本日のメルマガは、髙木陽之介さんによる『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』評をお届けします。 紀元前の哲学者・ルクレティウスによる『物の本性について』が描いたエピクロスの唯物論と、それがルネサンス期に発見されたことの衝撃を解説します。
DE CLINAMEN (逸脱について)|髙木陽之介
『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』スティーヴン・グリーンブラット著、河野純治訳 柏書房 2 4 2 0 円 2 0 1 2 年15 世紀のイタリアのブックハンター、ポッジョ・ブラッチョリーニの、一冊の本をめぐる旅の物語。あるとき、彼は南ドイツの修道院でルクレティウスの『物の本質について』を発見する。紀元前50 年頃、エピクロス派の思想を元に編まれたこの詩集には世界の真理が書かれており、やがてヨーロッパにルネサンスを巻き起こしていく。
快楽主義の哲学者として知られるエピクロス(BC341 年 ‒ BC270 年)だが、彼自身の作品は今ではほとんど残っておらず、その哲学を研究する上で最も重要な作品は、彼の信奉者であったローマの詩人が詠んだ哲学詩であったことはあまり知られていない。
詩人の名はティトゥス・ルクレティウス・カルス(BC99 年頃 ‒ BC55 年)、哲学詩は『DE RERUM NATURA(物の本性について)』という。ルクレティウス自身の生涯についてはほとんど明らかではない。聖ヒエロニムス(347年頃 ‒ 420 年)による《媚薬を飲んで発狂し、後にキケロが手を入れた数巻の書を発作の合間に記したが、四十四歳で自殺した》という記述が、ほとんど残された唯一のものだが、エピキュリアンの評判を貶める風説の類と見るのが多くの歴史家の見解のようである。
1 THE SWERBE(逸脱)
スティーヴン・グリーンブラットによる『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』(THE SWERBE -How theWorld Became Modern-)は、ルネッサンス(古代の再生)、つまり近代の起源の象徴的出来事として、ポッジョ・ブラッチョリーニ(1380 年 ‒ 1459 年)によるルクレティウスの写本の発見を扱ったノンフィクションである。グリーンブラットはこの自らの著書に、エピクロス=ルクレティウスの重要な概念〝CLINAMEN〞の訳語として〝THE SWERBE〞(逸脱)と名付けた。
この発見についてグリーンブラットは以下のように記している。―この信奉者(筆者註/ルクレティウス)のかつて賞賛された詩が残っていたのは、まさに幸運だった。『物の本性について』の一冊が、修道院の図書館に、喜びを追求するエピクロス哲学を永遠に葬り去ったかに見えた場所にあったのは、たんなる偶然だった。どこかのスクリプトリウム(写本室)か何かで働いていた一人の修道士が、その詩が朽ち果てる前に書き写したのも、たんなる偶然だった。そしてこの一冊がおよそ五〇〇年もの間、火事にも洪水にも遭わず、時の試練にも耐えて、一四一七年のある日、ポッギウス・フロレンティヌスすなわちフィレンツェのポッジョと自慢げに名乗っていた人文主義者の手に渡ったのも、たんなる偶然だった。(『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』p 139)
この近代的な歴史観は、世界は神の摂理とは無関係の偶然によって動かされているとしたエピクロスに由来している。宇宙は虚空と原子で構成されているが、必然性のみが支配するデモクリトスの唯物論と違って、エピクロスの唯物論においては、原子はわずかな角度曲がることがある、クリナメン(逸脱)が生じるという修正が加えられた。これは物体の運動にはある程度の揺れ幅、揺らぎがあると理解すると分かりやすいが、この原理によって、必然性に支配されていたはずの世界は、偶然性に溢れたものとして見えてくるのだ。
上記を含めてルクレティウスの『物の本性について』が示す世界観は、近代以降の世界理解の基本原理となっているが、すでにそれが浸透してしまった我々が読んでもその衝撃を理解することは難しくなっている。しかし、だからこそグリーンブラットは、それが発見されるまでと、発見されてからの歴史を語らなければならなかったのであり、それは近代(modern)と呼ばれる時代がいかなる運動の中にあるのか、あるいは、いかなる運動と見做されているのかを改めて知ることなのだ。
コメント
コメントを書く