>>74 >>78 >>75 皆様方の江戸時代における意見を読んで、私の見解も述べさせていただきますと、確かにいつの時代でも場所は地域、立場によって温度差が異なることは事実であり、また、近代という現在の時代においては、はすでに歴史となった時代を再現することも再来させることも不可能です。これはたった70数年前の大東亜戦争開戦前の日本の再来をあれだけ熱望しても一向にその兆しすら見えてこないことがその一例と言えましょう。戦前の再来というよりも過去の教訓を生かしていないばかりにかつてない過去に失敗した愚を再び犯しては國の危機が迫っているというのが現状でしょうが。 まず、天明の大飢饉ですが、この天災は我が國に止まらず、世界各地でかつてないほどの寒冷を齎し、同じ時期には欧州でも凶作が発生してフランス革命の原因の一つにすらなっていたのですから、いかにも当時の徳川幕府の日本が如何に安定していたかを表す一因とも見て取れるのです。また、冷害についてですが、冷害に強い作物や農法は現在でも一般的に普及しておらず、もし、天明の大飢饉と同じく冷害が現在でも襲ってきたら間違いなく、凶作は避けられないでしょう。これは1993年の凶作によるコメ不足が一例を表していますし、現在ではやっと、冷害に強く、お金のかからない木村方式の自然農法や岩澤方式の不耕起農法が開発され、各地域で少数ではありますが実施されています。 大飢饉に生きる人々は当時の視点から見ても、現在の視点から見てもその危機感は並大抵の存在ではないことは明らかですが、広い視野で見れば革命や崩壊がいつ起きてもおかしくないほどの大天災であったことを世界の情勢という広い視野から、歴史としてみて評価してくれればと思います。江戸時代とは270年という平和の時代における試行錯誤の時代でもあり、現在に伝わる偉大なる日本文化が発展、普及、定着した時代でもあったわけですから、失敗例もいくらかあると思いますが、それはあくまでも結果を解っている我々から見ればの話で、当時の情勢や視点から見れば必ずしも愚行ということとはなりません。 今、我々に必要なのは如何にして、江戸時代に養った先人の知恵を生かして継承しつつ、近代の限界を乗り切るかが本題であって江戸時代の再来そのものが目的ではありません。この江戸時代に養った先人の知恵を生かして稀代の限界を乗り切る行為こそが「里山資本主義」であり、「里海」でもあるのです。江戸時代になぜに、東京湾(江戸湾)や江戸湾周辺の海域では水産資源が豊富であり続けたのかは「里海」で見られる牡蠣の養殖と、牡蠣と同じく水の浄化作用を及ぼす海苔養殖が盛んだったからなのです。近代化が進むにつれてこれらの二つの水産業が東京湾から姿を消してしまったために江戸前も東京湾外から来る水産物で大半を占める様になってしまったのです。 このように、江戸時代の先人の知恵を現代でも己の一人になっても本業なり、副業なり、あるいは趣味だけでも生かして原発を始めとする近代の限界を乗り越えて次世代に繋げていくことが我々ができる、國のための役目であって、そのためにも江戸時代に養われた先人の知恵を大いに参考にしようというのが、ここのコメント欄で江戸時代を取り上げている方々の主張なのではないのかと思います。 靖国神社の英霊も、近代そのものを守るために命を捧げて散って行ったわけでは無かったろうに。
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小林よしのりチャンネル
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>>74 >>78 >>75 皆様方の江戸時代における意見を読んで、私の見解も述べさせていただきますと、確かにいつの時代でも場所は地域、立場によって温度差が異なることは事実であり、また、近代という現在の時代においては、はすでに歴史となった時代を再現することも再来させることも不可能です。これはたった70数年前の大東亜戦争開戦前の日本の再来をあれだけ熱望しても一向にその兆しすら見えてこないことがその一例と言えましょう。戦前の再来というよりも過去の教訓を生かしていないばかりにかつてない過去に失敗した愚を再び犯しては國の危機が迫っているというのが現状でしょうが。
まず、天明の大飢饉ですが、この天災は我が國に止まらず、世界各地でかつてないほどの寒冷を齎し、同じ時期には欧州でも凶作が発生してフランス革命の原因の一つにすらなっていたのですから、いかにも当時の徳川幕府の日本が如何に安定していたかを表す一因とも見て取れるのです。また、冷害についてですが、冷害に強い作物や農法は現在でも一般的に普及しておらず、もし、天明の大飢饉と同じく冷害が現在でも襲ってきたら間違いなく、凶作は避けられないでしょう。これは1993年の凶作によるコメ不足が一例を表していますし、現在ではやっと、冷害に強く、お金のかからない木村方式の自然農法や岩澤方式の不耕起農法が開発され、各地域で少数ではありますが実施されています。
大飢饉に生きる人々は当時の視点から見ても、現在の視点から見てもその危機感は並大抵の存在ではないことは明らかですが、広い視野で見れば革命や崩壊がいつ起きてもおかしくないほどの大天災であったことを世界の情勢という広い視野から、歴史としてみて評価してくれればと思います。江戸時代とは270年という平和の時代における試行錯誤の時代でもあり、現在に伝わる偉大なる日本文化が発展、普及、定着した時代でもあったわけですから、失敗例もいくらかあると思いますが、それはあくまでも結果を解っている我々から見ればの話で、当時の情勢や視点から見れば必ずしも愚行ということとはなりません。
今、我々に必要なのは如何にして、江戸時代に養った先人の知恵を生かして継承しつつ、近代の限界を乗り切るかが本題であって江戸時代の再来そのものが目的ではありません。この江戸時代に養った先人の知恵を生かして稀代の限界を乗り切る行為こそが「里山資本主義」であり、「里海」でもあるのです。江戸時代になぜに、東京湾(江戸湾)や江戸湾周辺の海域では水産資源が豊富であり続けたのかは「里海」で見られる牡蠣の養殖と、牡蠣と同じく水の浄化作用を及ぼす海苔養殖が盛んだったからなのです。近代化が進むにつれてこれらの二つの水産業が東京湾から姿を消してしまったために江戸前も東京湾外から来る水産物で大半を占める様になってしまったのです。
このように、江戸時代の先人の知恵を現代でも己の一人になっても本業なり、副業なり、あるいは趣味だけでも生かして原発を始めとする近代の限界を乗り越えて次世代に繋げていくことが我々ができる、國のための役目であって、そのためにも江戸時代に養われた先人の知恵を大いに参考にしようというのが、ここのコメント欄で江戸時代を取り上げている方々の主張なのではないのかと思います。
靖国神社の英霊も、近代そのものを守るために命を捧げて散って行ったわけでは無かったろうに。