中川大地さんの好評連載「現代ゲーム全史」が再開。
ポスト冷戦の90年代、<仮想現実の時代>の幕開けで
ゲームの進化はどこへ向かったのか。
当時流行したゲームの設計思想から読み解きます。
■スーファミに受け継がれた玉座
冷戦の終結や天安門事件といった世界史的な事件の波は、当初ゴルバチョフが企図していたような穏当な体制転換に留まることなく、雪崩を打つようにして共産主義圏の盟主ソビエト連邦を崩壊へと導いてゆく。永久に続くかにも思われた人類社会の強大な第二極が瞬く間に消失するという事態は、唯一の超大国となったアメリカの政治学者フランシス・フクヤマをして欧米型の自由民主主義がついに普遍価値として勝利したという「歴史の終わり」を豪語させ、あるいは逆にサミュエル・ハンチントンをして歴史や宗教を共有する大きなエリアごとに世界が多極化する「文明の衝突」の危機を唱えさせたように、世界秩序の変動をどう受け止めるかが全地球的な課題として各国に降りかかることになった。
国内政治的にはそれは、自由民主党と日本社会党のイデオロギー対立が作り上げた55年体制の動揺というかたちで襲来し、その機能不全を弥縫すべく強引に二大政党化を促進する選挙制度改革が敢行されたため、戦後初の政権交代によって理念の不明確な小政党が合従連衡して自民党の対抗勢力が作られては消えてゆく、不安定な連立政権時代が到来することになる。
しかしながら、こうした政治体制の迷走以上に日本社会の大きな変動源となったのが、マルクス主義の実験終了でグローバル資本主義が拡大したことによる国際競争の熾烈化や、国内での金融政策の迷走といった経済的要因であった。とりわけプラザ合意後の為替相場と金融市場の変動を受けての土地と株への集中的な投機によるマネーゲームの過熱は、〈虚構の時代〉の最後の灯火としてのバブル経済とその無残な崩壊をもたらし、右肩上がりの成長に過剰適応した日本のあらゆるシステムを軋ませる複合的な長期不況の引き金を引く。のちに「失われた20年」と呼ばれる事態の始まりである。
つまりは政治革命の〈理想〉も高度成長の〈夢〉も消費文化の〈虚構〉さえも、およそあらゆる外在的目標が国内外から喪失して先の見えない「身も蓋もない現実」に直面する時代として、1990年代は幕を開けた。
とはいえ、そんな「ここではないどこか」へのイマジナリーな憧れがなくなったとしても、テクノロジーの進歩は矛先を変えながらも絶えることはなかった。すなわち、人間の世界を外へ外へと開拓していくベクトルを持っていた核開発や宇宙開発こそ下火になったが、かつてその従者であった情報技術や生命科学が、「いま、ここ」にある人間自身の知性や身体性の本質を探って内へ内へと潜っていく営みとなって、社会の在り方を変えてゆく原動力に浮上してきたのである。
この両者が結びつくコンセプトとして、1980年代に現れたサイバーパンクSFなどで描かれたのが端末機械と脳神経系を直結することで人間がデジタルネットワークに没入(ジャックイン)できるようになるという「サイバースペース」の想像力であり、それに近い疑似体験を視界を覆うヘッドマウントディスプレイやモーション入力装置といったインターフェースで提供しようとする「ヴァーチャルリアリティ(VR:仮想現実)」技術であった。代表的な産物としては米イリノイ大学のトーマス・デファンティらが発表した「CAVE」(1991年)などが挙げられるが、こうした狭義のVRシステムに限らず、ひとまず先進国においてはデジタル技術がもたらすインタラクティブな視聴覚情報のレベルが「もうひとつの現実」として錯覚可能なレベルにまで高まるというかたちで、身も蓋もない現実からのひとときの、ないしは恒常的な退避経験を人々にもたらすようになる。
1990年代とともに始まる〈仮想現実の時代〉とは、このように性格づけることができるだろう。
そして一般大衆にとって最も身近なデジタル技術体験となっていたファミコンの世代交代ほど、〈虚構の時代〉から〈仮想現実の時代〉への過渡を端的に示す出来事はないだろう。NECホームエレクトロニクスの「PCエンジン」とセガの「メガドライブ」に続き、いよいよ家庭用ゲーム市場の覇者・任天堂もまた、1990年11月に新型ゲーム機「スーパーファミコン」を市場に投入。その名の通りファミコンの直接の後継機として発売されたスーファミは、「65C816」互換の16ビットCPUであるリコーの「5A22」を搭載し、背景の多重スクロールや描画オブジェクトの拡大縮小・回転機能など大幅に向上した視聴覚性能により、再びファミコンが登場時に有していた他社ハードへの性能的優位を獲得することになる。
ソフト供給方式はファミコンへの後方互換性を断念した新規格のROMカートリッジ式となったため、翌91年に登場したPCエンジンの「Super CD-ROM2」やメガドラの「メガCD」にデータ容量面では及ばなかったが、ロード時間などで処理時間がかかりメディア普及度も充分ではなかったこれらCD-ROM式の拡張手段を備えるライバル機の追随を許すことはなかった。このように慣れ親しんだカセット交換式の使用感を変えることなく、本体と同時にファミコン最大のヒット作をそのままグレードアップした『スーパーマリオワールド』と、スピード感あふれる優れた擬似3D表現によって機体性能の向上を端的に体感させるレースゲーム『F-ZERO』という完成度の高い2本のタイトルを発売。ファミコン帝国の優位を隙なく継承する任天堂の手堅い売り出し方を前に、国内のほとんどのファミコン所持者は自宅ゲーム機の代替わりにあたって、スーファミ以外の選択肢を思い浮かべることさえなかっただろう。
ただし北米市場では、スーファミが「SNES(Super Nintendo Entertainment System)」として1991年8月に登場する少し前の同年6月、「Genesis(北米版メガドラ)」向けに横スクロール型の冒険アクションゲーム『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』が発売されている。マリオに対抗するセガの看板キャラクターとすべく造形されたハリネズミのソニックを主人公に、メガドラの高速の画面描画能力を活かし、中裕司ら開発陣が総力を挙げてジェットコースターのような疾走感で新鮮なアクション体験を生み出した本作は、Genesis普及を牽引するキラーソフトへと成長。セガが伝統的に確立していた北米市場での優位とハードの世代交代タイミングの間隙を衝いた販売戦略が奏効し、目論見どおり任天堂と『スーパーマリオ』シリーズの対抗馬の座を獲得、しばらくはSNESのシェアを抑える対等以上のライバルとしてGenesisと『ソニック』シリーズが並び立つ状況を築くことになる。
こうした日米での展開の違いが生じながらも、スーファミ登場以降の16ビットゲームにおけるインタラクティブな視聴覚体験の高度化は、ファミコン時代のそれとの質的な差異を拡げてゆく。つまり、ファミコン当時のゲームで描かれる粗いドット図像や単純な電子音によって表現しえたのは、総じてゲームが舞台とする架空世界へのイメージを喚起するための抽象化されたシンボルや記号の域に留まっていた。例えば『ドラクエ』ならば、主人公の勇者の姿やアレフガルドの風景は画面上では鳥山明のデザインを大きくディフォルメしたものにならざるをえなかったし、すぎやまこういちの音楽もゲーム音源とは別にオーケストラ演奏のサウンドトラック盤が制作されたりと、作り手や受け手にとってのあるべき姿がゲーム機の生成する表象の外に思い描かれてきた。そうした「ここではないどこか」を想定する表現志向は、ジャンルを越えた〈虚構の時代〉の心性の共通の特徴でもあった。
対してスーファミ世代のゲーム機では、作り手側のイメージデザインがゲーム上の表象として再現できる度合いが大幅に高まり、受け手の側も画面上で展開される出来事をそのままの具象として鑑賞する態度がしだいに強まっていく。例えば二大RPGシリーズとしてスーファミ初のリリースとなった『ファイナルファンタジーIV』(1991年 スクウェア)では、強力な一本道シナリオの中で名前も性格もあらかじめ明確に設定されたキャラクターたちの図像が、ストーリーイベントのたびに画面上を自動的に動いて「芝居」を繰り広げる。そこではプレイヤーが能動的な想像によってそれぞれの物語や世界観を自由に半創造するというクラシカルなRPGの醍醐味は減少しつつも、ゲームソフト内で描写される「いま、ここ」の世界に没入するだけで完成度の高い仮想体験が得られるようになったのだとも言える。このようなゲーム設計を典型として、外部を必要としない自己完結的なインタラクションの体系、すなわち〈仮想現実の時代〉のモードが全面化していったのである。
■日米シミュレーションゲームの発想の対称分化
こうした〈仮想現実の時代〉の心性は、ハードウェアの単線的な発展の帰結というだけでなく、むしろ新たに登場したゲームデザインの発想の中に濃厚に見出すことができる。その筆頭に挙げるべきが、アメリカのウィル・ライトが制作した都市造成・経営シミュレーション『シムシティ』(1989年 マクシス)であり、イギリスのピーター・モリニュー制作による宗教戦争シミュレーション『ポピュラス』(1989年 ブルフロッグ)であろう。MacintoshやAmiga、IBM PCといった英語圏のパソコン用ソフトとして人気を博した両作は、それぞれプレイヤーが市長や神といった超越的な立場から種々の指示を与え、そのコマンドに従いながらも統治下の街や民衆が自律的な発展を遂げ、フィールドの状況が刻々とリアルタイムに変化していく点を際立った特徴としていた。
ウォーシミュレーションを典型とする従来のSLGは、基本的にはチェスや将棋のようなターン制ボードゲームの延長線上に、「対戦相手」と「ジャッジ」役をコンピューターに代行させるかたちで成立していたと言える。つまり、例えば戦場をヘックス状のマス目で構成された盤面上に一定の移動能力や攻撃能力などが定められた兵種を表す駒(ユニット)を配置するなど、現実の戦争を抽象化・簡略化したルールで表現し、放っておけば何も起こらない静的な状態空間において対戦者が交互に指示を加え合うことによって不連続に変化を積み重ねる中で、それぞれが他方に対する勝利条件の達成を目指すというものだった。これが1990年代にはコンピューター性能の進歩によって人間が一度に処理できる量をはるかに越えた無数の状態パラメーターを同時処理可能になり、ほぼ連続的と言っても差し支えないほどの多段階の状況変化をプログラムが生成し、まるでアニメーション映像のようにグラフィカルに描画出力可能になった。
その結果『シムシティ』や『ポピュラス』では、画面上の多数のユニット群が単なるチェスの駒のような静的な存在の域を越え、あたかも「もうひとつの現実」の中で勝手に挙動する生命のように感受可能になり、それらの群体が自律的に進化する箱庭的な社会や世界を“神の視座”から俯瞰し干渉するようなゲーム体験がもたらされたのである。この体験的本質をロジェ・カイヨワによる遊びの4類型に当てはめて説明するなら、従来のウォーゲーム型SLGが盤面上でプレイヤー同士が合理的戦略を練り合いながら互いを打ち負かそうとする〈闘技(アゴン)〉の性格が優勢な遊びだったとすれば、『シムシティ』『ポピュラス』はここにプレイヤーの意志を越えたコンピューターによる自律変化を擬似的な自然法則として取り込むことで、サイコロを振るよりは決定論的ながら容易には予測統御のできないレベルの〈運(アレア)〉の要素を生成しようとしたものだったと言えるだろう。
このことはちょうど、同時代の専門的なコンピューター科学の領域では、かつてマンハッタン計画を遂行した米ロスアラモス国立研究所を母体とするサンタフェ研究所などを中心に、「複雑系の科学」の一分野としてクリストファー・ラングトンらによってコンピューターシミュレーションを利用した「人工生命(Artificial Life)」と呼ばれる領域が勃興していたこととも軌を一にする変化でもあった。人工生命とは、いきなりトップダウン式に人間の知性をモデル化しようとしたかつての人工知能とは異なり、生物個体や細胞などを擬制した単純な数理アルゴリズムで記述されるエージェントを多数同時に作用させるなどしてボトムアップ式に一定の秩序をデジタル空間上に形成することで、発生や進化などの生命の本質を構築的に再現しようとする学問ないしメディアアートの手法である。第2章にも述べたコンウェイの「ライフゲーム」の発想の発展形とも言えるこの分野の発想は、コンピューターを自然法則の代行役に据えて一定の自律性をもった仮想的な生態系を再現しようとするという意味で、のちに様々な題材にシリーズ化するライトの『シムシティ』や『ポピュラス』のゲームデザインとも完全に底を通じている。
このように、コンピューターが再現するアルゴリズミックな自律性を通じて自然生態系の本質を体感しテクノロジーを媒介とした合一化を図ろうとする発想は、アメリカ西海岸のヒッピームーブメントから連綿と受け継がれてきたニューエイジ的な思想のひとつの結実でもあった。
以上のような文脈から生じた『シムシティ』『ポピュラス』がスーファミの初期ラインナップ内として移植されて上陸したことで、日本の一般的なゲームファンたちも国内ゲームの自生的な発展とは大きく異なる米欧流の〈仮想現実〉構築のセンスに直面し、『テトリス』に続く「洋ゲー」ショックとしてこれを迎えることになる。
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