北京大学助教授の古市雅子さん、中国でゲーム・アニメ関連のコンテンツビジネスに10年以上携わる峰岸宏行さんのコンビによる連載「中国オタク文化史研究」の第11回(前編)。
ゼロ年代から2010年代前半の中国における、ゲーム産業の発展史を辿っていきます。当初は一部のコアユーザーによる消費に限られていた国内ゲーム産業でしたが、ネットカフェの普及とともに登場した、FPSやMMORPGに興じる「中国ギーク」たちがゲーム産業大衆化のきっかけを作ります。
古市雅子・峰岸宏行 中国オタク文化史研究
第11回 中華圏ゲームの発展史:2000〜2010年代前半編(前編)
これまで10回にわたって、中国では日本のアニメ・コミック・ゲームを、テレビ・雑誌・インターネットなどのメディアや、個人・サークル・字幕組といった人々のムーブメントがリレーして繋げてきた歴史、そして1980年代から90年代の中国のゲーム業界の勃興の流れについて、触れてきました。
前章で述べたように、1993年に入ってきたコスプレや、1995年以降のネット掲示板とゲームセンター、VCDを通して日本のゲームを享受してきた中で、初めてオリジナル作品を発表した96年、97年は大陸にとって重要な転換期だったと言えるかもしれません。
しかし『血獅』の失敗により、自国のゲーム制作に対して大きく失望し、ユーザーは日本コンテンツに傾倒する人々、「オタク」層と、ネットカフェが生まれたことによって『Age of Empires』(1997年・Ensemble Studios/Microsoft)や『Half-Life』(1998年・Sierra Studio)、『カウンターストライク』(2000年・Valve Software)等をプレイする「ネットカフェ民」の二極化していきました。
その後の中国のゲーム市場はまずネットカフェ民が市場のベースとなり、その後いくつかの作品でオタクがゲーム市場に影響を与える、という構図になっていきます。
二極化するゲームユーザー
1990年代は、受動的な消費が主流でした。第5回「「鏰児厅(ゲーセン)」から「網吧(ネットカフェ)」へ〜中国ゲームコミュニティの勃興」でも紹介したように、作品に対してファンアートを描いたり、コスプレ写真を撮ったり、あるいは輸入されたゲーム筐体で遊んだりというのは、ほんの一部の人たちの動きでしかありませんでした。
実際にファンの動きが活発化するのは1999年中国がインターネット元年を迎え、フォーラムが誕生してからです。第6回「国家規制下の初期インターネットで発展した中国アニメコミュニティ」でも述べたように、一部のコアなユーザーはフォーラムの登場とともに、その層を広げ、日本の同人文化や字幕制作といった二次創作に近い行動をとるようになります。
ゲームユーザーのオタク層は日本での情報をフォーラムや雑誌から得て、アニメなどの複合コンテンツがある「ポケットモンスター」シリーズ(任天堂・1996年~)や「英雄伝説 軌跡」シリーズ(日本ファルコム・2004年~)などの携帯ゲーム機、ハードゲーム機ゲームを遊ぶようになります。こうしたオタク層は、富裕層、そして大学生などのインテリ層が中心です。当時の平均収入を考えるととても高価だったうえ、国内での正規販売を許可されていなかったゲーム機を購入する財力やルートをもつ人のみが遊べたからです。2000年以降、日本旅行、日本留学に行く人口は徐々に増えていきますが、自力で行けた富裕層と、留学の機会をつかめたインテリ層が中国での日本コンテンツ普及に影響していきます。
1999年までは、中国から日本への団体観光旅行ができませんでしたが、1999年1月から解禁。2000年9月から日本政府の中国人団体観光客、2009年には個人観光客へのビザ発給を開始しています。2000年の団体観光客へのビザ発給により、日本を直接訪問し、日本に直に触れるチャンスが少しずつ増えました。当時、日本へ行くためには年収25万元(当時のレートで約200万円)の財力証明が必要でしたが、中国統計局のデータ[1]によると、2000年の都市部の平均収入は6208元(当時のレートで5万円前後)、年収8万元にも満たない人が多く、あくまでも中国人口の中でも本当に一部の富裕層のみが日本観光できました。
2000年当時の中国人日本留学生は全国で、4.4万人[2]。全日本留学生の55%を占めていました。その後2010年には8万人までに増えており、2019年の令和元年には12万人まで増加します。中国人留学生は1990年代の日本コンテンツに触れた人も多く、中国のネットフォーラムやQQを通して、日本のアニメや漫画をリアルタイムで中国に広めていきます。
その実例の一つが、行為自体は違法ですが、中国に多くのゲーム・アニメファンを作り上げた「漢化組」や「字幕組」です。以前の章でも紹介しましたが、字幕組はもともと、日本製18禁PCゲームを中国語化し布教することを目的にしていました。
また、以前紹介した「海南出版社」のような漫画単行本、或いは「画王」「二次元狂熱」「動漫基地」「動漫販」等の情報誌、海賊版などを見てもわかるように、香港・台湾などの中国本土以外の華人の存在も重要でした。
▲2000年創刊の「遊戯同志GAME月刊」日本のゲームアニメ情報誌の海賊版。だがこれらがなければ、いま日本の作品がここまで受け入れられたかどうか定かではない。
こうした状況もあり、中国国内のオタク層にとって情報量はかなり増えましたが、情報を仕入れたとしても、実際に触れる機会はなかなかありませんでした。そこで運用されたのがBitTorrentのようなP2Pソフトウェアと、並行輸入商品を販売する実店舗、そして実店舗が販路を広めるためのECサイト、タオバオ(淘宝)などの存在です。
当時、信用社会ではない中国で、タオバオがネット上の物品売買を成立させ、プラットフォームとして成功した秘訣として、売買に際し、信頼の置ける「中立的な第三者」が契約当事者の間に入り、代金決済等取引の安全性を確保するサービス、「エスクロー」がありますが、この方式が出現したことで、2000年代のオタクのビジネス市場が大きく広がったので、まさに様々な環境、条件が重なった幸運な時期といえます。
かくして2000年代初期には日本や台湾・香港あるいはその他の地域の華人が情報を提供するフォーラムと、日本国内のアニメ・ゲーム情報誌をもとに編纂した情報誌から最新情報を入手し、BitTorrentでダウンロードしたゲームソフトや、店舗で販売される並行輸入品を消費し、プレー体験をフォーラムで討論する、という流れが確立していきました。
オタクのコンテンツ消費の循環はこうして成り立ち、現在では、タオバオで店舗を開設する日本企業も増えています。ただ、こうしたオタク層がゲームの売上や企画に直接影響するのは、もう少し後のことになります。
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