>>169 sigma10さん、初めまして。 >伝統的な日本食は確かにヘルシーですが、だからと言って江戸時代の食生活が理想的かというとそれは違うのではないでしょうか。栄養価の観点からは、肉食を取り入れている現代の方が優れているように思えます。 「まゆゆのきのこカレー」に対する私の主張は少々行き過ぎた所があると思いました。円安が響く飲食店の閉店と苦しい経営状況の中、思い切った創作料理を作る暇もないことはご指摘の通りです。その点につきまして、エディさん及び、家庭料理の水先案内人の役割を果たしているプロ意識を持つ料理界の人々の誇りを傷つけた形となりましたこと、ここに、心よりお詫び申し上げます。 さて、江戸時代でも都会ではももんじ屋で肉食が「くすり食い」の名目で庶民が肉を食べることができましたし、武士も大名が行う狩りの産物としてウサギやシカ、狸(アナグマ)などの肉を食べることが出来ました。これは地方でも同じです。これらに肉は猪は「牡丹」、「山鯨」、鹿が「椛」と称されていまして今でもこの名が引き継がれています。豚肉も薩摩は江戸時代を通じて食べていましたし(西郷隆盛の好物が豚骨という豚肉の煮込みであった)江戸の薩摩屋敷でも豚肉が売られ、新選組や緒方洪庵も豚肉を食べていました。牛肉でもももんじ屋で食べられていたことと、牛肉の味噌漬けが彦根から毎年、将軍家に献上されていたことから、一時は牛が肉の生産のために減りすぎてしまい、牛の屠畜を禁止する令まで出されてしまったほどです。さらには江戸時代の人々は現在の8倍ものクジラ肉を食べていまして、江戸時代の料理は全国で今よりも多くの種類の肉を食べていたことが伺えます。 もし、江戸時代を通じて肉を食べる習慣がついていないのであれば牛、豚、鶏の大量消費もできなかったでしょうし、その証拠に西洋で当たり前に消費されている羊肉はいまだに全国的に日本に定着していません。 現代の日本人の平均寿命・体格ですが、江戸時代当時は自足5キロで歩き、飛脚が馬よりも早く郵便を届けることが出来たのは有名な話でその飛脚の主食が玄米と大豆でした。一方で明治以降に西洋の栄養学に基づく食生活を庶民にまで進めた所、脚気が蔓延して深刻な問題を引き起こし、この結果、日清日露で深刻な兵力不足を齎し、さらには江戸時代に脚気の防止方法があったにも関わらず、西洋医学崇拝のためにこの方法を無視して治療法穂が大幅に遅れてしまい、脚気の治療法がようやく改名されたのは昭和になってからでした。ビタミンB1をオリザニンという名で最初に発見したのが鈴木梅太郎であったにもかかわらず、鈴木博士が農学者であったために医学界から妨害され、脚気の治療薬として普及せずに外国の科学者にビタミンB1の名で国際科学界に登録されてしまった話も有名です。 統計に頼るのはよいことですが、江戸時代と現代における人々の死亡原因を比較する術がない以上は寿命、体格の比較を食生活だけで比較すること自体が非科学的であり証拠不十分と言えるでしょう。むしろ、現代のように態々、植物油脂を含む、穀物などの穀物加工品を大量輸入してまでして無理して畜産物や乳製品を大量製造し、外国の肉を輸入してまで肉や乳製品を無理して大量摂取する必要もないのではと思うのです。 このように安く大量に作られた製品は決まって、無農薬、無化学肥料で育てられた大豆や米などの穀物には適いませんし、当然、放牧に近い形で育てられた畜産物や資源が大切に管理されて扱われた水産物とて同じです。 同じ値段ならば、本物を求めましょう。そのためには江戸時代を生きた先人の知恵も学びましょう。もちろん、現代に生きるプロの料理人も水先案内人として欠かせない存在です。ただ、それだけの話なのです。
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>>169 sigma10さん、初めまして。
>伝統的な日本食は確かにヘルシーですが、だからと言って江戸時代の食生活が理想的かというとそれは違うのではないでしょうか。栄養価の観点からは、肉食を取り入れている現代の方が優れているように思えます。
「まゆゆのきのこカレー」に対する私の主張は少々行き過ぎた所があると思いました。円安が響く飲食店の閉店と苦しい経営状況の中、思い切った創作料理を作る暇もないことはご指摘の通りです。その点につきまして、エディさん及び、家庭料理の水先案内人の役割を果たしているプロ意識を持つ料理界の人々の誇りを傷つけた形となりましたこと、ここに、心よりお詫び申し上げます。
さて、江戸時代でも都会ではももんじ屋で肉食が「くすり食い」の名目で庶民が肉を食べることができましたし、武士も大名が行う狩りの産物としてウサギやシカ、狸(アナグマ)などの肉を食べることが出来ました。これは地方でも同じです。これらに肉は猪は「牡丹」、「山鯨」、鹿が「椛」と称されていまして今でもこの名が引き継がれています。豚肉も薩摩は江戸時代を通じて食べていましたし(西郷隆盛の好物が豚骨という豚肉の煮込みであった)江戸の薩摩屋敷でも豚肉が売られ、新選組や緒方洪庵も豚肉を食べていました。牛肉でもももんじ屋で食べられていたことと、牛肉の味噌漬けが彦根から毎年、将軍家に献上されていたことから、一時は牛が肉の生産のために減りすぎてしまい、牛の屠畜を禁止する令まで出されてしまったほどです。さらには江戸時代の人々は現在の8倍ものクジラ肉を食べていまして、江戸時代の料理は全国で今よりも多くの種類の肉を食べていたことが伺えます。
もし、江戸時代を通じて肉を食べる習慣がついていないのであれば牛、豚、鶏の大量消費もできなかったでしょうし、その証拠に西洋で当たり前に消費されている羊肉はいまだに全国的に日本に定着していません。
現代の日本人の平均寿命・体格ですが、江戸時代当時は自足5キロで歩き、飛脚が馬よりも早く郵便を届けることが出来たのは有名な話でその飛脚の主食が玄米と大豆でした。一方で明治以降に西洋の栄養学に基づく食生活を庶民にまで進めた所、脚気が蔓延して深刻な問題を引き起こし、この結果、日清日露で深刻な兵力不足を齎し、さらには江戸時代に脚気の防止方法があったにも関わらず、西洋医学崇拝のためにこの方法を無視して治療法穂が大幅に遅れてしまい、脚気の治療法がようやく改名されたのは昭和になってからでした。ビタミンB1をオリザニンという名で最初に発見したのが鈴木梅太郎であったにもかかわらず、鈴木博士が農学者であったために医学界から妨害され、脚気の治療薬として普及せずに外国の科学者にビタミンB1の名で国際科学界に登録されてしまった話も有名です。
統計に頼るのはよいことですが、江戸時代と現代における人々の死亡原因を比較する術がない以上は寿命、体格の比較を食生活だけで比較すること自体が非科学的であり証拠不十分と言えるでしょう。むしろ、現代のように態々、植物油脂を含む、穀物などの穀物加工品を大量輸入してまでして無理して畜産物や乳製品を大量製造し、外国の肉を輸入してまで肉や乳製品を無理して大量摂取する必要もないのではと思うのです。
このように安く大量に作られた製品は決まって、無農薬、無化学肥料で育てられた大豆や米などの穀物には適いませんし、当然、放牧に近い形で育てられた畜産物や資源が大切に管理されて扱われた水産物とて同じです。
同じ値段ならば、本物を求めましょう。そのためには江戸時代を生きた先人の知恵も学びましょう。もちろん、現代に生きるプロの料理人も水先案内人として欠かせない存在です。ただ、それだけの話なのです。