本日お届けするのは、ライター・編集者の中野慧さんによる連載『文化系のための野球入門』の第9回「高校野球は『教育の一環』であり続けるべきか」です。
高校野球を「教育の一環」として捉えるのは、果たしてどの程度妥当なものなのでしょうか。トーナメントで争われる公式試合や部活動という構造に潜む課題、そのオルタナティブについて考察します。
中野慧 文化系のための野球入門
第9回 高校野球は「教育の一環」であり続けるべきか
高校野球における大会の仕組み
前回私は、「子供たち自身での大会運営」「全国大会にこだわる必要はない」という二つを述べました。一方、近年の様々な野球改革論において、「高校野球では一戦必勝のトーナメントだから勝利至上主義に陥ってしまう」「リーグ戦の導入を」ということがしばしば言われるようになってきています。
高校野球においては1年間に秋、春、夏の3つの大会が行われています。大まかなスケジュールとしては、7月に夏の甲子園出場を争う都道府県予選が行われ、8月の夏休み期間に夏の甲子園が行われます。しかし7月の都道府県予選で敗退したチームは、その時点で最上級生である高校三年生が引退し、その時点で高校二年生が中心となる「新チーム」に移行します。そして8月の下旬から、各都道府県では秋の大会が行われます。この大会で上位に進出すると、近県の代表校が集まる地区大会(関東大会、四国大会などの形式で行われる)に進むことができ、そこで優勝すると東京で11月に行われる全国大会「明治神宮野球大会」に出場することができます。そう、実は、あまりマスメディアでは取り上げられませんが、高校野球の全国大会は毎年秋に東京でも行われているのです。
さて、前述の地区大会で好成績を残すと、3月に行われる選抜高校野球(春の甲子園)に出場できます。選抜の場合は「21世紀枠」というものがあり、都道府県大会にベスト32またはベスト16以上に進出していて、文武両道を推進していたり、野球部が積極的に地域でのボランティア活動などに参加していたり、公立校のため練習場所や時間が十分に確保できない、災害被災地であるといったハンディキャップを工夫して克服していたりするとこの枠に選ばれ、選抜高校野球への出場切符を手にすることも可能です。
また、あまり一般に知られていることではないかもしれませんが、春の地方大会というものもあります。ここでは都道府県大会を勝ち抜くとやはり地区大会が行われ、この大会での成績をもとに、夏の都道府県予選でのシードが決定されます。要するに、春の大会は高校野球の華である「夏」の大会のシード権争い、という性格が強いわけです。
なお、秋と春の大会では、都道府県によってはリーグ戦が導入されているところもあります。たとえば神奈川県と愛知県では、県大会の前に「ブロック予選」というかたちで、近隣の高校で集まってリーグ戦が行われています。
トーナメントは教育に良くない?
トーナメント形式の負の側面というと、「一戦必勝のため、勝利至上主義が蔓延し、チャレンジングなプレーができない」「勝ち進むほど連戦が続くため、選手の疲労、怪我のリスク、連投問題などが出てくる」といったことが言われます。
しかし私が本当に問題だと考えるのは、「機会」の問題です。秋・春・夏の大会がすべてトーナメントだった場合、どれも1回戦で敗退したチームは、1年で3試合しか公式戦を経験できないのです。
私が長年、野球をやってきて感じたのは、「公式戦などの真剣勝負の場を経験すればするほど、上手くなるチャンスが増える」ということです。しかしトーナメント制では、強いチームはたくさんの真剣勝負を経験できる一方で、弱いチームは強くなる機会すら得られないことになります。
高校野球漫画などで、よく「相手校同士でのライバル関係」などが描かれますが、それはあくまでもごく一部のトップレベルの人たちの話であり、大半の「裾野」のレベルでは、チーム同士での交流などほぼ皆無です。公式戦でも練習試合でもほとんど一度きりの対戦のため、違うチームの選手同士で人的交流が行われる、ということはほとんどありません。
ではどのようなリーグ戦を行えばいいかというと、やはり近隣のチームを6〜8チームほど集めて毎週リーグ戦を行うのがよいでしょう。遠方に対戦に行く交通費も必要なくなり、費用を圧縮できます。また、会場はスタジアムではなく、各学校で試合を開催可能なグラウンドにて開催します。グラウンドの手配やスケジューリングなども生徒たち自身の手で行うわけです。近隣の高校同士で試合を行うことにより人的交流も生まれていくはずです。
前回述べたように、高校野球では一発勝負を勝ち抜くために、「偵察」「県外遠征」といった「ブルシット・ジョブ」が生まれていますが、リーグ戦であれば対戦相手がほぼ決まっているため、偵察も「県内のできるだけ多くの学校をマークしよう」という発想にはならず、対戦相手の偵察のみにとどめることができます。
私の経験で言うと、高校野球の最後の大会に負けた時にはやはり高校球児らしく泣いてしまいましたが、そのあと夏休みに入りすぐに大学受験の勉強をしなければならないのにもかかわらず、数週間は「負けたこと」の感傷に浸ってしまい、勉強が手につきませんでした。
その後、大学野球に入ってリーグ戦を本格的に戦ってみて初めて思ったのは、「負けて浸っている暇はない」ということでした。大事な一戦を落としてしまっても、翌週には否応なく次の試合が待っているため、チーム全体で気持ちを切り替えなくてはいけません。「負けたから次はない」のではなく、「負けても否応なく次の試合はやってくる」のです。ちょっと大げさかもしれませんが、その時に感じたのは「リーグ戦は人生と同じ」で、「Life Goes On」なのです。むしろトーナメント制のほうが極度に単純化された体験であり、教育に良くないとすら言ってもいいのかもしれません。
高校野球がもし本当に「教育の一環」を目指すのであれば、「人生と同じ」であるリーグ戦をやはりやるべき、ということになります。
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