本日のほぼ惑は、「ダ・ヴィンチ」に掲載されている宇野常寛の批評連載「THE SHOW MUST GO ON」のお蔵出しをお届けします。今回取り上げる題材は、Googleが提供する位置情報ゲーム「Ingress」。現実の世界をプレイフィールドに読み替えるゲームが示唆する、現実と虚構との新しい関係とは――?
今年の夏は東京の街を実によく歩いた。ゴールデンウィークに高田馬場の自宅からお台場のガンダムまで歩いて行ったのを皮切りに、毎週ある有楽町での仕事の帰りは徒歩で自宅まで帰っていた。札幌出張から戻った朝は羽田空港から京急で品川まで戻ったあと、やはり歩いて帰宅した。阿佐ヶ谷で会食したあとも、目黒で打ち合わせをしたあとも歩いて高田馬場まで戻った。休日は東京駅のトミカショップを目的地に定めて、地下鉄東西線のほぼ真上をひたすら東進したこともあった。東京に引越してから七年、なかなか土地勘がつかなくて困っていたが、さすがに随分と道も詳しくなった。近所の自動販売機のラインナップにも精通し始めた(なかなか売っていないゼロカロリーのクリームソーダを見つけたときは歓喜した)。神田では、東京では食べられないと思っていた、父の実家のある山形県河北町名物「冷たい肉そば」を出す店も見つけた。
僕が散歩を趣味にしていることは、以前にもこの連載で触れたことがあると思う。僕が「歩く」理由は大きくわけてふたつある。ひとつは健康管理とダイエットのため。もうひとつは、散歩することそれ自体の快楽のため、要するに歩くことそれ自体が「面白かった」からだ。普段電車で移動していると、街の文脈を読むことは難しくなる。しかし歩くとそれが手に取るようにわかる。住宅地と商業地がどう配置され、社会階層や文化が道路や川を隔ててがらりと変わる。そしてこうしたモザイクを生み出す歴史の厚みがその背景に存在する。気が付くと、僕は余暇の時間の何割かを散歩に費やすようになっていたのだが、この夏のその情熱は我ながら異常なものがあったように思う。単純に考えて僕がほぼ毎週歩いていた有楽町から高田馬場までだけでも8キロ強あり、雨の日以外はほぼこれくらいの距離か、少なくとも新宿までの往復を日課にしていたので、この夏僕は週に少なくとも20~30キロは歩いていた計算になる。そして、この情熱は実のところ、この夏僕が出会った街を歩く第三の理由に大きく支えられていた。それが今年Google社がリリースし世界中で僕と同じような中毒患者を生み出している拡張現実ゲーム『Ingress』だ。
かくして、僕もまた今年の夏はスマートフォンを片手に都内を闊歩することになった、というわけだ。
こうして、都内はIngressを通さなければなんでもない場所をひたすら奪い合う戦場と化し、そしてプレイヤーたちは明らかに氾濫しすぎているPortalを求めて幹線道路や駅前から離れ、住宅地の奥の地蔵や、児童公園のちょっと変わったオブジェを求めて自動車が侵入できないような場所や人気のない町外れの森林の中に分け入っていくことになったのだ。
さて、このIngressというゲームについては非常に多岐にわたる問題提起が可能だが、ここでは主に2つの点に絞って論じてみよう。第一にそれは僕たちの社会の抱く虚構観の問題だ。このIngressは「拡張現実(AR)」ゲームと言われる。「仮想現実(VR)から拡張現実(AR)へ」とは世紀の変わり目に発生した情報技術のトレンドの変化を表現したキャッチフレーズだ。ネットワーク技術とサービスの進化を背景に、情報技術の応用トレンドは「もう一つの現実をつくりこむこと(仮想現実)」から「現実それ自体に情報を付加すること(拡張現実)」に切り替わった。そしてこのキャッチフレーズは技術そのものだけではなく、比喩として情報サービス全体のトレンドの変化に当てはまる。つまり、この技術トレンドの変化はさらに、情報技術を背景にしたサービスや文化のトレンドの変化でもあるのだ。このころ世界中で「もうひとつの現実をつくり込む」ために、つまりインターネットにもうひとつの社会をつくることよりも、現実それ自体を多重化し、拡張することで充実させるために情報技術が用いられるようになったのだ。
この変化は国内のコンピューターゲーム史にも概ね合致すると言えるだろう。
僕が散歩を趣味にしていることは、以前にもこの連載で触れたことがあると思う。僕が「歩く」理由は大きくわけてふたつある。ひとつは健康管理とダイエットのため。もうひとつは、散歩することそれ自体の快楽のため、要するに歩くことそれ自体が「面白かった」からだ。普段電車で移動していると、街の文脈を読むことは難しくなる。しかし歩くとそれが手に取るようにわかる。住宅地と商業地がどう配置され、社会階層や文化が道路や川を隔ててがらりと変わる。そしてこうしたモザイクを生み出す歴史の厚みがその背景に存在する。気が付くと、僕は余暇の時間の何割かを散歩に費やすようになっていたのだが、この夏のその情熱は我ながら異常なものがあったように思う。単純に考えて僕がほぼ毎週歩いていた有楽町から高田馬場までだけでも8キロ強あり、雨の日以外はほぼこれくらいの距離か、少なくとも新宿までの往復を日課にしていたので、この夏僕は週に少なくとも20~30キロは歩いていた計算になる。そして、この情熱は実のところ、この夏僕が出会った街を歩く第三の理由に大きく支えられていた。それが今年Google社がリリースし世界中で僕と同じような中毒患者を生み出している拡張現実ゲーム『Ingress』だ。
Ingressとは一言で言えば現実空間を舞台にした、世界規模の陣取りゲームだ。プレイヤーは青と緑、どちらかの陣営に所属し、世界中に点在する拠点(Portal)を奪い合う。Portalとなっているのは世界各地の史跡名勝や鉄道の駅、その土地ならではの商店や建造物などだ。「Ingress Intel Map」というサイトにアクセスすると、世界が今、両軍によってどう分割されているかをほぼリアルタイムで確認することができる。北米とヨーロッパ、そしてアジアのほとんどの都市部がすでに両陣営によって分割されている一方でアフリカ大陸はほぼ手付かずの状態にある。これは単純にIngress及びその前提となるスマートフォンの普及状況が可視化されていると考えていいだろう。なぜならば、地図が青か緑に染まっているということは、そこにIngressのプレイヤーがいて、そしてプレイヤーが自身の行動範囲の史跡名勝や建造物をPortalとして運営に申請していることを意味するからだ。
ユーザーはこのPortalにIngressをインストールした端末をもって接近することで、敵のそれを攻撃できたり、味方のそれを防御することができる。そう、Ingressはプレイヤー自身がその身体を世界各国のPortalに接近させることを要求するのだ。
かくして、僕もまた今年の夏はスマートフォンを片手に都内を闊歩することになった、というわけだ。
そしてIngressのプレイヤー自身がPortal設置を運営に申請することができるというシステムは、この東京にPortalの氾濫をもたらした。都内のPortalは鉄道駅や史跡名勝にとどまらず、「ちょっと珍しい看板のある店」や無数に点在する地蔵の類までがPortalとして申請され、あろうことかGoogleに認可され、争奪戦の対象となっていた。現在においてはPortalの大半は、その地域の特色を表すものでもなければ、歴史的な建造物でもなく、おそらくは日本の文化風俗に明るくないであろう運営スタッフを騙してPortalとして認可させられそうなちょっとした特徴のある建造物や場所が無闇矢鱈に申請されてしまったものである。いちばん驚いたのは、僕の事務所の近くの結婚式場のオブジェが「高田馬場聖母」と名付けられPortalになっていたことである。
こうして、都内はIngressを通さなければなんでもない場所をひたすら奪い合う戦場と化し、そしてプレイヤーたちは明らかに氾濫しすぎているPortalを求めて幹線道路や駅前から離れ、住宅地の奥の地蔵や、児童公園のちょっと変わったオブジェを求めて自動車が侵入できないような場所や人気のない町外れの森林の中に分け入っていくことになったのだ。
さて、このIngressというゲームについては非常に多岐にわたる問題提起が可能だが、ここでは主に2つの点に絞って論じてみよう。第一にそれは僕たちの社会の抱く虚構観の問題だ。このIngressは「拡張現実(AR)」ゲームと言われる。「仮想現実(VR)から拡張現実(AR)へ」とは世紀の変わり目に発生した情報技術のトレンドの変化を表現したキャッチフレーズだ。ネットワーク技術とサービスの進化を背景に、情報技術の応用トレンドは「もう一つの現実をつくりこむこと(仮想現実)」から「現実それ自体に情報を付加すること(拡張現実)」に切り替わった。そしてこのキャッチフレーズは技術そのものだけではなく、比喩として情報サービス全体のトレンドの変化に当てはまる。つまり、この技術トレンドの変化はさらに、情報技術を背景にしたサービスや文化のトレンドの変化でもあるのだ。このころ世界中で「もうひとつの現実をつくり込む」ために、つまりインターネットにもうひとつの社会をつくることよりも、現実それ自体を多重化し、拡張することで充実させるために情報技術が用いられるようになったのだ。
この変化は国内のコンピューターゲーム史にも概ね合致すると言えるだろう。
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