今年の秋〜冬頃に発売予定のPLANETSの新刊「PLANETS vol.9」(以下、P9)。特集を「東京2020」とし、2020年の東京とオリンピックの未来図を描きます。
「P9」は、以下の4パートで構想されています。
“A”lternative=オルタナティブ(僕らが考えるもう一つのオリンピック/パラリンピック)
“B”lueprint=ブループリント(2020年の東京、その未来都市の青写真)
“C”ultural Festival=カルチュラル・フェスティバル(日本ポップカルチャーの祭典)
“D”estruction=ディストラクション(セキュリティ意識喚起のためのオリンピック破壊計画)
この「P9」インタビューシリーズでは、評論家/PLANETS編集長の宇野常寛が注目している各界の様々な専門家たちに、2020年のオリンピックと未来の日本社会に向けた大胆な(しかし実現可能な)夢のプロジェクトの提案を聞いていきます。
今回、登場をお願いしたのはデザイナーの浅子佳英さん。P9のBパートでの議論とも関連する東京湾岸部のまちづくりについて、浅子さんの構想を伺いました。
▼プロフィール
浅子佳英(あさこ・よしひで)
1972年生。インテリアデザイン、建築設計、ブックデザインを手がける。論文に『コム デ ギャルソンのインテリアデザイン』など。
◎聞き手:宇野常寛/構成:真辺昂+PLANETS編集部
■タワーマンションが立ち並ぶ今の東京湾岸部に足りないもの
――浅子さんは、新国立競技場の問題から、都市設計の問題まで、オリンピックに関する建築の問題についてシンポジウムやソーシャルメディアで発言されていますよね。そこで今日はデザイナーあるいは建築家である浅子佳英が、2020年の東京をどうしたいと思っているのかをダイレクトに聞かせてください。
浅子 選手村をはじめとするオリンピック各種施設の計画案を見ていると「小規模でお金をかけずやればいいんじゃないか」という消極的なメッセージしかなくて、非常につまらないなと思います。今さら「そもそもオリンピックは東京でやるべきではなかった」と言っても、開催が決まってしまった以上は意味がないし、それよりも「東京を世界のなかで戦っていける都市にするための機会として、オリンピックを活用しよう」というふうに発想を切り替えるべきだと思っているのですが、実際に新しい都市のビジョンを出そうと動いている人はなかなかいない。一方で新しいビジョンがない状態のまま、オリンピックに向けた開発だけは進むという状態になっています。
たとえば2020年の東京五輪では、選手村や競技施設・メディアセンターなどが建設されていく東京湾岸部のまちづくりが焦点になるわけですよね。実際に湾岸の街を歩いてみたんですが、勝鬨(かちどき)ぐらいまではまだしも、豊洲、東雲のあたりまで行くと歩いていてもまったく楽しくない。湾岸部は完全な埋立地にゼロから都市計画をして作っているわけですが、広く公開空地をとってタワーマンションが20個ぐらい並び、その間にショッピングモールが1個あるというつくりです。結局、今は郊外も湾岸のような都心部も、タワーマンションとショッピングモールだけで作られるようになっていて、この状況に対するオルタナティブが出せていないわけです。
――湾岸ってこの20年の日本の迷走の象徴だと思うんですよ。国や都はずっと湾岸に新都心をつくろうとして、その度に失敗してきた。直近では90年代の、まさにアフターバブルの新しい日本の「つくりなおし」の象徴としての開発計画があって、それが見事に頓挫した。その結果、フジテレビがその代表だけど中途半端に現代的なデザインの建築物と、バブリーなタワーマンションと原野が点在するちぐはぐな空間になっている。まるで、行政改革だ、構造改革だと旗を振ったけど、ポスト戦後の社会モデルについては結局中途半端な軟着陸しか残せなかったこの二十年の日本社会の姿、そのものですね。
浅子 このあいだ宇野さんは門脇耕三さんたちと一緒に、多摩ニュータウンの団地を見てきていましたよね。あのあたりは「そのうち廃墟になるのでは」と懸念されているわけですが、湾岸部のタワーマンションも、今のままではいずれは廃墟になってしまうのではないかとさえ思うんです。
この1年間ぐらい、インテリアツアーと称して東京中の色んな街のインテリアを見て周るツアーをやっていたんですが、そこで感じたサスティナブル(持続可能)な都市の条件って、「ある通りが駄目になってもその裏の通りがある」というような複線的な導線を持てていることなんですよ。だけど僕は「何の理由もないけどブラブラしに行く」とか「何か意味がないけどそこに行ってしまう」というような空間を作らないと都市はサスティナブルにならないと思うんです。
――と、いうか僕はそもそも現代において人間は歩くことそのものを目的にしたときしか歩かないんじゃないかと思うんですよ。人通りの多い通りに適度に流動性の高いコミュニティが自然発生してそこから文化が生まれる、といった90年代にもてはやされたようなストリート幻想はもう通用しないと思う。情報化以降の都市空間ではまるで検索するようにその建物にピンポイントで出かけることが多くなる。
浅子 それに関しては同意です。だから僕は「ショッピングモール」を参考にしてまちづくりをしたらいいと思う。そもそもショッピングモール自体、歩車分離をする為に生まれた技術なんですよ。
元々ロードサイドに車でしか行けないお店が点在していて、駐車場に入れずに待っている車が路上に溢れて渋滞を生んでいた。そこで店舗側は徐々に数店舗で充実した駐車場を作るようになっていき、そうなったら今度は駐車場内で子どもが轢かれるから危ないということで、駐車場の真ん中に店舗を集約してしまい、真ん中に通路を作ってその中を歩かせるようになる。という形で、今のようなショッピングモールの形態にだんだんと近づいていったわけです。
――なるほど。だとしたら将来的に都市空間というのは、都市部の巨大ショッピングモールと、鎌倉や谷中のような観光地化したスローフード/ブラリ街歩き用の商店街とに二極分化していく、という未来予測もできますよね。
浅子 基本的にそうなると思いますよ。だから僕が言っているのは「歩いて回れる古き良き下町商店街を復活させましょう」ということではなくて、ある種の都市のモデルとして洗練されてきたショッピングモールのノウハウを使って都市空間を再設計しようということなんです。
■ショッピングモール&テーマパークに学ぶ、「歩いているだけで楽しい」街づくり
――要は車で湾岸に行って駐車場に停めるんだけども、その駐車場は「○○ストリート」の専用駐車場になっているというようなイメージですよね。浅子さんは具体的にはオリンピック選手村の代替案を構想しているそうですが、それはどういうものなんですか?
浅子 オリンピックの選手村って新国立競技場などとは違い、公開でコンペが行われるということもなく、僕がこうやって設計したものも実際につくられることはないんですが、希望を出さないことには、行政もデベロッパーも今のまま進めるしかないのだから、少なくとも希望を形にしてみようということで作りました。
敷地である晴海のエリアはほとんど建築物がなく白紙の状態なのですが、一部既存の倉庫街が含まれています。そこで、大きく3つのエリアに分け、ひとつは倉庫街をリノベーションしたエリアとし、残りのふたつをそれぞれミニチュアトーキョー、マウントトーキョーと名付け、今までにない全く新しい街の提案をしています。
ミニチュアトーキョーの方は建物ではなくルールも含めた街区割の設計で、まず街区割を120mから60mと半分にし、海側には低層の木造建築、真ん中にはタワー、その間を中層の建築物をストライプ状に配置して、長手方向としては連続したものでありながら、直交方向は変化に富んだエリアになります。
また、歩道と車道を交互にチェック模様のように配列し、交差する部分は立体交差とすることで、歩行者と車がぶつかるのでもなく、完全に分離するのでもない新たな関係が築かれる。ここにはふたつの公園が挟まれるので通り全体が立体的なストリートパークになります。
マウントトーキョーの方はショッピングモールが窓のない建築で、タワーマンションが窓ばかりの建築だということを受け、窓のないモールの周りにタワーマンションがへばりついたものを提案しています。巨大な山のような形状をしていて、いくつかのルートで登山できるようにもなっており、ここはちょうどレインボーブリッジの真っ正面なので観光地にするということも念頭にありました。
僕が提唱したいのは、「ラーニング・フロム・ショッピングモール」というものなんです。これは1972年にロバート・ヴェンチューリによって提唱された「ラーニング・フロム・ラスベガス」(=ラスベガスの商業主義建築の再評価運動)へのアンサーですが、要するに「ショッピングモールやテーマパークで得られた知見を都市の設計に取り入れたらどうか?」というものです。実のところ、都市計画の実践は1970年代辺りから行き詰まりを迎えていると思うのですが、それに比べてショッピングモールやテーマパークは、20世紀後半でも世界中で大量に作られ続けており、新しい知見やアイデアが蓄積されています。それを都市計画の領域に活かしていったらいいと思っています。
たとえば東京ディズニーリゾートって、1983年に最初にできたディズニーランドと、2001年にできたディズニーシーとではかなり洗練の度合いが異なっています。シーの方に至ってはパビリオンを体験しなかったとしても、歩いているだけで、場合によっては並んで待っているだけでも楽しい空間として設計されているんです。
普通「並ぶ」という体験は楽しくないものですよね。でもシーの場合は、列に並んで歩いているときにもちょっと地面に高低差をつけたり、映像を配置したり、途中で人形が出てきたりと、飽きさせない工夫が凝らされている。たくさんの人々をさばく技術が非常に洗練されているんです。
――そういった技術を入れていくというのは、浅子さんは湾岸という場所を、「人々が住む場」というよりは「人々が集まっていく非日常の場」として捉えているということなんでしょうか?
浅子 いや、その2つを混ぜたいと思っています。僕がいまつくっている計画ではもともと求められているのが住宅だったので住宅しか考えられていないのですが、「住宅・オフィス・ショッピング施設」の3つが混ざった状態の街をつくることができたらと考えています。「住宅だけ」「オフィスだけ」と要素を固定してしまうと、今の都心部のビジネス街のように夜間の人口が極端に少なくなったり、逆に郊外の住宅街であれば昼間人口が少なくなってしまう。要は人が大量に移動している訳でその分の無駄も多い。それになにより街が単調になる。機能をミックスしていくことで、いい意味での相互作用が引き起こされやすくなり、街の持久力がぐんと上がります。
――浅子さんがそう考える背景には、これからの湾岸の開発が、今の旧市街地のまちづくりと連動していくことはないだろうという認識が前提にありますよね。湾岸は湾岸で独立した一種のモデル都市にしたい、という。
浅子 それはあるかもしれないですね。僕が一番理想だと思っているのは、電車を使わずに、徒歩や自転車で通えるところに仕事場と住まいがある「職住近接」の都市生活です。日々の暮らしのなかで平日でも遊んだりできるような生活のほうが、長時間労働と行き帰りの通勤ラッシュで疲れきってしまういまの働き方よりも快適だし、これからそういった新しいライフスタイルの需要も高まっていくはずです。そういう需要に応えるような都市計画を出していきたいと思っています。
(了)
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