「クールジャパン」って言うじゃないですか。でも、アニメ業界とかアイドルの業界の現場の人は、いま発表されている現状をみて、「うーん、なんか外してるよなぁ」と思っている人が、ほとんどなんじゃないでしょうか。

 でも、「日本でしかどうやら起きていないっぽい何か」を伝えたら、何か面白い、価値のあることが起きるんじゃないか、という感覚は、間違ってないと思うんですよね。ただ、いくつか、かなりはっきり間違っていることがある、んじゃないかと。

 まず第一に、「クール」じゃないんじゃないか、ということ。

 先日、世界中から呼ばれてライブをしに行きまくっていつつ、ニッポンのアニメ・アイドル産業の最前線にいる声優・シンガーソングライターの桃井はるこさんを #jz2 というトークイベントにお呼びして教えてもらったのが、世界の「ニッポン大好き!」って言ってくれる人たちは、みんな「クール」、冷静なんかじゃないということ。オタクである自分でも思いますが、好きなものに冷静に接する、なんて作法はあんまりありません。過剰に思いいれて、暑苦しくなるのが、オタクの常。だから、むしろ「ホット」。でもホットジャパン、とかいうと18禁サイトみたいになるなら、「ヒート」、熱、ぐらいが正しいんじゃないかなぁ、と。「暑苦しいジャパン」でも、いいんですけどね。

 で、もう一つが、「クールジャパン」の代表として、AKB48やきゃりーぱみゅぱみゅを世界へ連れて行く!っ てことになりますが、代表選手だけを連れていいっても、これは、その「伝えたら何か起きそうなニッポン」を世界に持ってったことにはならないんじゃないかな、と思うんですよね。私はマイナーなものは好きですけど、同時にDDですので、AKB48にもきゃりーぱみゅぱみゅもメジャーだからいけない、なんて言うつもりはないんですよ。

 私はアイドルが好きなので思うことですが、例えばAKB48も、他のアイドルが存在せずして、今みたいな位置にいることが出来るわけではないと思うのです。それこそ、AKBはアイドリング!!!とコラボ曲を出していたりもしたわけで、AKBを生んだアイドル業界全体があって、その業界全体の中で、AKBがいま首位にいる、ってことなんだと思うんですよ。だから、多分ニッポンにしかない「アイドル」ってものを世界中の人に見せようとしたら、ウィナーテイクスオール的に巨大な市場規模を持っているAKB48だけを連れて行けばそれでいいんじゃなくて、ハロプロやアップアップガールズ(仮)やベイビーレイズやBiSやそれこそ地下アイドルまで、みんなひっくるめて見てもらわないと、いけないと思うのです。全員連れて行けないにしろ、AKB48とハロプロだけ、とかじゃなくて、せめて、「なんでそのアイドルなの?」ってことが、市場規模や数字で説明できない人たちも、一緒に紹介しなくちゃいけないんじゃないかな、と。

 (それはアニメも、まどか☆マギカやエヴァだけじゃなくて、残念ながら経済的な結果がついてきていない数々のアニメや、場合によっては後ろ指をさされるようなエロゲーやライトノベルが無数にあって、それがあって大成功するアニメが醸し出されるんだと思うんですよね。)
 AKB48やまどか☆マギカみたいな存在を生むことが出来る「状況」「土壌」こそが、「世界に持って行ったら何かが起きそうなニッポン」なんじゃないかと思うのです。
 あともっと言うと、ニッポンの食べ物クール!って言った時に、「寿司」とか紹介して「いやそれ知ってますから!」っていわれちゃうようなことじゃなくて、中国発祥だけどニッポンでなぜか独自の発展を遂げちゃったラーメンとか、ドイツでは日本の生八ツ橋ぐらいの存在であるバウムクーヘンが、ニッポンで大ブレイクして洗練されすごいバリエーションを獲得しちゃってることとかを、伝えるべきじゃなんじゃないですかね。

 こういうニッポンの受け入れ力・展開力、「土壌」こそが、すごいものなんじゃないでしょうか。

 そして話を一歩進めて。その「土壌」は、どうやって育まれたかというと、「モノ好き」たちによってじゃないでしょうか。

 「モノ好き」!超重要です。この言葉大好き。辞書とか引くと、「モノ好き」は「Curiosity」になったりすると思うのですが、例えば私達がアイドルに向ける目線は、Curiosityを逆引きをすると出てくる、「好奇心」なんて感じとは、ちょっと違うと思うんですよね。なんというか、もっと損得抜きで、しかもなんとなく愛情深い、そんな感じ。この訳せない感じからして、これこそが「もったいない」みたいなニッポン独自の感覚で、私海外の文化状況とかぜんぜん詳しくないですけど、この「モノ好き感」に惹かれた人たちが、ニッポンに目を向けてくれているんじゃないでしょうか。
 で、そういう人たちも、その国の中で、決して多数派じゃない、と思うんですよね。だから、どこか一国でメジャーな市場をとる、っていう戦略はなんか違う感じがして。各国に存在する少数派を、ニッポンというモノ好き発祥の国が束ねて、滅びないように、寂しくないようにして、世界各国のニッポンが好きなモノ好きたちを足すと、相当、無視できない勢力になるよ!というのが、目指すところじゃないか、と。


 で、このあたりまでが、割と見える感じで「クールジャパン」について思うことなんですけど。もうちょっとだけ、わかりづらいことをちょっと。

 私、全力でモノ好きをやっている人間の一人だと思うのですが、今日、学生さんと話していて、強烈に感じたことがありました。学生さんたちは、ものすごく、「不安」に囚われてました。自分が就職できるのか、社会がこの先どうなるのか、未来が不安で仕方ないみたいでした。これは単に若いから、っていうだけではなくて、いまの「常識人」って言われている人に、共通の感覚なんじゃないかとも思います。

 で「不安」は、いろんな物事の判断基準やモチベーションになりえちゃうと思うのですが、それって、まず間違いなく、「モノ好きじゃない方」を選ばせますよね。「手に職」とか、「なるべく多数派」とか「損をしない方」とか「安定」とか。でも、「モノ好き」な人は、そんなこと考えないです。「面白そう」とか「食指が動く」とか「ほっとけない」っていう方向を選ぶ。でもこれって、まったく合理的じゃないです。

 もしかしたらこれは、卵が先か鶏が先か、みたいな話ではあると思うのですが、「モノ好き」であり、同時に「不安」に囚われることはできないと思うのです。逆に、無駄がなくて合理的で安定的で危険じゃないことを選ばせる「常識」は無限に「不安」を生み続けます。でも、「不安」って気持ちよくないじゃないですか。動機は生むけど。その「不安」への処方箋として、「モノ好き」をもっと暖かく見守ること、「モノ好き」って気持ちを大切にすることが機能するんじゃないかな、と思うんですよね。

 長くなった!
 まとめます!

 多分、「クールジャパン」と現状呼ばれているものに、「何かがありそう」って判断は、間違ってない。でも、その本質は、「外貨がかせげそう」とか、そういうことにあるのではなく、「不安への処方箋」ってことにあるんんじゃないでしょうか。

 それこそクールジャパンの代表格と言われている新海誠監督の映画『言の葉の庭』に「人間なんてみんなちょっとづついびつなんだから」という趣旨の台詞が出てきますが、まさに、みんな合理的に説明のつかない気持ちはみんなどっかに抱えているでしょう。でも、その気持ちは常識からすると、経済合理性がなくて、おもわず、切り捨ててしまいがち。

 でも!そこです!そこで、切り捨てちゃいけないんです、きっと!!!

 「モノ好き」を許容する世界は、みんなにとって、住みやすいんだと、思うんですよね。そういう「モノ好きジャパン」(もうジャパンすらあんまり関係ないけど) が実現した世の中は、おそらく、楽しい世の中なんじゃ、ないかな!!と思うんですが、いかがでしょうか。