「ゲーセン文化の過去と
未来をつなぐ〈絆〉とは」
『機動戦士ガンダム 戦場の絆』
トッププレイヤー・カバパン
インタビュー
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2014.6.3 vol.084
今朝の「ほぼ惑」は、テレ東の大人気番組「板倉小隊」で異彩を放つ金髪の教官・カバパンの登場です。プロフィールもほとんど明かされておらず、ただ「絆」における圧倒的な強さのみが知られている彼はいったい何者なのか……宇野常寛が迫りました。
テレビ東京の人気番組「絆体感TV 機動戦士ガンダム 第07板倉小隊」(以下「板倉小隊」)――その番組の中に、インパルス板倉など隊員たちの教官的な存在として登場する金髪の若者がいるのをご存知の人も多いだろう。そう、カバパンである。
今回、番組の大ファンでもある宇野常寛はカバパン氏とPLANETS事務所で会い、話を聞いた。座談会が開かれたのは、3月に行われた番組主催による全国大会『戦場の絆 頂上決戦 ~乱~ 2014』が盛況の内に幕を閉じた直後の、四月某日。
二人の話題は、「板倉小隊」に登場する芸能人らの講評に始まり、アーケードゲームの現在についての議論に発展した。果たして、謎の人物・カバパンとは?
◎構成:三溝次郎
■底辺中の底辺~全国大会を終えて
宇野 まずは全国大会、お疲れさまでした。手応えの方はいかがでしたか?
カバパン 手応えはありました。元々は一勝どころか善戦できるイメージすら湧かないチームだったので、ともかく「試合になってよかったな」と(笑)。
『絆』の試合って、きっと上手い人同士がガチャガチャ戦い合うイメージですよね。だけど実際には、相手も味方も上手いと、ゆったりとした試合展開になるんです。大会レベルではオーソドックスなスキルは共有されているので、いかにマイナスを削るかの戦いになってしまうんですね。
だから、そもそも試合にもならない気がしていたのですが、集まってずっと練習をする過程で、みんなある程度は覚えてくれた。なので、ともかく一勝できたのが本当に良かったです。やってきた甲斐があったと思いました。
宇野 もう、いまの全国大会はそのレベルなんですね。板倉小隊が始まった頃のレベルって、どのくらいだったんですか?
カバパン 当時は底辺中の底辺ですよ。
宇野 でも、板倉俊之さん(インパルス)も、森本英樹さん(ニブンノゴ!)も、ブランクはあったけど、昔は結構有名なプレイヤーだったわけじゃないですか。
カバパン 有名なプレイヤーって言っても、ゲームセンターで会える芸能人という意味ですからね(笑)。正直、腕はなかったんじゃないですかね。
宇野 なるほど(笑)。番組のファンとしては、エースパイロットを除く他の3人のプレイヤーとしての個性についても聞いてみたいですね。
カバパン 豊崎愛生さんは、いい子ですね。努力もするし、吸収もするし、質問もする。理解しようとするんですよね。
森本さんは、感性のタイプです。説明しても話を聞いてなかったりするのですが(笑)、一度できたことは覚えられる。おそらく一番うまくなる可能性を秘めているのも、森本さんだと思います。森本さんの腕がもう少し上がって頭の方もついてきたら、板倉小隊は一皮むけますね。
そして、板倉さんは森本さんと真逆です。頭でいろいろ組み立てて、もの凄く考えを煮詰めてから行動するけど、その行動を取るための腕が伴っていないんです。しかも、その行動だけに集中してしまう。だから、展開が変わったときに、頭が切り替わっていかないんです。物事を深く考える能力が逆に操作の足を引っ張っている部分があると思います。でも、3人とも上手くなりましたよ(笑)。
■衝撃の事実~カバパン氏の遍歴
宇野 カバパンさんご自身が『絆』をやり始めたのは、いつ頃ですか?
カバパン 本当に初期からですね。アーケードのゲームって、一般稼働が始まる前にロケテストがあるじゃないですか。それに行った友達から「メチャクチャ面白いからやれよ」って言われたんですよ。「お前はゲームセンスがあるから上手くなる。電車代とプレイ代と最初のカード代を出してあげるから来い」って言われて、最終日に嫌々行ったら……ハマりました。
宇野 カバパンという名前が有名になり始めたのは、その半年か一年後くらいですか?
カバパン その頃から、ときどき雑誌やネットのインタビューを受けるようになりましたね。
宇野 でも、その後に『絆』から離れてますよね。
カバパン ちょいちょい辞めてるんですよ。単に飽きてしまったりして「もういいや」と思うんですね。
宇野 戻るタイミングは、やはり「今度のバージョン、熱いよ」とかですか。
カバパン いや、ただ単に「すげぇ暇だなー、時間空いてるから一回だけやろうかなー」と思って、ふとやってみたとかです。そこで気持よく勝てれば、どうでもいいんでしょうけどね。絶対に狩られないはずの相手にやられて、「なんで狩られてるんだろう……」と思ったりすると、またイライラして再開するんです(笑)。
宇野 『絆』には溜まり場になっているサイトとかあるんですか?
カバパン 僕はもうやってないですけど、SNSがまだあると思います。
▲戦場の絆SNS Rev3.0 機動戦士ガンダム
宇野 『絆』専門のやつですか。SNSが主なコミュニケーションの場となると、かなり独特ですね。
カバパン 凄い文化だと思いますよ。僕はゲーセン文化もオタク文化も知らなくて、元々は、ゲームセンターなんて気持ち悪いと思っていたくらいの人間ですよ。そんな僕が「なんでSNSなんてやってるんだろう」と思いながら、全然知らない人と友達になったりするわけですから。
宇野 ちょっと気になったのですが、カバパンさんのゲーム歴について教えてもらってもいいですか?
カバパン いや、全然やってないですよ。子どもの頃に「ファイナルファンタジー」をやっていたくらいです。それも全クリ前に飽きて辞めてました。
宇野 え、そうなんですか!
カバパン 今でこそソーシャルゲームなんかもやりますけど、つい最近まで家庭用ゲーム機も一台も持っていなかったです。
宇野 これは……衝撃の事実ですね(笑)。だって、今日も「お前はゲームセンスがあるから『絆』をやってみろよ」と誘われた話から始まったじゃないですか。てっきり、中高のときにゲーセンで鳴らしていたのかな、と思っていました……そうなると、そのお友達はカバパンさんの何をもってゲームセンスがあると判断したんですかね?
カバパン 当時、ゲーセンではスロットを打っていたんです。そうしたら、その友達がそのゲーセンの店長の、昔「アルカディア」の編集をやっていたという人とも友達で、彼に夜中に無理矢理リサーチのためにゲームをやらされるようになったんです。たぶん、要領をつかむのが早かったから、目をつけられたんだと思います。
宇野 ゲームに触れる姿を見られて、関係者にセンスがあると判断されたわけですね。ちなみに、ガンダムにも全然興味なかったんですか?
カバパン そうですよ。俺、ガンダムのストーリー、知らないですから(笑)。
宇野 ストーリーを知らない(笑)?
カバパン あ、でも機体には興味がありました。小さい頃に、お爺ちゃんがプラモを買ってくれたんです。小さいのあるじゃないですか、顔が大きい……あの……
宇野 SDガンダムですね。
カバパン そうそう、それです! その小さいヤツよりも大きいプラモの方が、顔がシュッとしてて格好いいな、とか思ってました……まあ、それくらいですね。
宇野 つまり、全然ガンダムも興味ないのだけど、『戦場の絆』でモビルスーツの名前も覚えたんですね。でも、いまだに観ていないわけですか。
カバパン ストーリーは見てないですね。
宇野 衝撃の告白ですね(笑)。
カバパン ガンダムの仕事をしてるんだから観ろって、よく言われるんですけどね。……暇がなくて(笑)。
■「心臓止まるかと思った」~板倉小隊こと始め
宇野 バンナムさんと絡むようになったのは、いつ頃なんですか。
カバパン そんなにしっかりは絡んでなかったです。ゲーム雑誌の取材グループの一員として、ついて行ったりはしましたけど。
宇野 板倉小隊の第1期は2011年ですよね。あの番組に出た経緯は?
カバパン 友だちが中野の大会に出ていたんです。それを観に行ったときに、演出の方に声を掛けられました。
宇野 第1話からいきなり対戦で、なんて凄い番組が始まったんだと思いました。
カバパン 第1話は凄かったですよね。みんな0点で……心臓止まるかと思いました。「右も左もわかんねえレベルじゃねえか!」って。「ゼッタイ無理じゃん、これ!」って思いながらも、どうやって勝つか最後まで考えましたけど、時間切れと同時に諦めました。いや、あのときはシビレましたよね。
宇野 そういう調子のいいことを言ってるけど実は超弱いプレイヤーたちが(笑)、素人にいきなりボコボコにされて説教されるところからはじまったわけですよね。でも、あの番組って思いもかけない入門編的な教育効果というか、宣伝効果があったと思うんですよ。繰り返し見ていると、 「あっ、前回言っていたのはこういうことだったんだ」と、こっちが板倉さんの代わりに学習するじゃないですか(笑)。
カバパン 番組を観てる人たちは、試合を俯瞰で見られるんです。だから、それを通して得た知識で「板倉、そこ違ーう」みたいに思って見てもらえると、もっと楽しいかもしれない。
宇野 板倉小隊って、プロ野球のダイジェストを観る感じで、みんな観てると思うんですよね。それなのに、いつの間にか機体とかにまで詳しくなる。不思議な番組だと思います。しかも、恐るべきことに、いま地上波のテレビで断続的に5期やってる深夜バラエティって、板倉小隊だけだと思うんですよ。
カバパン 断続的ですからね、なんつったって(笑)。
■オジサンたちが勝った時の興奮~中年の結ぶ“絆”
宇野 そもそも僕は『戦場の絆』自体も息が長いと思うんです。ゲーセンって、それなりに入れ替わりが早いでしょう。導入に資金がかかることを差し引いても「ちょっと『戦場の絆』長すぎね?」と思うくらいに長いんですよ。
その秘密について、今日は考えてみたいです。僕の印象だと『絆』って、2008年か2009年頃に盛り上がったのだけど一度盛り下がって、また盛り上がってきたイメージなんです。
カバパン 平均してずっと盛り上がってきたゲームじゃないですからね。僕自身も、合計すると一年半くらいやってない期間があるんですよ。そういう期間は噂も聞かないし、やっぱり過疎ってるんだと思いますね。でも、やっぱりバージョンアップの内容次第で、人が戻ってくる。
宇野 一時期はそれこそ、「自分の評価を上げたかったら、何もしないのが吉」という時期もあったりしましたからね。
カバパン まだみんなが目新しいゲームというだけで楽しめていた時期があるんです。
宇野 「なんかゲーセンにすごいゴツいのが来たぞ」という存在感だけでも面白かった、と。
カバパン あとは、やっぱりガンダムのブランド力ですよ。ガンダムに乗れるというので、色んな層が集まってきた。
その中で、記録には残っていないけれども、多くの戦術が作られてきたんです。例えば、「タンク戦術」が生まれたのだって、そうですよ。
かつてタンクは守ってもらわなきゃ仕方なくて、ただ拠点を壊すためだけに出すものだったんです。というのも、拠点と合体していると回復が異常なくらいに早くて、一発食らっても、その倍は回復したんですね。
だから、弱いチームが強いチームと当たると、弱いチームはみんな拠点を背中にして籠もって戦うわけですよ。それがイライラするので、まずはタンクを入れはじめて、さらにタンクで固定のコストを取るのって強いんじゃねというところから、あの戦術が生まれてきたんです。
宇野 いまの形に進化するまでに本当にいくつもいくつも……
カバパン もう色々ありましたね。それこそ、僕も友達とゲームセンターで閉店後に話をしたときに、「外し」という技術を考えたことがあります。ゲームで人とそんなに繋がったり、話し込むような経験はなかったですよ。やっぱり、ひとりじゃ出来ないのがミソだと思いますね。
宇野 「コミュニティ感」が重要なのかなという気がしますね。
カバパン 基本的に上手い人たちって、弱い人と組むのが嫌いなんです。だけど、僕は環境が良くて、初期の頃からオジサンたちと、ずっとやることができたんです。だから、誰と組んで誰に負けようが、どうでもいい。みんなで楽しくやるのを優先しています。そうしたら、地方から「タイマンしてください」なんて言って人が来るようになったんです。
その後、僕らのメンツは、阿佐ヶ谷に入るようになりました。『絆』が入ったときにポッドが綺麗だったんで(笑)。
そのときに、「『絆』には全国大会がないし、いっそ阿佐ヶ谷で大会運営するか」という話になったんです。それが、いまの全国大会の初期版なんですよ。既に知り合っていた地方のうまい人たちも、みんなチームでどんどん来てくれました。公式の全国大会はなかったので、当時は阿佐ヶ谷大会で一位になれば全国一位、という感じでしたね。
宇野 いまどき珍しいケースだと思いますよ。そういうムーブメントは、この10年で『絆』くらいじゃないですかね。「クイズマジックアカデミー」のようにメーカーが主導しているものではない、本当に数少ないケースの一つです。
カバパン そうだと思います。今でこそ安くなって、若い強い子たちもいっぱい出ているけど、当時はメチャクチャやる気のあるオジサンたちが、お金を使いまくっていたんです。ガンダムのブランド力はありましたけど、やっぱり初期の1プレイの料金が500円だったので、ある程度は"ふるい"にかけられていたんですね。
その人たちのおかげで『絆』が盛り上がったんだと思います。
だって、若い人たちとオジサンたちがガチで戦うゲームなんて、ほとんど無かったんですよ。しかも、個人戦じゃなくてチーム戦ですしね。やる気のあるオジサンたちと若い上手い子たちが戦って、オジサンたちが勝ったときの興奮(笑)!
宇野 なるほどー(笑)。
カバパン あと、あのゲームは大きい買い物なので、ゲーセンの店員たちも結構気にしていたんですよ。
宇野 確か4台揃えると、1000万円くらいするんですよね。
カバパン だから、良いゲームセンターの店長に巡り会えたときには、僕らも話をするんです。それこそ、阿佐ヶ谷大会では企画書を作って、店長と話しながら詰めていきました。それで最終的には、阿佐ヶ谷の駅前にあるゲームセンターの1階に、ターミナルまで歩けないくらいにギッシリ人が集まりましたね。
宇野 たぶん、その時期が『絆』の最初の盛り上がりですよね。それから一回沈静化した感じですか。
カバパン やっぱり、大会のペースもあるんですよね。大会でモチベーションを保つ人たちがいるじゃないですか。そういう人たちはやっぱり上手いから、いなくなるのは寂しいんです。このゲームの不思議なところは、1人じゃなくて4人で動くチーム戦なので、誰かが「やめる」と言ったら「やめるなよ」となるんです。だから当時は、やめたくてもやめられないこともありましたね(笑)。
宇野 まさに「絆」(笑)。
カバパン そうですね、人間の「絆」が結構生まれてましたね(笑)。
宇野 故に組織力を発揮するわけですね。普通に考えたら、2009年や2010年頃のゲームセンターでは、どんなに盛り上がってるゲームでもお手製の全国大会があそこまで盛り上がるのは考えづらい。『絆』だからあり得たんでしょうね。
カバパン 完全にそうです。オンラインでマッチした相手や仲間でも、印象に残るんですよ。そういう人たちが廃プレイをするんですよね。
宇野 「板倉小隊」以降で『絆』の文化は変わりましたか。
カバパン 板倉小隊が始まってすぐの1期2期くらいは、新しい人が増えていたと思います。でも、現状は衰退している部分もあります。悲しいのは、途中でオジサンのプレイヤーが生まれなくなったことです。それが面白くないんですよ。僕の個人的な意見なんですけど、このまま若い子たちのゲームになったら、たぶん『絆』は終わってしまうんじゃないかと思います。
宇野 面白いですね。大人のホビーであるべき、だと。
僕は、実は格ゲーが一番熱かった時期のゲーセンに、少し行っていたんですよ。あの時期のゲーセンって、本当に正しく思春期のカルチャーで、浪人生や暇な大学生のものという側面が凄く大きかったんですよね。
それはどんどん衰退していったのだけど、その中で『戦場の絆』はとても特殊な生き残り方をした。特に、その初期段階で大きな役割を果たしたのがガンダム好きの中年世代で、彼らによって非常に実行力も資金力も高く、若い子たちの面倒も見る独特のコミュニティが形成されて、それが『絆』の独特のポピュラリティと継続性を生み出したわけですよね。
ところが、いま7年目、8年目になってきて、それをどう維持していくのかが課題になっている。「板倉小隊」という中興の祖もあって、若いファンは増えたのだけれど、『戦場の絆』を支えてきた中高年、特に30~40代のファン層をどう熱くしていけばいいのかという別の課題が、まさに浮上しているわけですね。
カバパン そうなんですよね。バージョンアップでゲームの内容を盛り上げるのは、もちろんすごく大切です。だけど、若い子たちはすぐにそこに順応できても、オジサンたちは取り残されてしまうじゃないですか。そうして数が少なくなっているのをどう呼び戻すか考えた方がいいと、個人的には思ってます。
宇野 それは例えば、「古参兵はタンクに乗って司令塔をやる」みたいな文化が生まれていくことですかね。
カバパン 当時、タンクは嫌がられる役目だったんです。それを「自分がやる」とちゃんと言えるのは、人間性の問題もあるけど、歳の力もあると思うんですよ。しかも、オジサンだと全体を見ることもできるわけです。やっぱり、オンラインだと若い子たちでは回らない部分も多いですし。そうして一歩下がってくれたオジサンたちは、味方が勝手にやらかしたことでも、どう補填を効かせるか考えてくれたりする。良い回り方をしていたんでしょうね。
宇野 ちなみに、いまソロプレイヤーはどうチームを組むんですか? やはりゲーセンで普通に知り合っていく人がほとんどなんですかね。
カバパン それも、いまのゲーセンの問題なんです。昔はそれが出来たんですよ。地方でも「あいつ上手いな」とか「あいつ俺のこと好きだな」というのをキッカケに出会う場所があったけど、もうそれもないですからね。このまま単なる普通のオンラインゲームになってしまったら、終わりだと思ってます。上手い人たちも育たないし。
いまじゃ考えられないですけど、当時のゲームセンターの『絆』なんて、2時間3時間待つのは当たり前でしたからね。でも、みんなそれを並んで待つんですよ。整理券があるところはそれを配って。
宇野 なるほど、美しいなあ(笑)。僕の頃にバーチャの最新作が出たときなんかにあった光景ですね。
カバパン 平気で並ぶんですよね。一日に何回飯を食えるんだろう、と思うくらいの時間をひたすら待ってました。一体何をしに来たんだろう、と思うくらいに。でも、その一回でいくらでも話ができてしまうゲームだったんで、時間は潰せましたね。
宇野 最初にゲーセンに『絆』が現れたとき、みんな「何が起こったんだ」と思ったんですよ。僕は当時は『絆』をやっていないんですが、周囲から「宇野くん、最近ゲーセンに変な機械が入ったけど、なんなのあのゴツいやつは。1回500円とかするみたいじゃん、ヤバいよね」みたいな話をしてくるんです。最初は、相当な異物として迎えられていた記憶があるんですね。でも、皮肉なことにそのゲームこそが、実は昔のゲーセンの文脈にあるコミュニティ感を残していたわけですね。
カバパン 昔のゲーセンなんて「溜まるな」としつこく言われていたのに、いまはもう「ゲームやらなくてもいいから、とにかく来てください」という時代ですからね。店のコンセントで携帯の充電なんてしたら、昔はすぐに怒られましたしね。本当にもう、客が来てくれないとどうしようもない。
■世代を貫くコンテンツ~これからの“絆”の結び方
宇野 公式の全国大会をこうやって派手に打ち上げたのは、二つ目の山を越えた感じがするんですよ。では、その次に登るべき三つ目の山は何でしょうか。カバパンさんはこの先、『絆』がこうなってほしいと思うことはありますか?
カバパン 『絆』って、ずっと東京がトレンドだったのですが、いまは地方との差もなくなってきて、過疎地帯もある状態なんですよ。
でも、せっかくテレビで見られる「板倉小隊」というツールがあるわけじゃないですか。番組で地方をどんどん盛り上げたいですね。東京の方がイベントしやすいのもわかるのですが、逆に必要ないとも思うんです。やっぱり地方ですよ。
地方大会をしたら、全然変わると思います。いまもやってるとは思うんですが、上手な人たちだけが集まる大会をやっても、なにも面白くない。ゲームを楽しむところからハマるところまで、その間を教えてあげたいんです。
宇野 カギは年長者なんでしょうね。初期にガンダム世代のオジサンたちがいたことが本当に何年も響いてますもんね。ゲーセンが街のスポットとして再生するシナリオは、世代を貫くコンテンツをやること以外にはもうないんだ、というのが今日聞いて思ったことです。
カバパン まずは、現在もやってくれている人たちをありがたいと思わないといけないと思うんです。
地方で何も知らず、楽しいだけで続けている人たちは沢山いるわけじゃないですか。僕たちがイベントをできたら、そういう人たちがもっとハマれる方へ背中をポンと押したいんです。『絆』はもっと楽しいよ、と知らせてあげる。そうすればコミュニティが増えるし、もっと長続きするんだと思いますね。
(了)
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