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[特別無料公開]「遅いインターネット」最大の危機(『水曜日は働かない』第3部第4話)|宇野常寛

2022/09/30 07:00 投稿

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本日のメルマガは、PLANETS編集長・宇野常寛の新著『水曜日は働かない』(ホーム社)から一部を特別無料公開してお届けします。
今回お届けするのは、宇野の前著『遅いインターネット』執筆時のとあるエピソード。本書執筆中、なかなか筆が進まない時期があったという宇野に対して、脚本家・井上敏樹先生が送ったある「アドバイス」とは……?

「遅いインターネット」最大の危機(『水曜日は働かない』第3部第4話)|宇野常寛

 去年の夏、僕は完全に『遅いインターネット』の執筆に行き詰まっていた。この本は僕にとってふたつの目的で書いた本だった。第1に、僕がこれからはじめる「遅いインターネット」計画についてのマニフェストと、そこに至る背景の分析を示して世の中に対して問題提起を行うこと。第2に、その背景となる分析として僕がこれまで考えてきたメディアや政治、あるいは経済についてのさまざまな思考を一冊にまとめることだ。後者については、僕の今までの主著(『ゼロ年代の想像力』『リトル・ピープルの時代』『母性のディストピア』)はすべてサブカルチャー批評をベースにしたものだったが、これは主著の中ではじめての社会批評になる。要するにテレビやラジオを通じて僕を知った人に最初に手にとってもらう本として位置づけたのだ。そしてその結果、僕はこの時期に完全に書きあぐねていた。

 内容というか、そこに書き記す分析と理論はほぼできあがっていた。大まかな構成もほぼ決まっていたと思う。
 にもかかわらず、僕は書きあぐねていた。それは一言で言うと、文体と言うか、語り口の問題だ。この本は内容的にも(文化批評ではなく社会評論)、形式的にも(批評であると同時にマニフェストである)僕のこれまで書いた本とはまったく違う。それに加えて、僕自身がこの数年で40歳になって、自分のメディアが大きくなって、読者コミュニティを持って、否応なく世の中との距離感がだいぶ変わってきてしまっていた。この本はインターネット、とりわけS‌N‌Sによってプラットフォームに決定されてしまいがちな僕らの世界に対する距離感と進入角度を、もう一度自分たちの手で自由に設定できるものに取り戻すべきだと主張し、そのための僕の実践を宣言している本なのだけど、僕自身がこのとき世界との距離感と進入角度を試行錯誤していたのだ。いや、より正確にはこの数年試行錯誤した距離感と進入角度をどう自分の新しい本にふさわしい新しい文体に落とし込むのかが、なかなか見えてこなかったのだ。(執筆に使っているEvernoteには、詳細な構成メモと各章の断片的な記述だけが溜まっている状態だった。)

 しかし、突破口は意外なところから出現した。
 そのメールには1行しか書かれていなかった。

  「そろそろエッセイを本にしろ」

 メールの差出人の名は、井上敏樹。『鳥人戦隊ジェットマン』『仮面ライダー555』などの作品で知られる、僕ら特撮ファンにとっては伝説の脚本家だ。僕はかれこれ8年ほど前から、説明は難しいのだけれど、まあ、いろいろあって敏樹さんと親しくさせてもらっていた。度々手料理(一部ではすごく有名な話だけれど、井上敏樹先生はプロ顔負けの料理技術を持っている)もごちそうになってきたし、出張中に京都で落ち合ったこともあった。伊勢丹のメンズ館に一緒に服を買いにいったこともある(紫のジャケットとか、ヘビ柄のシャツを普通に勧められて閉口したが)。

 そしてここからが重要なのだけど、僕は井上敏樹の仕事がなければ物書きになっていない。それくらい僕にとってこの人は特別な存在で、そんな人物と親しくなってしまったものだから何が起こるかというと気がつけば絶対的な上下関係がそこには成立してしまっていた。僕がお酒を飲まないことや、「飲み」という文化そのものに批判的なことは度々述べてきたはずだが、井上敏樹という絶対的な存在の前ではそんなイデオロギーなんてものは、一瞬で灰燼と化すのだ(そう、「第二の死」を迎えたオルフェノクの消滅のように)。そう、井上敏樹はこの僕に地上でただ一人お酒を飲ませることのできる人物なのだ。

 もちろん、かといって敏樹さんが僕に飲酒を強要したことは一回もない。ただ、あの人といると、なぜか久しぶりに一口くらい飲んでみるかな、という気分にさせられてしまうのだ。あの1行メールだってそうだ。実は僕のメールマガジンで敏樹さんはもう5年以上エッセイを連載していて、気がつけば50回を軽く超える最長連載になっていた。そこで、そろそろ単行本にしたいという話がぼんやりと出ていたのだけど、いざ動き出すとなると僕の方からはなかなか関係性的に切り出しにくいのを半ば察して、あのメールが発せられたのだ(と思う)。はっきり言って顔は怖いけれど、とても、とても繊細に周囲のことを考えてくれる人で、僕はそこに憧れるのだ。

 そしてその日僕はエッセイの単行本化の打ち合わせで、中央線のとある駅前にある焼き鳥屋に足を運んだ。仕事的な打ち合わせは、一瞬で済んで、他愛もない雑談になった。僕はなにかのはずみで、スランプなんですよね、と漏らしてしまった。お酒は飲んでいなかった。この日、たぶんあまり僕が調子の良くないことを察したと思われる敏樹さんは、「宇野は今日は飲まないだろ」とノンアルコールビールを先手を打って勧めてくれたのだ。そして、僕は思わず甘えたくなって、今書いている本に苦戦していることを説明した。この文章の前半に書いたようなことを、だいたい述べたと思う。すると、敏樹さんは言った。なら、とっておきの方法を教えてやろう、と。

 一箇所だけ、凝って書け。できれば出だしが良いが、それが難しいならどこでもいい。一箇所、凝って書いて、気に入ったものが書ければあとはすらすら書けるはずだ──。それが敏樹さんからのアドバイスだった。自分もたまにスランプになることがある。そんなときはこうする。こうすればあとは書けるはずだ。俺が言うんだから大丈夫だ。明日やってみろ。

 僕はこのときはどちらかというと、敏樹さんがいつも以上に僕に気を遣ってくれたことが嬉しくて、そして少し申し訳なくて、エッセイ集は絶対にいい本にしようと思いながら帰ったのだけど、驚いたのはその翌日だった。僕は敏樹さんのアドバイスを思い出して、一箇所だけ、構成を無視して書いてみた。理論的にはまったく必要のない、例示の部分だ。具体的には第2章の、『アベンジャーズ/エンドゲーム』の結末と、その映画を観たあと僕が『ポケモンG‌O』をやっていた、という描写の部分を書いたのだ。繰り返すがこの箇所は理論的には全く必要ない。単に理解を助けるための、例示的なエピソードの部分だ。ただ、僕はこの部分でこの本の「語り口」を見つけた。この部分には容赦なく『アベンジャーズ/エンドゲーム』のいわゆる「ネタバレ」が書いてある。例示としては「ネタバレ」まで書く必要はまったくなかったのだが、僕はなんとなく書きたくて書いてしまった。そしてそのことを本文の中で謝罪した。未見の人はごめんなさい、と。本が発売されてから、ときどきネタバレを食らったと被害報告をしている人を見かけるが、誰も本気では怒っていない(と思う)。たぶん、僕の茶目っ気のようなものが、伝わったのだと思う(本気で嫌だった人にはもう一回謝ります。ごめんなさい)。そしてこの「語り口」でこの部分を書けたとき、僕は「この本は書ける」と確信したのだ。この新しい本にふさわしい、新しい「語り口」が見つかったと思ったのだ。これくらいの真面目さに、これくらいの角度でユーモラスな混ぜものを入れること。そしてふざけすぎたときは謝ること。それが僕の見つけた「距離感と進入角度」を表現してくれる「語り口」だった。
 そして、僕はそこからどんどん「書ける」ようになった。構成メモに記された骨子にはどんどん肉が与えられ文章となり、ばらばらだった断片はこの「語り口」で一冊にまとまっていったのだ。こうして僕はスランプから脱し、『遅いインターネット』は脱稿された。あの夜がなければ『遅いインターネット』という本はまだ出版されていなかっただろう。

 僕は思った。あの夜、敏樹さんが僕に伝えたかったのは、たぶんこういうことだったのだ。物書きにとって、ときに理論や技術よりも「語り口」こそがその文章の本質を決めることがある。それは当たり前のことかもしれないけれど、だからこそ僕たちはついそれを忘れるときがある。今回の僕のスランプがまさにそれだった。敏樹さんは、僕に語り口を見つけさせるために、一箇所だけ、どこでもいいから凝って納得のいくものを書けとアドバイスしたのだ。
 井上敏樹の代表作の一つに『仮面ライダーキバ』という作品がある。同作にこんな台詞が出てくる。「本気で殴り合えば、多分お前の方が強い。だがお前は俺には勝てない。な〜んでだ? お前には遊び心が無い。心の余裕が無い。張りつめた糸は、すぐ切れる。そういうことだ」──これはある仮面ライダーが、次世代の仮面ライダーに(そうとは知らずに)送ったアドバイスのようなものだ。台詞回しから分かるように、とてもユーモラスなシーンなのだが、これは後々の展開に大きな影響を残すちょっとしたターニング・ポイントだった。あの夜、敏樹さんが僕にくれたアドバイスは今思うと、このシーンの変奏だったように思えるのだ。物書きから物書きへ、仮面ライダーから仮面ライダーへ。伝えられたのは理論でも強さでもなく、世界に対する「語り口」なのだ。そしてつまり何が言いたいのかというと、僕はこの井上敏樹という男の中の男……という表現が政治的に正しくないなら「人間の中の人間」にどこまでもついていくということだ。これまでも、そしてこれからも。

[了]

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▼プロフィール
宇野常寛(うの・つねひろ)
1978年生まれ。評論家として活動する傍ら、文化批評誌『PLANETS』を発行。主な著書に『ゼロ年代の想像力』(早川書房)、『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)、『日本文化の論点』(筑摩書房)、『母性のディストピア』(集英社)、『遅いインターネット』(幻冬舎)ほか多数。


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