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ゼロ年代における新自由主義の行方を描いていた『クロスゲーム』​​| 碇本学

2022/03/24 07:00 投稿

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ライターの碇本学さんが、あだち充を通じて戦後日本の〈成熟〉の問題を掘り下げる連載「ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本の青春」。
あだち充の現状最後の少年誌連載作品である『クロスゲーム』読み解きの完結編です。『ナイン』以来のあだち充の「ラブコメ×野球」路線の集大成とも言える本作で描かれた主人公コウと青葉の恋愛描写の成熟度と、2005年の連載当時の文化シーンの空気感を振り返ります。

碇本学 ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本社会の青春
第20回③ ゼロ年代における新自由主義の行方を描いていた『クロスゲーム』(前編)​​

あだち充作品のほかの主人公たちよりも早く成熟に向かっていた樹多村光の諦観

2022年現在、「少年サンデー」での最後の連載作品となっている『クロスゲーム』は、それまでのあだち充作品の集大成的な要素がいくつも入っていた。しかし、本作は「ラブコメ×野球といえばあだち充」という王道の要素をおさえていながらも、ラブコメ具合は他の作品に比べると少しばかり薄く感じられる作品だった。
その理由としては最初のコミックス一巻で描かれた第一部【若葉の季節】において、主人公の樹多村光(以下「コウ」)とお馴染みであり、同じ誕生日に生まれた相思相愛だった月島若葉の突然の死があった。
物語のメインである当時、小学五年生のコウと小学四年生だった若葉の妹である月島青葉は喪失を抱えて思春期を過ごしていくことになる。
第20回①で書いたように、この作品のラブコメの主軸は似ている者同士だから大嫌いだったふたりの物語として展開されていく。それもあってかラブコメというよりは多少シリアスな雰囲気が他の作品よりもあるものとなっていった。

このファーストヒロインである若葉の突然の死は、『タッチ』における上杉達也の双子の弟の上杉和也の交通事故に巻き込まれた死を、もう一度繰り返すような設定だった。すでに述べたように、『クロスゲーム』は担当編集者である市原武法が「逆『タッチ』を描いてほしいんです」という口説き文句によって始まった作品だったからだ。
和也が亡くなったのは達也と浅倉南が高校一年生の夏だった。絶妙なバランスで成り立っていた三角関係を構成していたうちの一人が欠けてしまったことで、残された二人は互いの本心を伝えることが難しくなっていく。和也の死は二人にとっては見えない壁のような役割を果たしていた。それゆえにその壁を越えていき、上杉達也が浅倉南に好きだと本心を告白するというクライマックスは読者の心に響き、彼らの思春期が終わっていくという成熟に向かっていくという物語になっていた。

亡くなった若葉のことが好きだったコウと特に姉の若葉に懐いていた妹の青葉の二人は若葉からすれば似た者同士であり、若葉はいつか青葉がコウのことが好きになる可能性を秘めていると感じているような描写もされていた。
「あだち充劇場」における主人公として、コウはどこか冷めた感じがあり、他の主人公よりも達観している部分があった。幼少期のコウは物事によく動揺するタイプだったが、小学生のときに将来は結婚するという約束をしていた若葉を失ったことで、成長と共に動じない性格に変わっていった。
コウはウソをつくのが昔から得意だったこともあり、自分のプレッシャーや不安などは表に出さない冷静さを持つようになり、どんな状況であっても周囲に気を遣ったり元気付ける役目を果たすようになっていく。そういう描写があることで飄々としたものを感じさせる登場人物だった。
また、彼自身は高等部から野球部に入ることになるが、野球選手としての成長は見られるものの、人間的な成長はほかの主人公に比べると少なく感じられるものだった。ある種の諦観のようなものを抱えて成長したことが大きかったのだろう。
だが、そんな感情的になることが少ない冷静なコウを変えるのはいつも青葉とのやりとりであり、彼女といる時だけは十代の少年らしさが滲み出てしまっていた。青葉がデートをするという話を妹の紅葉から聞くと動揺する一面があるなど、青葉に関しては感情的になることが度々あり、青葉が彼にとっては特別な存在だったということがわかる描写がなされていた。

一方、ヒロインとなる青葉は、中等部に引き続き高等部でも野球部に入るものの、中等部同様に練習試合には出場できるが、公式試合には出場できない。野球選手としての資質はほかの男子部員にひけをとらない才能があり努力もしていたが、性別の問題で自分のやりたい野球をめいっぱいできない存在として描かれていた。
コウは小学生時代に若葉の勧めもあり、青葉がこなしていたトレーニングを始める。中等部では野球部には入らなかったものの、そのトレーニングは継続していたので高校野球にも充分な肉体づくりができていた。小学時代に青葉にピッチングで負けたことで、彼女の投球フォームに憧れを持つようになった。青葉のピッチングフォームを見て真似ることで「ひじを痛めない理想的なフォーム」をコウは身につけることになる。つまり、『クロスゲーム』における主人公の樹多村光が甲子園出場を果たすようなピッチャーとなったのは、ほとんど青葉の影響と言って差し支えない。
青葉としては自分のピッチングフォームなどを真似ていたコウがどんどん実力をつけていったことで、大門秀悟率いる星秀高校一軍チームを倒して二軍チームを甲子園に出場できるほどのチームに引き上げられる投手だということはすぐにわかったはずだ。そして、表面上犬猿の仲であったものの惹かれる部分を表には出さないまま、女性ということで高校野球の公式戦には出場できない自分の高校野球への夢をコウに託すようになっていった。

ヒロインが自分の夢を主人公に託すことになるという設定は、前作のボクシング漫画『KATSU!』の水谷香月から青葉に引き継がれていると言える。香月は元プロボクサーだった父の影響もあり、幼少期から男同士の殴り合いに憧れていた。しかし女性であることでそれは叶わない現実であることも、成長するにつれて突きつけられるようになっていく。その夢を諦めることができたのは、ずっと胸に抱いていたボクシングの夢を主人公の里山活樹の才能に惚れることで、彼に託すことができたからだった。


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