PLANETSは8/1に、「ものづくり2.0――ハードウェアの思想が社会を変える」というイベントを、渋谷ヒカリエで開催する。今日はそのイベントにあたって、簡単に現在のメイカーズムーブメントや3Dプリンタ――すなわち、ものづくり2.0――を巡ってこれまでPLANETSがリリースしてきた記事の紹介も兼ねて、どういう興味から主催しているのかを紹介してみようと思う。
◎文:稲葉ほたて
※イベントの詳細はこちらから
■インターネット社会を背景に生まれた「ものづくり2.0」
そもそも現在に至るメイカーズムーブメントが日本に紹介されたのは、一昨年に発売されたクリス・アンダーソン『MAKERS―21世紀の産業革命が始まる』(NHK出版・2012/10)に端を発する。兼ねてから3Dプリンタの安価化などが話題になっていたが、本書による紹介以降、「ものづくり」の新しい流れについて報道が盛んになった。
クリス・アンダーソンの主張の核心は、20世紀的な大量生産の製造業に対して、より少量生産の製造業が成立する時代が来るということにある。こうしたあり方は、しばしば「パーソナル・ファブリケーション」という言葉で表現される。その言葉の意味を、そのまま受け取るならば「個人によるものづくり」であるが、重要なのはその背景にインターネットビジネスの爆発的な発展が寄与していることであり、そこにこそ「ロングテール」「フリーミアム」などのウェブに特有の概念を著作で展開してきたクリスがこの本を書いた文脈があった。
PLANETSでは、こうした現在のメイカーズムーブメントの背景を成す話題について、株式会社nomad 代表取締役でDMM 3Dプリント専用プリンティングセンターなどを運営する、小笠原治氏に話を聞いている。そのインタビューにおける該当部分を抜粋しよう。
3Dプリンタは最後の一ピースでしかない――株式会社nomad代表・小笠原治の語る「モノのインターネット」の現在
小笠原 まさに、そうですね。例えば、3Dプリンタがものすごく騒がれていて、僕自身も手がけていますが……でも、あれって「モノづくり」に必要な環境でいうと、最後の一ピースの話でしかないんですよ(笑)。
3Dプリンタが活きるのは、アリババ(※)を筆頭に部品やモジュールを探せばすぐに手に入って、さらには複数の販売者と交渉までできてしまうなどのような、この5年くらいに生まれた環境があってこそなんです。
例えば、アリババで同じモジュールを売っている業者を見つけたら、その5社くらいとチャットでつないで、同時に見積依頼をしたりするわけです。ほとんど、「一人オークション」ですよ(笑)。しかも例えば、10万個くらい頼んでやっと1個100円くらいになる部品でも、いざ探してみたら1000個の発注でも150円くらいで出荷してくれる連中が見つかるんです。そうなると、少量生産が可能になるわけですね。3Dプリンタが騒がれる土台には、こういう環境の整備があるんです。
宇野 まさに第一段階が終わったからこそ、第二段階があるわけですね。
小笠原 僕は、「適量生産」という言葉を推しているんです。不必要な大量生産をして、ゴミを増やすのではなくて、欲しいと思っている人にだけ、ちゃんと届くようにしたいんです。
そういう意味で一つ紹介したいのが、Cerevoという会社ですね。そこは”グローバルニッチ”という戦略を取っていて、「色んな国で500個ずつ売れたらええやん」と考えるんです。20ヶ国以上で売っているのですが、そこで500個ずつ売れたら1万個ですよ。しかも、その原価や開発費をネットで下げていて、日本のたった13人のハードウェアベンチャーが直近の販売比率では50%以上が海外になっている。
これを可能にしたのは、やはりTwitterやFacebookのようなメディアの登場です。売れるからこそ作るという面は確実にあって、その環境を整備したのは、インターネットにおけるメディアの発達なんですね。クラウドファンディングや販売計画の立案にだって役立っています。宇野さんの言うように、ネットが生活に密接になっていく中で、誰が何を欲しがっているかが見えてくるようになったんですね。
上の小笠原氏の発言からわかるように、部品調達以外でも、資金調達におけるクラウドファンディング、SNSでのユーザーニーズの可視化を活かした生産管理、グローバルに展開するECサイトでの販売……と、様々なレイヤーでこの10数年で爆発的に発展したインターネット技術が関わってくる。まさに、「3Dプリンタは最後の一ピースに過ぎない」のだ。
■ものづくり2.0の文化史的意義
それでは、このような情報社会を背景に登場した「パーソナル・ファブリケーション」は、一体私たちの生活に対して、新しいビジネス分野ができたという以上の、どのようなインパクトがあるのだろうか。無論、ひとつにはあらゆる人がコスト低く「ものづくり」に参加できるようになる「民主化」それ自体の意義が言えるだろう。だが、重要なのは、むしろそれがもたらす帰結である。
この少人数による低コストのクリエーションによる最大の可能性、それは「ものづくりのUGC化」であり、あえて誤解を招く表現であるのを承知で言えば、「ものづくりのエンターテイメント化」である。
それは、単に既存の巨大化した製造業による、画一的な利便性重視の「ものづくり」が拾い上げられないニーズが形になっていくに留まらない。例えば、現在のボーカロイドの界隈が既存の音楽ジャンルにはもはやカテゴライズしがたい独特の表現を生み出しているように、製造業の巨大資本を支えるマーケティングの論理からは生み出しがたい、少量生産で利潤を得るからこそ可能な、多様でハイブリッドな「モノ」の新しい表現が生み出されてくるということである。それはつまり、絵画や音楽を文化的対象として鑑賞するような眼で、我々が従来はせいぜい「商品」という言葉でしか名指してこなかった三次元の「モノ」を見ていくことを要求され始めるだろうという予測を伴うものだ。
もちろん、既存の産業や学術研究の中で、こうした「モノ」による"文化的"な表現活動を行ってきた人々はいる。PLANETSでも、先日から連載「魔法の世紀」が始まったメディアアーティストの落合陽一氏や、今回のイベントでも登壇するnecomimi開発者でプランナーの加賀谷友典氏に、こうした「モノ」のもつ魅力と思想的可能性について聞いている。
例えば、落合陽一氏は、「モノ」が物語をつむぐ可能性について語っている。
YouTube270万再生の"空中浮遊"動画で話題――アーティスト落合陽一氏にインタビューしてみた
――物体が物語を語るというのは、どういうことですか?
落合 例えば、以前に作ったLEDの作品があるのですが、これは僕の中では宇宙が誕生した瞬間のような感じがあるんですよ。異世界にいるような不思議な気分になるのですが、ビデオで全く伝わらない(笑)。しかし、映像で伝わるものをほとんど作ってないですね……そこが狙いでもあるんですけど。
暗い部屋に小さな白のLEDライトをぽつんと置いておいて、閉めきるんです。そこから徐々にLEDを暗くして参加者の目を慣らした上で光り方を一気に変える。すると、突然シャボン玉が周囲に大量にあることに気付くんです。
そこには音楽も映像表現もないのだけど、何か世界が変わったような感動があるんです。世界全体ががらりと変わって、現実ではないような、なにか不思議なものを見た感じがある。「宇宙の誕生」とか言う人が多くて、ぼくもそういう感じを覚えました。いや、もちろん宇宙が誕生した瞬間なんて見たことないんですよ(笑)。でも体験した人々から口々に同じ感想を聞くので、なんだか面白くて。
――確かに、これは映画で描くのには限界がありますね。
落合 こういうふうに物体が動き回って、そこに一つの物語を形作るんです。しかも、これは解像度の問題でもあって、物体が移動するときには解像度が時間方向にも空間方向にも高まっているでしょう。そうすると、体験した人が「うわあっ」と盛り上がるんです。実際、一昨年に展示したときは、みんな憑き物が落ちたような顔になっていて、面白かったです。
一方で、加賀谷氏が語るのは「モノ」の表現に、人間が一種キャラクター的な「感情」を見出していくような可能性についてである。
『もののあはれ』の実装は可能か――「necomimi」作者・加賀谷友典が師・江藤淳から継承した思想
加賀谷 人間が常に環境とコミュニケーションするようになるのが、最終的な姿だと思っています。人と人から始まったコミュニケーションが、いまは人と情報になり、人と機械になっている。それが、やがては人と家、人とストリート、人と街、人と世界……というように、どんどん広がっていく。こういうことが、絵空事じゃなくなるというのが、一つあると思いますね。
それは、いわば「モノの気持ち」が理解できるということですよ。まだ僕はここにある椅子が何を感覚しているかは理解できないけれども、やがて非言語的にそれを感じられるようになる。
宇野 まさに本居宣長は「もののあはれ」で、そういう言語の発達によって切り捨てられてしまった感覚を指摘していたのだと思いますね。そして、加賀谷さんは実はそれを非言語的なものを通じて回復しようとしているわけですね。
加賀谷 まさに、そうです。でも、それって小説で「好き」ということを表現するときに、そのまま「好き」と書く人はいないという話と同じだと思うんですよ。むしろ風景描写のようなものに込めて、その感情を表現したときにこそ、ディープに伝わるじゃないですか。そういう意味では、情報技術による「もの」の表現が、そこに到達し始めているのだと思います。
この話は、加賀谷氏が文芸評論家・江藤淳のゼミで、「もののあはれ」を主張した本居宣長を研究していたという事実を踏まえたとき、80年代に流布したような情報技術とニュー・エイジを結びつけたような言説とは異なる文脈に位置していることが見えてくるだろう。彼らのようなクリエイターたちの作っているのは、言ってしまえば既存のマーケットの文脈には必ずしも収まらない「モノ」である。現在の製造業の視点で見た時に、それはせいぜい「ニッチニーズに応えた商品」という分類にしかならないかもしれない。しかし、それ故にこそ、彼らこそが「少量生産」のメイカーズの時代における先駆者である、とも言えるのだ。
■日本的ものづくりの文脈における意義
以上の話を踏まえて、今回のイベントの話題に戻ろう。今回、PLANETSは副題として「ハードウェアの思想が社会を変える」とつけているが、元々はこの副題は「ハードウェアの思想は戦後的ものづくりを変えるか」だった。この副題を却下したのは、あまりにも文脈依存度が高すぎて、100人規模の集客を行うイベントにふさわしくないからという判断だったのだが、元の題名にこそPLANETSが一連の取材で抱いている問題意識が明瞭な形で現れているように思う。
この10年、日本という国はインターネットの普及につれて、それなりに大きく姿を変えていった。しかし、それが他の国、特に新興国のような場所でインターネットがもたらしている破壊的なインパクトほどの影響力があったかというと、必ずしもそうではない。
一つ例を上げると、最近、米国で即日配達型のECサイトが注目を浴びている。例えば、Instacartというサービスなどはアプリに登録した人にお駄賃をあげて、欲しい商品をスーパーなどでお遣いしてきてもらうクラウドソーシングの仕組みを構築している。だが、車なしには生活も困難な地域の多いアメリカならともかく、あらゆる生活必需品が安値で揃い、生鮮食品まで当たり前に置かれているコンビニが区画ごとに並ぶ日本で、こうしたサービスの利便性を実感するのはあまりに難しい。
こうした問題は、世界各国で急速にユーザー数を伸ばすタクシーアプリUberが日本で奮わない理由(海外と日本ではタクシーの質に大きな差がある)や、電子書籍が日本で普及が進まない理由(書店の流通網の販促機能が強すぎる)、あるいはネット発のファッションリーダーが生まれない理由(読モ文化含め女性誌の影響力が強すぎる)に至るまで、様々な場面で顔を出してくる問題だ。
つまり、日本という国は戦後の復興の中であまりに強力にサービスの利便性を高めてしまったために、逆にインターネットによる破壊的イノベーションの恩恵を受けづらい国なのである。この状況は当然ながら、高度成長期に大きく普及した商品にも同じことが言える。例えば、ガラパゴスという言葉で揶揄される日本の家電製品は、洗濯機の多種多様な機能一つとっても分かるように、異常なまでに細かなニーズに応えるものとなっている。市場の巨大な部分を占めたプレイヤーたちが、さらにその隙間に当たるような部分まで徹底的に埋めているのが、日本の市場なのだ。先に説明したような、メイカーズたちに要求されるようなニーズを既にして大企業が先取りしているのが、"ガラパゴス大国"日本のものづくり1.0なのである(こういった各企業の尖った取り組みについては、経営コンサルタントの川口盛之助氏の著作に詳しい)。
こうした意味において、三木谷浩史や堀江貴文、川上量生などの日本のウェブサービスの経営者たちが、日本の戦後的な文化空間と結局は対峙せざるを得なかったように、ものづくり2.0の日本的メイカーズたちが台頭したときには同様の問題に直面していくのは間違いないように思われる。そのような状況下で、メイカーズが発揮するクリエイティビティにどのようなものがあるかは、一つイベントで注目したいテーマであるだろう。例えば、おそらくは当日の議論でも話題にのぼるであろう、トヨタ出身のカーデザイナー・根津氏の自動車に対する新しい解釈などは、ひとつの可能性を示している。
一方でここには、もう一つのより大きな意味も込められている。それはハードウェアという「モノ」を扱う思想それ自体がもつ可能性である。
宇野
妄想を現実にするためには、例えおもちゃであっても構造がしっかりしていないといけない。ちょっと動かしたらバコって壊れるようなものじゃ成立しないんです。実際にどうすればゼータガンダムをウェーブライダーからモビルスーツにするかとか、それでいてプロポーションを崩さずにいられるかとか、モデラーやおもちゃ好きは、そういうことを真剣に考えないといけない。妄想と現実の間にひとつクッションを置かないといけないんです。
僕はそれって、すごく大事な発想だと思うんですよね。これは思想的に大事な問いを含んでいると思います。
根津
ガンダムで言うと、最初のデザインがあって、アニメの中でぐりぐり動くのがあって、バンダイさんからプラモデルが出ていくと。あれって、プラモデルがだんだん良くなっていきますよね。妄想と現実と、上手い具合に何回か行ったり来たりしていると思うんですよ。
宇野
85年に出た、最初の1/144のゼータガンダムは変形しないんですよ。1/100は変形するけどプロポーションはガタガタで、だんだん1/100のマスターグレードになって、1/60のパーフェクトグレードが出て、今では1/144のリアルグレードが完全変形する。
やっぱりレゴとかブロック玩具のいいところというのは、そういうプロセスを最初から折り込んでいるところだと思うんですよね。まさにバンダイとかおもちゃ会社のスタッフが試行錯誤していることを、手触りで小さい頃から学んでいけて、その楽しさを身につけていける。
二次元だけが好きな人と、三次元が好きな人、特にブロック玩具が好きな人って、虚構観が全然違うんですよ。模型を間に挟んでいないと、虚構と現実を二項対立で考えてしまって、現実にないものを表現することだけがフィクションの価値であると考えてしまう。
でも今はまだフィクションの中にしか存在しないものを、現実に実現する快楽は間違いなく存在していて、はっきりいってこの快楽が人類を技術面でも社会面でも発展させてきたといっても過言ではない。そしてこのときには、単に現実から切断された虚構を思い描くときとは全く別の脳を使わないといけない。二次元を作り出すのと同じくらい強力な妄想力を、現実に対して発揮しないといけない。
このような話題こそが、実はPLANETSが投げかけたいテーマなのである。ヒカリエの初回イベント「衣食住から始まる『静かな革命』――ネットが変えた都市生活の現在」で宇野常寛が、特に日本ではバブルへの反省からモノそれ自体のもつ魅力を語るのが言論界で弱くなっていることを指摘した。そして、だが実はそこにこそ社会を変えていく想像力が秘められているのではないだろうか、というのが宇野の主張であった。そんな、まさに上のやりとりで描かれているような三次元の想像力――つまり、「ハードウェアの思想」が社会を変えていく可能性を実感できる登壇者たちが、今回のイベントには揃っている。興味のある方は、ぜひチケットを購入して新時代の先駆者たちの議論に参加してほしい。
(了)
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