すみません、やはり4回目を書きます。ルール違反を容認して下さい。 >>142 Myaさん 自分も「コロナ論」を寄贈しましたが、試しに図書館検索システムで検索したところ、かなりの量のコロナ論・コロナ論2が所蔵されており、しかも貸し出し中もあることが判明しました。自分の住んでいる県や市も、県知事はコロナ脳で、市長も多分そうだと思うのですが(カジノ誘致派であることは間違いないので、支持していません)、あるところにはあるのかな、と思いました。地域によっても事情は異なるのでしょうが、めげずに挑戦して欲しいと願います。 ちなみに「コロナ論」ではないのですが、先日、庭のチューリップの写真を地元の立憲民主党の議員に送り、ワクチンやゼロコロナ対策が果たしてためになるのか、という意見を添えて送りました(毎年年賀葉書をいただいているので)。別に返事を期待しているわけではないのですが、相変わらず立民党のポスターは「カジノよりもゼロコロナ」で、枝野氏が絶叫している写真つきのものです。少しはメッセージが届いて欲しいと願うのですが、無駄なあがきだったのでしょうか。よけいなことをしたのかな、と反省しています。 >>137 創作茶魔語(絵無し)千手観音菩薩さん そういう不意の事態が起こったら、どう対処していいか分からなくなって当然だとおもいます。とは言え、まさかの時の反応が、その人の価値を決めるのだともいうのだから、気落ちされるのも仕方ないのでしょう。自分だったら、どうするのでしょうか。そのままマスクなしを続けるのでしょうか(厚顏無恥だから、そうするかも。それ以前に社会的に無視されているような状態です)。 それはさておき、人混みがあるということは手放しで喜べないのは、賛同します。要はマスクさえしていれば社会に参加できる、社会の一員である資格を貰えるということなのだから。ワクチン云々で、山尾志桜里議員などが言っている陰性証明もそういうことでしょう。それこそ、人種差別、個人の権利の侵害です。 「和の精神」とも申しますが、日本人はどうして人と違ったことをするのに躊躇するのでしょうか。村八分がそんなに恐ろしいのでしょうか。かくいう自分も職場ではマスクが必要な仕事なので、やむなくマスクをしていますが、私的にはなるべく外すようにしており、スーパーなどで店員に尋ねるときとか、デパートや図書館にはいる時は仕方がないのでつけるふりをします。ケースバイケースですね。 しかし、今号のQ&Aでどんな価値観にもダークサイドがある、というような回答をよしりん先生がされていましたが、光ではなく、影になってしまう場合は、それが影であると解説しないといけないのではないか、と思います。しかし、現状でみんなが一斉にマスクをつけるという事象がある限り(みんなで例外なく、という現象が私には信じられないのですが)そういう勇気が出てくるのでしょうか。せいぜい自分だけは気違いのふりをしてでもマスクをなるべしない、という行動をするしかないのでは。 西城秀樹の歌に「勇気があれば」という歌がありますが、「匹夫の勇」にならない勇気(こう書いている時点で矛盾しているのかな、向こう見ずなところが勇気にはあるのだから)が欲しいです。 >>147 ただしさん かなり初めの方です。開場30分位前から並んでいました。名乗ろうかとも思いましたが、忙しそうだったし、目立つのはあまり好きではないので、控えました(リストバンド、しっかり卷けてましたよ)。また機会がありましたら。 下らないことをだらだらと書いてしまいました。それではそろそろ生放送です。期待しています。
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すみません、やはり4回目を書きます。ルール違反を容認して下さい。
>>142
Myaさん
自分も「コロナ論」を寄贈しましたが、試しに図書館検索システムで検索したところ、かなりの量のコロナ論・コロナ論2が所蔵されており、しかも貸し出し中もあることが判明しました。自分の住んでいる県や市も、県知事はコロナ脳で、市長も多分そうだと思うのですが(カジノ誘致派であることは間違いないので、支持していません)、あるところにはあるのかな、と思いました。地域によっても事情は異なるのでしょうが、めげずに挑戦して欲しいと願います。
ちなみに「コロナ論」ではないのですが、先日、庭のチューリップの写真を地元の立憲民主党の議員に送り、ワクチンやゼロコロナ対策が果たしてためになるのか、という意見を添えて送りました(毎年年賀葉書をいただいているので)。別に返事を期待しているわけではないのですが、相変わらず立民党のポスターは「カジノよりもゼロコロナ」で、枝野氏が絶叫している写真つきのものです。少しはメッセージが届いて欲しいと願うのですが、無駄なあがきだったのでしょうか。よけいなことをしたのかな、と反省しています。
>>137
創作茶魔語(絵無し)千手観音菩薩さん
そういう不意の事態が起こったら、どう対処していいか分からなくなって当然だとおもいます。とは言え、まさかの時の反応が、その人の価値を決めるのだともいうのだから、気落ちされるのも仕方ないのでしょう。自分だったら、どうするのでしょうか。そのままマスクなしを続けるのでしょうか(厚顏無恥だから、そうするかも。それ以前に社会的に無視されているような状態です)。
それはさておき、人混みがあるということは手放しで喜べないのは、賛同します。要はマスクさえしていれば社会に参加できる、社会の一員である資格を貰えるということなのだから。ワクチン云々で、山尾志桜里議員などが言っている陰性証明もそういうことでしょう。それこそ、人種差別、個人の権利の侵害です。
「和の精神」とも申しますが、日本人はどうして人と違ったことをするのに躊躇するのでしょうか。村八分がそんなに恐ろしいのでしょうか。かくいう自分も職場ではマスクが必要な仕事なので、やむなくマスクをしていますが、私的にはなるべく外すようにしており、スーパーなどで店員に尋ねるときとか、デパートや図書館にはいる時は仕方がないのでつけるふりをします。ケースバイケースですね。
しかし、今号のQ&Aでどんな価値観にもダークサイドがある、というような回答をよしりん先生がされていましたが、光ではなく、影になってしまう場合は、それが影であると解説しないといけないのではないか、と思います。しかし、現状でみんなが一斉にマスクをつけるという事象がある限り(みんなで例外なく、という現象が私には信じられないのですが)そういう勇気が出てくるのでしょうか。せいぜい自分だけは気違いのふりをしてでもマスクをなるべしない、という行動をするしかないのでは。
西城秀樹の歌に「勇気があれば」という歌がありますが、「匹夫の勇」にならない勇気(こう書いている時点で矛盾しているのかな、向こう見ずなところが勇気にはあるのだから)が欲しいです。
>>147
ただしさん
かなり初めの方です。開場30分位前から並んでいました。名乗ろうかとも思いましたが、忙しそうだったし、目立つのはあまり好きではないので、控えました(リストバンド、しっかり卷けてましたよ)。また機会がありましたら。
下らないことをだらだらと書いてしまいました。それではそろそろ生放送です。期待しています。