000件のLinuxエンジニアからの正式版リリースの要望が寄せられた」としている。アメリカ、ヨーロッパでもPS2 Linuxコミュニティが立ち上げられ、当時はユーザーの期待が全世界的に大きかったことを物語っている。
PS2 Linuxは、PS2専用ハードディスクドライブとソフトウェア、P S2専用ネットワークアダプター、USBキーボード(PS2対応)およびUSBマウス(PS 2対応)、PS2専用D-sub15ピン変換ケーブルがセットになっていた。SCEは、専用のサイトを用意し、積極的にLinuxコミュニティをサポートする姿勢を見せていた。
■やがて盛り上がりを失いサポートが中止される
ただ、結果的には、この試みは成功することはなかった。実際にはPS2のハードウェアのアーキテクチャが、非常に複雑でプログラミングが難しいことが明らかになってきた。また、PS2 Linuxは、DVD-ROMやメモリーカードのデータを読めなかったり、実際にはゲーム機として使用しないハードウェア環境としては、インテル系のチップを使った汎用DOS/Vマシンと比較して貧弱な環境であることも明らかになってきた。そのため、PS2 Linuxで実現できることは、大きな期待を集めたほどではなかった。
そのため、大半のユーザーは、インストールして、デモのプログラムを動かすだけに留まっている。大きな成果を出したソフトウェアが誕生することはなかった。PS2 Linuxを継続的に使い続ける人も現れなくなった。そして、リリース開始から02年後、04年に発売されたPS2の小型化されたバージョンの「SCPH-70000」では、PS2 Linuxは動作することはなく、サポートは打ち切りになった。それでも、一部のLinuxコミュニティからは継続を求める声は少なくなかった。
これは、家庭用ゲーム機と、それをめぐる開発者コミュニティとの関係が、成果を出すことができずに、不幸な形で終わったケースと言えるだろう。こうした結果に終わった背景には二つの理由が考えられるだろう。第一に、PS2のアーキテクチャそのものが、SCEが独自に開発した極めて複雑な環境であったために、DOS/V機に比べて開発するメリットが当時の開発者にはなかったという点だ。第二に、SCE側もPS2 Linuxの機能に様々な制限を課し、自由に開発できる環境を実際には積極的に提供しなかったことが上げられるだろう。
■PS2 Linuxの普及を進めるインセンティブが低かった
ただ、当時のSCE側が制限した理由は理解できる面がある。ユーザーが開発したソフトウェアやゲームが、SCEの審査なく自由に出回るようになると、SCEが築き上げてきたパッケージゲームを流通させることで利益を得ているビジネス環境を根本から揺るがしかねないリスクを背負うことになるためだ。
PS2はPS1に比べて、より開発環境が複雑であったために、プログラマーが対応したゲームソフトを作るためには、より高度なスキルを獲得する必要があった。それでもPS2そのもののブランド価値は低下することはなく、PS1時代に作りあげたビジネスモデルは十分に機能し、ヒットに成功していた。
また、当時は、まだハードウェア性能が売りとなっている時代で、できることもそもそも少なかった。Xbox360世代移行にやって来るハードウェア性能が、軽いゲームを開発するには,十分にオーバースペックになる時代にまでは至っていなかった。そのため、わざわざ、PS2 Linuxの発展を押し進めるインセンティブは低かったと考えられる。
■XNAもビジネスモデルを守るための制限がついていた
その点は、ユーザーが家庭用ゲーム機向けの開発環境を本格的に提供したXNAでも大きく変わっていない。XNAはアメリカの大学や、日本でも専門学校を中心に教育用の環境として広く使われるようになる。しかし、XNAの決定的な限界は、ユーザーが開発したゲームは、そのままでは流通させることができなかった点だ。
プログラムの開発は可能だが、他のユーザーに完成したゲームを、データとして簡単に配ることはできる仕組みは提供されなかった。マイクロソフトも、パッケージを販売するゲームのビジネスモデルを崩すことのリスクを負いたくないという考えが明確にあったと考えることができる。
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新 清士(しん きよし)
ジャーナリスト(ゲーム・IT)。1970年生まれ。慶應義塾大学商学部、及び、環境情報学部卒。他に、立命館大学映像学部非常勤講師。国際ゲーム開発者協会日本(IGDA日本)名理事。米国ゲーム開発の専門誌「Game Developers Magazine」(2009年11月号)でゲーム産業の発展に貢献した人物として「The Game Developer 50」に選出される。日本経済新聞電子版での執筆、ビジネスファミ通「デジタルと人が夢見る力」など。
Twitter ID: kiyoshi_shin
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