平成仮面ライダーシリーズなどでおなじみ、脚本家・井上敏樹先生のエッセイ『男と×××』。今回は、最近敏樹先生がハマりはじめたという骨董について。盃に映った空を眺め、敏樹先生は何を思うのでしょうか。「平成仮面ライダー」シリーズなどで知られる脚本家・井上敏樹先生による、初のエッセイ集『男と遊び』、好評発売中です! PLANETS公式オンラインストアでご購入いただくと、著者・井上敏樹が特撮ドラマ脚本家としての半生を振り返る特別インタビュー冊子『男と男たち』が付属します。 詳細・ご購入はこちらから。
脚本家・井上敏樹エッセイ『男と×××』第67回
男 と 酒 器 井上敏樹
まず、謝罪したい。以前、私はこのエッセイで骨董好きな人間を批判した事があった。無責任だ、と。自分勝手だ、と。その私が近頃すっかり骨董にはまっているのだ。思えば小学校の頃、通信簿に必ず無責任だ、協調性がない、と書かれた私である。運命は決まっていた、と言えるかもしれない。もっとも私の場合、酒器と食器に限定されているので、まだまだ初心者のレベルである。本当の数寄者は日々使う道具を越え、ただ見て楽しむだけの鑑賞美術を愛するものだ。仏像とか掛け軸とかだ。そしてそういった鑑賞美術品は酒器よりもずっと高価である。おそろしい。大体、骨董という漢字自体、分解すると骨に草、重なるである。不気味だ。
さて、骨董を始めると、まず誰もが決まって陥るジレンマがある。真贋問題である。たとえば苦労して手に入れた壺があったとする。前々から望んでいた平安の壺である。ういやつういやつとばかりに日々撫でたり摩ったり、一緒に風呂に入ったり抱いて寝たりと愛を捧げたその愛器が、ある日、有名な目利きに贋物である、と断ぜられたとする。この場合、どうするか。真贋などどうでもいい、たとえ偽物であっても好きなものは好きなのだ、という態度は一見、爽快のようだが、所詮めくらの開き直りである。骨董好きなら自分を恥じる。おのれの眼の低さを恥じ、捧げた愛を恥じる。二度と壺と床を共にする事はなく、押入れの奥に放り込む。評論家の小林秀雄も骨董好きで名高いが、かの良寛の掛け軸を壁にかけ、来客がある度に鼻高々に自慢していた。そんなある日、やって来た良寛の研究者が偽物である、と断罪ー次の瞬間、小林は愛刀の一文字助光で掛け軸を両断した、という。これが骨董好きの姿勢である。妥協のない姿勢である。
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