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第7回 インベーダーブームがもたらした〈虚構の時代〉
(前回までのあらすじ)
戦後のアーケードゲーム受容は、進駐軍カルチャーの延長線上に
セガ、タイトー、ナムコの3社が先導するかたちで行われ、
1970年代には米アタリの『ポン』や『ブレイクアウト』といった
「パドルとボール」式ビデオゲームを、輸入と模倣を通じて
日本にも普及させるに至った。
そして、かつて満州国で行われた日本のユダヤ人保護計画で救われた
ミハエル・コーガンが創業したタイトーは、西門友宏らの手により
『スペースインベーダー』(1978年)を生み出し、空前のヒットを記録。
初めて日本産のゲームが、かつて在米ユダヤ人たちの主導した原爆開発の
徒花たるコンピューター技術の援用によってアメリカを“逆侵攻”し、
世界を席巻するという、奇妙な文明史的因縁が成し遂げられた。
■『インベーダー』のゲーム性と文化的脈絡(承前)
『スペースインベーダー』が実現した多勢の侵略軍を撃退する宇宙戦争というモチーフは、1977年に公開されてSFブームを引き起こしていた映画『スター・ウォーズ』からの大きな触発を受けている。
前章(本連載では割愛)でも述べたように、この時期のSF/宇宙ブームは、現実の宇宙開発を機に盛り上がった1960年代のそれよりも、一種のファンタジー(自然主義的なリアリズムによって再編された創作神話)としての性格が強いものであった。『スペースインベーダー』のゲームデザインにおいても、同じく宇宙戦争をモチーフにした『Spacewar!』などとはまったく異なる発想が採られていたと言える。すなわち、物理法則のリアリスティックなシミュレーション性ではなく、あくまでも人間の側の認知や生理に即した視聴覚イメージや物語性を与えることで、ゲームとしてのルールを直感させるという方向性である。
これにより、「パドルとボール」式や各種スポーツもののように抽象的なシンボルで遂行するゲームや、せいぜい射的のマト程度の具象性しか持たなかったエレメカ翻案式ゲームに比べて、特徴的な動きで迫ってくるインベーダーたちは、格段に強いキャラクター性を獲得する。それも、人工知能が目指したようなプレイヤーと同じルールに従って思考する対等な「対戦相手」というよりは、人間とは異なる身体特性と行動原理で動く「他者」としての生命性をもった存在としてだ。このことは、ゲームプログラムにおけるコンピューターの役割の中に、それまでの「人間(知性)の代行」と「自然(物理法則)の代行」に加えて、「生命(他者の身体)の代行」という層が明確に分化して生じたのだとも言い換えられよう。かくしてコンピュータービデオゲームは、推論的な知性の持ち主同士が対称的な制約条件に基づいて勝敗を競うという伝統的な(ゲーム理論的な)意味での「ゲーム」から、さらなる逸脱発展を遂げていくのである。
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