與那覇潤×宇野常寛「解釈改憲と『戦後』の終わり」
(ベストセラーで読む平成史 テーマ:『美しい国へ』と『日本改造計画』)
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2014.9.11 vol.156
本日のほぼ惑は、「文學界」に掲載された與那覇潤さんと宇野常寛との対談をお届けします。政治家が筆を執りベストセラーとなった『美しい国へ』(安倍晋三)と『日本改造計画』(小沢一郎)の2冊の本から、1990-2010年代の政治状況の変遷を読み解きます。
▼プロフィール
與那覇潤〈よなは・じゅん〉
1979年生まれ。日本史研究者、愛知県立大学准教授。著書に『中国化する日本』ほか。
宇野 僕は1978年、與那覇さんは79年生まれとほぼ同世代です。つまり、平成の始まった1989年頃がちょうど十歳前後で、記憶に残る最初の大きな事件は、昭和天皇の崩御だったりします。その意味では、「平成」はまるごと自己形成期と重なります。
しかし、僕たちより一回り下の平成生まれの学生たちと話していると、オウム事件や9・11ですらリアルタイムの出来事ではなく、そうした事件とその後の言論のもつ「文脈」が見えなくなっている印象を持ちます。
與那覇 大学で日本史を教えていても、そのことは強く感じます。若い人のあいだで「戦争の記憶が風化している」なんてよく言うけど、実は毎年8月に定期的にコンテンツが供給される戦時期はまだましで、「戦後の記憶」、特に直近の過去の記憶こそ一番風化している。ネット右翼や陰謀史観のように、戦後の価値を全否定する極端な言説が横行するのも、そうした「同時代史の不在」が大きな要因だと思います。
宇野 この「ベストセラーで読む平成史」という対談シリーズは、平成年間にベストセラーになった本を、與那覇さんと一緒に読み返すことによって、「今」がどう作られてきたかを考えてみたいという趣旨です。
第1回目は、『美しい国へ』(安倍晋三、2006年、文春新書)と、『日本改造計画』(小沢一郎、1993年、講談社)です。このセレクトについて、與那覇さんの方から少し補足してもらえますか。
與那覇 「次はこの人だ」と目された政治家の著作がベストセラーになる現象は戦後に3回あって、古くは、首相になる直前に出た田中角栄の『日本列島改造論』(1972年)。残り2回は平成に入ってからで、新党を作って自民党を割るタイミングで出た小沢さんの『日本改造計画』と、小泉政権の後継は確実と言われた時期に安倍さんが出した『美しい国へ』ですね。
いままた総理をされているので安倍さんの方から行くと、第一次政権では「戦後レジームからの脱却」、つまり正面切っての戦後批判を掲げていたのが、第二次政権では結局「実は解釈改憲で、集団的自衛権は行使できるんです」という路線になった。戦後憲法の全面否定という色を薄めたわけです。アベノミクスといわれる経済政策にしても、公共事業を中心とした戦後自民党的な再分配体制からの、脱却というよりは「延命策」に見える。平成初頭の『日本改造計画』と比べると、現状変革のボルテージがだいぶ落ちていますね。
宇野 最初に立場を明確にしておくと、僕は安倍政権の外交安全保障政策には強く危うさをおぼえているし、解釈改憲をめぐるものごとの進め方も当然支持することはできない。その上で今回、『美しい国へ』を読み返して、この数ヶ月の集団的自衛権をめぐる安倍政権の舵取りを見ていて思うのは、この二回目の安倍政権はいわゆるリベラルな知識人や文化人が口汚く罵るような強権なファシズム的なものでもなければ、カルトな右翼思想にとりつかれた誇大妄想狂でもないということです。むしろ、安倍晋三という政治家はこの『美しい国へ』を書いた当時の失敗を経て非常にしたたかに、そして冷静に現実を分析できるようになっている。ただ、こうしたしたたかさと現実主義を武器に彼が成し遂げたい「理想」は、個人史的なものに根ざした、非常に危ういものであることは間違いない。実際、この本を読んでいると、こういっては何だけれど、意外と普通のことしか書いていない。戦後的なシステムは耐用年数が過ぎているけれど、いきなりドラスティックには変えられない、だからバランスを取ってうまくやっていこう、といったあたりがこの本を書いた当時の安倍首相の基本スタンスです。しかし、その一方で軍事・外交や歴史認識の話題になると途端にトラウマ語りモードになる。
外交や社会保障などの実務的な政策については案外普通で無難なことしか言っていない。かたや、歴史認識といった部分になると、いきなり情緒的でわけがわからなくなる。その落差がすごい。
與那覇 特攻隊員の日記に感動した、とか映画『ALWAYS 三丁目の夕日』はすばらしい、とかですね。
情緒的ということでいうと、小沢さんの『日本改造計画』は「自分語り」を一切しないんですね。純粋な政策論だけで、本人の生い立ちとかは全く語られない。対して安倍さんは情念の人で、『美しい国へ』の前半は自らの一族の「無念語り」です。祖父・岸信介は国民のために行った安保改定を大バッシングされ、父・安倍晋太郎は外相として心身をすり減らして総理になれずに亡くなった。そうして自分が後継になったら、議員としての初仕事がなんと社会党首班の実現だった(村山自社さ連立内閣、94年成立)。この怨み晴らさずにおくものか、という思いが行間から滲み出ている。
宇野 この落差が安倍晋三という個性なんでしょうし、その厄介さを理解した上で攻略しない限り、すべての安倍批判は空回りしてしまうんじゃないかって思うんです。マッチョな主張で人気を集めているその一方で、こうしてトラウマも隠さないし、Facebookで愚痴も言う。僕はまったく共感できないけれど、そこが人間臭くて共感を持つ人は多いんじゃないかと思うんですよね。少なくとも、保守っぽい連中ってバカだよねって目配せし合っているリベラル知識人よりは共感を集めやすい。そしてこの人は少なくとも今はそのことに気付いている。たぶん安倍晋三という政治家は、そういう人間的な弱さの魅力を、コントロールするんじゃなくて、ずっと出し続けるんだと思いますよ。
與那覇 祖父が国民の憎悪を一身に浴びたことのある一族だからこそ、心底「いまは違う。ぼくは国民に愛されている」って思いたいんだろうなという感じがしますね。極めて個人的な動機で「戦後レジーム」から脱却したい。
宇野 具体的にはそこでいわゆる「ネトウヨ」との幸福な共犯関係が生まれているわけでしょう。
與那覇 とにかく何かつぶやくと、「いいね!」が殺到する。
宇野 実際に、「いいね!」がたくさん集まって気持ちがほっこりしてるんだと思うんですよ。あれだけマスコミに叩かれて退陣した人が、奇跡の復活を遂げてインターネットで直接国民の支持を目の当たりにする。そんな共犯関係が生まれている状態で、安倍晋三は日本のヒトラーだ、さあ、明日にも戦争が始まるぞって子どもっぽい印象操作で攻撃しようとするとかえって彼らの結束を固くしてしまうだけだと思うんですよね。
與那覇 同感です。むしろ批判している左翼の支持者のほうが減っていくのではと、心配になりますよね。
宇野 安倍首相のああいったナイーブな部分とFacebookが結びついたとき、はじめて政治と直接つながっているように思えた国民は多かったんだと思うんですよ。
與那覇 「私的なことは政治的だ」というのがフェミニズムとか、新しい社会運動のスローガンだったけど、いまは逆に「政治的なことは私的だ」の時代なんじゃないかな。安倍さんの「爺ちゃんの名にかけて」は、そこにマッチする。
宇野 そして僕の実感ではこうしたリアリティに惹かれているのは何も自信のないネット世代の団塊ジュニア以下の男性、いわゆる「ネトウヨ」だけじゃない。その外側にも、かなり本格的に拡大している。いまとなっては僕は安倍政権の支持母体って、ネトウヨ的な層はごく一部でしかないと思うんですよ。洗面器の底に穴が開いていると水は汲めないから民主党ではダメだ、と消去法で自民党を支持している〝ライト(軽い)なライト(右)〟が大半で、その感覚は、リベラルたちが思っているよりも安全保障に関心が高いんじゃないか。
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